アッシュ・スミス 【忘却レコードショップ】

本業は別の名前の小説家。 これまで【忘却タウンガイド】で、自分の記憶と街の記憶から消えていく前に存在した店などを書いてきましたが、ここからはがらりと話を変えて、「音楽版」を綴っていきます。 「忘却ブラウン管」「忘却マガジンストア」も同時進行していきます。

アッシュ・スミス 【忘却レコードショップ】

本業は別の名前の小説家。 これまで【忘却タウンガイド】で、自分の記憶と街の記憶から消えていく前に存在した店などを書いてきましたが、ここからはがらりと話を変えて、「音楽版」を綴っていきます。 「忘却ブラウン管」「忘却マガジンストア」も同時進行していきます。

最近の記事

【佐野元春】ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

1994年9月21日。 「借りた「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」(89年)から佐野元春を追っかけで聴き始める」  「ナイアガラ・トライアングルvol.2」以降、熱狂的な佐野元春さんのファンでした。  サウンドストリートも毎週聞いてましたし、「VISITORS」ツアーの渋谷公会堂で、禁止のカセットレコーダー持ち込んだのもいい思い出(時効とさせてください)。  でも「カフェボヘミア」(86年)で一度区切りになってしまったんですよね。なんかそのときの自分にしっくりこなくなってしま

    • 【US3】カンタループ/マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル

      1994年8月27日。 「8人、3台の車で山中湖へ。到着20:00になって目当てのマウントフジジャズフェスティバル’94は、ラストの「US3」のみ」    2020年の話なんですけど、ずっとあるメロディーが頭から離れなくなって、でも何の曲か思い出せず悶々としてました。  なのでキーボードで音を探して弾いて(ピアノは弾けませんが指1本で探るくらいはなんとか)、知ってそうな従兄弟にその「♪ちゃら、ちゃららーら、ららららー」をLINE。すると後日、「わかりました!」と送ってくれたの

      • 【ラヴィン・スプーンフル】

        1994年1月20日。 「六本木WAVE。久しぶりにレコード買う。ラヴィン・スプーンフルのベスト」  レコードというのはLPレコードの意味です。  ラヴィン・スプーンフルは……あれ、何の記憶もないや。

        • 【シュガー・ベイブ】SONGS

          1994年1月19日。 「昨夜カーステで久しぶりに大貫妙子を聴いたので、これも久しぶりにシュガーベイブ聴く」  まず私は車を持ってないどころか運転もできないので(免許は持ってますが)、他人のカーステです。    出てくる順番が逆になってしまいますけど、私の好きな音楽やミュージシャンの源泉は、大瀧詠一さんの「A LONG VACATION」(81年)でした。  なので山下達郎さんも知ってはいたんですけど、過去を辿って聴くようになったのはそれ以降。75年の「SONGS」も6〜7

        マガジン

        • 忘却レコードショップ90年代ベスト
          37本
        • 忘却タウンガイド10年代ベスト
          4本
        • 忘却タウンガイド00年代ベスト
          86本
        • 忘却タウンガイド 90年代ベスト
          74本

        記事

          【藤谷美紀】

          1993年11月18日。 「親友に藤谷美紀のCD2枚ももらう」  その親友が大ファンだったんですよね。  藤谷美紀さんがアルバムを出されてたのは88〜89年なんですけど、なぜその4〜5年後に私にプレゼントしてくれたんだろう。ファンをやめたのかしら。  以下は忘却ブラウン管の予告です。これ、藤谷美紀さんのウィキに載ってないです。   1995年10月13日。「フジ「東京SEX」藤谷美紀の回」

          【KAN】まゆみ

          1993年7月4日。 「KAN「まゆみ」借りる。小島聖の三ツ矢サイダーのCMもすっぱいが、「まゆみ」自体がすっぱすぎるし、泣ける」  KANさんのファンです。  編集者やライターの仕事をして、後に小説家になったという職種を利用して、私は好きな漫画家や俳優や映画監督やミュージシャンに片っ端からお会いしてきました。なんと清々しい公私混同の告白。    そんな中、大ファンだけど(インタビューなどにかこつけて)お会いしたことがないのが、KANさん。  というのも大ファンになったのが

          【YMO再生】テクノドン・ライヴ

          1993年3月20日。 「借りた、YMOの1980年のライブビデオ「LIVE AT BUDOKAN」見る」  83年の「散開ライブ」は何度も繰り返しみてましたけど(あのナチスを想起させる衣装と舞台、いまだとアウトなんだろうなあ)、この武道館ライブを見るのは初だった思います。  という「予習」をしたところで以下、本題。   1993年4月1日。 「夕刊に全面広告で「YMO再生」。    もうこの全面広告が秀逸だったのが、ほぼ全面が「私は反対でした。矢野顕子」という文面だったこ

