加藤結の「Liar」が生み出す楽曲ファンダム
音楽の意味が重くなった時代
今から11年前、日本語ラップグループRHYMSTERがリリースした「ゆめのしま」という楽曲のバースです。音楽のデータ配信が進み、気軽に「音を楽しむ」この娯楽がより簡単に触れられるようになった反面、その娯楽が持つ意味は重くなったと感じていたのではないかと思います。
その実感は、正しく「ビルボードジャパンの挑戦 ヒットチャート解体新書」の著者であるビルボードジャパンチャートディレクター礒崎誠二さんは、本書の中で「2010年代はアーティストファンダム」の時代だと語ります。びっくりするぐらい雑に書くと、アーティストにファンが付き、そのアーティストの曲をファンが買ってヒットが生まれる。そして、その楽曲のファンが増えて「楽曲ファンダム」もちょっと遅れて形成されていく、という流れです。そう、あの頃僕も「SKE48の曲ならなんでも買う!」と目をギンギンに決めてCDショップに走ったものです。
ところが、2020年代からは(正確に書くともっと前から)、「楽曲からファンになる」という「楽曲ファンダム」からヒット曲が出るようになったそうです。その背景にあるのは、ストリーミングの定着とYOASOBIやAdo、Yuuki、なとり、imase、といった独立系のアーティストの台頭がシーンを変えていったと同大なデータから分析しています。
簡単に言うと、「誰が歌っているか」に重きを置くのではなく、「どんな音楽なのか」ということに重きを置くようになったわけです。
データは軽くなったんですが、音楽の意味は重くなったわけです。
これは私の曲だと思わせるフック
さて、今日語りたい、加藤結さんの「Liar」ですが、「楽曲ファンダム」を形成する上で、非常に相性が良い「音楽」に重きを置かれた曲だと思います。加藤結さんの曲なんですが、聴いている人に「あっ、これは私の曲だ」と共感できる点があると僕は聴きながら思いました。
詳しく見ていきましょう。
まず、この曲を知ったきっかけなんですが、SNSのタイムラインに流れてきた、この投稿です。
いやあ、加藤結さんのファンの方々、通称あらーずの皆さんの拡散力、流石です( いがらーは、いがらーでやる時はやるイメージです )。
どれどれとAmazon musicで聴いてみたところ、ちょっと感動でしばらく二回目が聴けなくなりましてね。この気持ちはまだ更新したくないな、と思ってしばらくメモを取って、それから「レコチョク」でダウンロード購入しました。いや、ただで音楽は聴ける時代なんですが、それでも良い音楽にはお金を払いたいじゃないですか。もちろん、好きになってもらう入口は無料にして間口を広くしておくのは、大賛成なんですよ、僕とかもそれで今回出会った口ですし。とりあえず、前の職場で仲良かった普段はK-POPとか洋楽中心に聴く方に上記のリンクと共におすすめしておきました。
これは、音楽好きの人に刺さる歌詞と楽曲では、と思ったからです。
まず、この「Liar」の歌詞なんですが、もうね、この手の「前向きな失恋」をしたことがある人なら、「これ、私の曲だわ」となるのではないでしょうか?僕は20代の頃、こういう前向きな嘘で別れた人が居たので、凄く心に刺さりました。いや、刺さりすぎて、しばらく再生できませんでした。いやあ、思い出が楽曲で「再生」することってあるんですね。
個人的な話は置いておいて、客観的な視点で歌詞を見ていくと、まず「帰り道」というとても短い時間を描いていることが曲の冒頭で提示されます。そして、内面と向き合うような描写が始まります。きっと横を歩いているのは、風をほのかに温かくしたり、声をかけてくれたりする人なんでしょうね。いつもよりも遅いスピードで帰りながら、気持ちを決める。その切ない歌詞がとてもよくてですね。完全に心が別れ側に決まっているのではなく、微かな迷いを感じるのがとてもリアルで。無理して笑ってるのかな、とか、いっそ涙で無理やり相手への未練を消してしまった方が良いのかなとか、聴きながら曲の主人公を最後まで見守りたくなりました。
