【YMO再生】テクノドン・ライヴ
1993年3月20日。
「借りた、YMOの1980年のライブビデオ「LIVE AT BUDOKAN」見る」
83年の「散開ライブ」は何度も繰り返しみてましたけど(あのナチスを想起させる衣装と舞台、いまだとアウトなんだろうなあ)、この武道館ライブを見るのは初だった思います。
という「予習」をしたところで以下、本題。
1993年4月1日。
「夕刊に全面広告で「YMO再生」。
もうこの全面広告が秀逸だったのが、ほぼ全面が「私は反対でした。矢野顕子」という文面だったこと。センスが良すぎます。
6月11日。
「もらったチケットで東京ドーム。YMO「再生」ライブ2日目」
散開前のライブにギリ行けなかった世代なので(中学生でした)、「生YMO」は感慨深いものがありました。
でも明らかに何割かは、往年の名曲を期待してるのに、ニューアルバム「テクノドン」の曲が淡々と続く構成に物足りたさを感じてたと思います。
なので中盤、ご褒美のようについに「ビハインド・ザ・マスク」が流れたけど、聴いたことないイントロとアレンジでのりきれず、そのまま「中国女」にいったけど、これも観客の「これじゃない」空気が半端なし(教授がアドリブで「コズミック・サーフィン」のフレーズを弾いたときだけちょっと湧いたけど)。
さらには「CHANCE」という曲のラストで、「ライディーン」の一節だけ聴かせてステージからハケてしまうという、いけずっぷり。
そんなわけでアンコールでついに、みんなが知ってるとおりの「東風」のイントロが流れたときの東京ドームのどよめきがすごかった。そして溜まりに溜まったものを吐き出すような盛り上がり方(言い方)。
アンコールの「ポケットに虹がいっぱい」については忘却ブラウン管「谷口六三商店」で書いてます。
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