          【モンゴ・サンタマリア】

          1993年4月11日。 「モンゴ・サンタマリアのCD買う」  いまでも持ってるCDですけど、なんで買ったかの記憶がなく。  「ウォーターメロン・マン」が聴きたかったのかしら。

          【ピチカート・ファイヴ】ボサ・ノヴァ2001

          1993年2月17日。 「ピチカート・ファイヴの今度の新曲(スウィート・ソウル・レヴュー)をサンプルテープで聴く」 1993年6月5日。 「ピチカート・ファイヴの新譜「ボサ・ノヴァ2001」聴く」  何度か書いてますけど90年代の新体制になってから、熱烈なファンでしたがピチカート・ファイヴからだんだん興味がなくなっていきます。野宮真貴さんのボーカルが、ではなく、小西康陽さんが明確に打ち出したサウンドの路線が、だったのですが。    そしてこの翌年の「オーヴァードーズ」から

          【ピチカート・ファイヴ】ボサ・ノヴァ2001

          【ジュリアナ・トーキョー】

          1993年2月1日。 「21:00帰宅。avexのタイアップ考えるために、ジュリアナCDもらって聴くが苦行」    そりゃ苦行だ。  ここまでの忘却レコードショップのラインナップを見ていただければ察していただけるでしょう。  でもこんなタイアップ、本当にあったのかな。在籍してたサブカルチャー雑誌のカラーにはあまりにも不似合いなジュリアナ東京。たぶん企画書くらいでボツったんじゃないでしょうか。    嫌いでした。  あ、はっきりすぎるほどはっきり言った。

          【森田童子】ぼくたちの失敗

          1993年2月10日。 「借りた森田童子ベスト。「ぼくたちの失敗」は普通に涙が出る」 4月29日。 「「ぼくたちの失敗」シングルCDももらう」  ベストは「高校教師」5話と6話の間で聴いてますね。  私がいかに桜井幸子さんと「高校教師」に身悶えし続けたかは、忘却ブラウン管をご覧ください。    いま改めて曲だけを聴き直してもすばらしいなあ。  最初と最後の繰り返しの間の4パート。これだけの少ない言葉で、起承転結のドラマが鮮やかに浮かび上がってくる。  それを「春のこもれ陽の

          アルマンド・トロヴァヨーリ【黄金の七人】

          1992年12月6日。 「日曜日に編集部後、17:00六本木WAVEでやってた、小西康陽さんと橋本徹さんの「黄金の七人」イベントを少し見る」 12月28日。 「「黄金の七人」もらう」  フリッパーズ・ギター効果で盛り上がってた「黄金の七人」がついにCD復刻発売されたときとかでしょう。

          アルマンド・トロヴァヨーリ【黄金の七人】

          【ジョニー・ライトル】

          1992年11月26日。 「六本木WAVEにサバービア・スイートコーナーできてて、JOHNNY LYTLEのCD買う」  サバービア・スイートについては以下、忘却マガジンストアを参照ください。    そしてこれは2枚のアルバムをまとめたCDのようですけど(いまでも持ってますけど)、まったく記憶にないです。

          【フランソワ・ド・ルーベ】

          1992年10月22日。 「フランソワ・ド・ルーベの輸入盤アルバム買う」  フランソワ・ド・ルーベといえば私の中では「さらば友よ」と「冒険者たち」のサントラの作曲家。    さて以下忘却映画館にも書いてるんですけど、「さらば友よ」(68年)のテーマ曲と、エンニオ・モリコーネ御大の「アンタッチャブル」(87年)が似てる気がするのは私だけでしょうか。  まあ映画サントラとしてはありがちな旋律とアレンジと言えばそれまでですが。

          【ピチカート・ファイヴ】ピチカート・フリー・ソウル

          1992年10月18日。 「借りたピチカート・ファイヴのLP「ピチカート・フリー・ソール」ダビング」  調べると3つ前に登場の「スウィート・ピチカート・ファイヴ」のリミックスアルバム(LPレコード)のようなんですけど、なんでピチカート・ファイヴのウィキにも載ってないんだろう。 (93年発売の「FREE SOUL 2001」とは別物です)  

          【ピチカート・ファイヴ】ピチカート・フリー・ソウル

          【ムーンライダーズ】A.O.R.

          1992年9月15日。 「ムーンライダーズの新譜「A.O.R.」サンプルテープ聴く」。  後にちゃんとCD買いました。  91年に「最後の晩餐」で復活したムーンライダーズ。  復活2作目は、メンバーの中でもポップなメロディメーカーの岡田徹さんと白井良明さんのプロデュースによるこの大名盤。    とくにA面(便宜上そう呼びます)。鈴木慶一さん作詞で、岡田さんと白井さんによる怒涛のポップチューン。  でもムーンライダーズでないとできない曲とサウンドのひねくれ具合と、老後を迎える