麒麟がくる、最終回
麒麟がくる、の1年
麒麟がくる、最終回が本日放送され1年間の放送が終わりました。まずは出演者、スタッフ、この作品に関わった多くの方、このような大変な状況の中で最後まで物語を完結し届けてくださったことに感謝いたします。お疲れ様でした。
さて、私ものこのnoteで何度か書いてきましたが高校時代から明智光秀という人物に興味を持っていました。歴史・史実がどうかももちろん大事ですが何より気になっていたのはこの作品で光秀の人生をどう描いてくれるか、彼の人生において重要なポイントとも言える今作の最終回「本能寺の変」をどう描くのか。
そして最終回を見た感想。正直、私が求めていた結末だった・・・まじで、私が見たかったものを見せてもらった感ありすぎて興奮が収まらない。。もう日付変わりそうな時間にこれ書き始めてるのやばい。。※なお放送直後にこの書き始めましたが翌日から体調が悪くずるずる数日引きずり今日に至ってます
特にこれはあくまで私の好みなんだけどここ数年、ドラマや映画では「視聴者に委ねる、余白を持たせる」タイプの作品をかなり好んでいる。これは本当に人によって好き嫌いあると思っていてこういった作品は大体レビューには「結末に視聴者賛否」って書かれます(笑)
ここから書くことはドラマ視聴者の総意ではありません。私の好みと私個人の感想のお話。
光秀と信長の関係性、そして周りの登場人物
足利将軍を討てと命じた信長に反論した光秀。1つ前の回までは周囲が信長謀反を光秀にさも誘導しているようにも見えたけど、ここにきて光秀本人の意思が見えた。
「昔と変わった、戦によって変わってしまった」と信長に伝える光秀の言葉にはこれまで確実に信長に対するリスペクトの気持ちがあったこと感じさせ、そこから謀反を起こすまでに気持ちの変化があったことを丁寧に描いていた。本能寺の変に繋がるまでの文脈がきちんと作られていたように見え、ここまででもすでに個人的には解釈一致の流れだった。(実際、事実はわからないので「文脈があった」ではなくあくまでこのドラマで「作られていた」という表現)
これは特に私の深読みだと思っているけれど、「人が変わってしまった」という光秀に対し「ここまでワシを育てたのは十兵衛だ」と言い返す信長。言い換えれば信長と光秀は同罪、または共犯ともとれる。光秀は確実に信長に勝てる、という自信があったのではなくどちらかというと自らを犠牲にし、命をかけて"信長が月へ登ることを止めた"ように見えた。
本能寺の変直前の十兵衛の言葉から、この謀反が成功しても失敗しても「平かな世を願う」ことに変わりはなく、この人にとっての願いは最後まで「平かな世」であった。
本能寺の変ーーー
本能寺に向かう光秀の表情、謀反を起こしたのは最も信頼していた十兵衛であることを知った信長の表情。どちらも切ない表情で涙無しでは見れなかった。。なぜこうなってしまったのか…互いに信頼している相棒、または戦友同士の争いを見ているかのような、大袈裟に言えば青春漫画でも見ているようなそんな気分だった。作品前半、十兵衛と信長をつなげるきっかけと言っても過言ではない、ある意味キーアイテムでもある「鉄砲」に撃たれる信長はなんとも残酷に見えた。
物語・演出
最終回まで見終えると、物語の大半は「十兵衛の周辺で起こる出来事」が物語の中心で常に十兵衛は周囲に振り回されている印象だった。途中の回では、光秀が主演にも関わらず放送して15分経ってやっと主役登場なんてこともありテレビ越しに笑ってました(ネットで弄られていたのが懐かしい笑)
それでも最終回に近づく頃には物語の中心がグッと十兵衛に寄っていて最後にはちゃんと"収まった"感があった。
謀反を決意した光秀と家臣のシーン。その時見ていた私は内心「家臣に反対されるんじゃないか」「迷いがあるんじゃないか」と余計な心配をしていましたが、固い決意の現れか不安も迷いも一切感じない光秀の表情をひたすら映し続けるカメラワークにこれだよ…求めていたのはこれだ…と胸が熱くなっていました。
放送当初から気に入っていた殺陣シーンも最後の最後、本能寺というクライマックスで久々に迫力あるカメラワークだったの好きなやつ〜〜〜となった。ちなみに殺陣シーンで今でも印象に残っている第一話。十兵衛が盗賊と戦うシーン。大河ドラマでこんな特撮感ある殺陣が見られると思ってなかったんだよなぁ。。カメラワークがとにかく特撮だったんだよ。。
明智光秀と"麒麟"
賛否を呼んだのは恐らく最後の「明智光秀」の扱いについて(なおここまでネットニュースも他の人の考察も読んでいないので定かではない)
私自身は光秀の最後について諸説様々あることを知っていたので、とにかくドラマでは最後どう描くのか、「どの最後をとるのか」が気になっていましたが私の解釈としては「生存説」と「麒麟」という伝説の物語がうまく重なるような結末になっていて私はここでも涙した…(実際後半ずっと泣いてた)
本能寺の変の後、秀吉が天下統一を果たし戦のない世で生きる十兵衛の周りにいた人々が描かれていて確かに十兵衛が願っていた「平かな世」を表現していた。
「秀吉天下統一」に繋がるある種の"引き金"でもあった本能寺の変。それを起こした光秀のことを「麒麟を呼んだ男」と見るか。
それとも最後のお駒ちゃんのシーン。"平かな世"にまるで幻のように現れる十兵衛から「十兵衛こそが"麒麟”だった」と見るか。いや、思い返すと十兵衛を想い続けたお駒ちゃんと煕子だけは最初から十兵衛を「平かな世に現れる麒麟」として見ていたようにも思える。
振り出しに戻ってしまいますが、私が明智光秀に興味を持ったきっかけはあまりにも教科書のイメージと印象が違う逸話や物語があることを知ったから。
その時代に権力を持つ人にとって有利な情報(歴史)だけが残っていく、というのは今の時代もおそらくそう変わらない気がする。見る視点が変わるだけでこんなにも考えられる可能性が広がるのかと、この作品を通して改めて考えた。
人物への丁寧なフォーカスの当て方に感激し、演出やキャラクターの面白さに笑い、一視点だけから物事を見ることの危うさを学び、そして希望が残る結末を見せてもらいました。
麒麟がくる、1年間ありがとうございました。
録画で"追い麒麟"でもしましょうか。
本能寺跡に今消防署が建ってるの歴史が面白すぎる