そして、もしも再会したら、と考えるところとか、切なくて切なくて。
まだ大好きだけど、お互いの未来のために嘘をついて別れる二人。
これは、2024年現代に歌われていますが、多分、1000年前に置き換えても500年前に置き換えても、いや、100年後に置き換えても変わらない人間の普遍的な切なさの物語だと思います。
そういう意味で「Liar」はクラシックになりうる曲だと僕は思いました。
それでも、やはり加藤結さんというアーティストの声を通すからこそ
デビュー作を出す出版社の関係で最近、クラシック楽曲についての本を沢山いただいて読んでいるんですが、同じ曲でも楽器や楽団、指揮者や収録したレコードや再生機器によって、個性が生まれてくることを知りました。
この曲のオリジナルのアーティストである加藤結さんについて考えてみると、歌われている間、「加藤結」から曲の中の「私」になっている感じがします。曲の序盤は、まるで語り掛けるように、外の世界から内面の世界への移り変わりを歌います。でも、少しずつ進行がゆっくりになって、「もしもまたいつか」からの表現は本当に素晴らしくて、心の中にしまっているものが溢れそうな感じがしました。
そして、また、語りかえるようなリズムに戻っていくのが、別れたくない内面のスピードとでも受け入れていくしかない現実のスピードの対比のようで素晴らしかったです。
終わり方も良くて、曲の最後にまるで願うように「見つけるため」を2回歌います。ここでも心がぐっと動きました。
僕は加藤結さんをSKE48から知っていますが、この曲から加藤結さんを知った方は、きっとこう思うんじゃないでしょうか?
この人、他の曲はどんなのを歌ってるんだろう?
もっと聴きたくなる表現力の持ち主だと思います。
ちはみに、「Liar」を聴いてから「青空を見上げるな」を聴くとまたちがった響きになります。全く違う世界の話のはずなのに、どちらも苦しくても前に進む世界観は共通していると思います。
加藤結さんが歌う曲は、きっと、苦しくても前に進む人に寄り添う要素があるのではないか、と思います。ある時は、思い通りにならない現実に、ある時は受け入れていくしかない現実に。上手く行かない毎日に、辛いけど決心した夜に、彼女の声はきっと寄り添ってくれると思います。
冒頭で楽曲ファンダムの話をしましたが、次第に彼女自身が好きなアーティストファンダムもきっと増えて行く表現者なのではないかと僕は思っています。更に冒頭で挙げたRHYMSTERの言葉を借りると、「CDのレコーディングをした時は、まだ楽曲を自分のものにしきれてないことが多い」。きっと、数年後にこの「Liar」を彼女から聴いた時、もっと切ない気持ちになっているかもしれません。
そんな日を楽しみに待ちながら、この記事を終えたいと思います。
※「青空を見上げるな」についての記事はこちら!
2024年8月28日加筆分
ラジオで2日連続でこの曲について語りましたが、ふと書き残しておきたいと思って追記することにしました。
優れた作品というのは、人によって違うと思うんですが、僕の場合は、「その作品を観たり聴いたりした後の自分には戻れない」そんな衝撃を受ける作品だと思っています。ある時は、ずっと引きずっていた傷を癒してくれるものかも知れませんし、一生忘れられない傷をつけるものかも知れません。
「Liar」に関しては、人によっては傷がうずくかもしれませんし、その傷と音楽という形を通して向き合うことが出来る曲、まるで、くっしょんのようにあの時の辛さを柔らかくしてくれる曲でもあるのかな、と考えました。
MVのティーザー映像も解禁されましたが、遠くから見守っているようにも見えますし、遠い昔の自分を見ているようにも見えますし。本編の公開が楽しみだなあ、と思います。大穴で実は彼氏の心がかとゆいだった説はどうでしょう?