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1999年11月15日、13:30ヤマハホールの試写で鑑賞。 アダム・サンドラーが、小さな子を預かる羽目になって、というコメディ。ポスターは2人で立ちションしてるビジュアル。 これ、私、劇場パンフレットにレビュー(エッセイ)を頼まれて書いてるんですよね。 なのに設定は覚えてるのに、展開自体はなんにも覚えてなくて、当時の原稿料をお返ししたいくらいです。嘘です。 <ポスターを見てみよう> ここまでは覚えてるんですけどね。 同じような設定のヒュー・グラントの「
1999年3月12日、18:00メディアボックス試写室で鑑賞。 「デッドマンズ・カーブ」と同日同試写室です。「デッドマンズ・カーブ」は劇場パンフレットに(1ページの)レビューを頼まれてでしたが、本作は後に、劇場パンフレットまるまる1冊、私が編集することになります。 それでこの忘却度。 そのパンフレット、けっこう凝ってるんですよ。この前に「鮫肌男と桃尻女」という映画のパンフレットも私が作ってるんですが、それと同じく、映画の数シーンをフォトノベル仕様にしたり。 で
1999年3月12日、13:00京橋メディアボックス試写室で鑑賞。 日記の「急遽原稿頼まれて」という記述がなければ忘却度100%でした。 劇場パンフレット用のレビューを頼まれたんですよ。それで少し思い出してきましたが、B級どんでん返し系のサスペンスでした。 登場人物の一人、オラオラ系の男が仁王立ちで、女の子にフ◯ラさせてるシーンを、たぶん主人公の気の弱い男子が目撃してショックを受けるシーンだけ明確に覚えてます。 この記憶が私らしいですね。 でもそれもどんで
1998年8月25日、15:30松竹試写室で鑑賞。 すいません映画はもうあまり覚えてないのですが、本作の原田知世さんが素晴らしすぎて、雑誌のインタビュー依頼はもちろん引き受け、ご本人にその感動をお伝えさせていただきました。 ほぼ同い年で原田知世さんを見てきた少年だった私。そのときの気持ちは察してください。 <ネットで調べてみる> このとき以来で予告の映像見ましたけど、いまだにいいですね。そして(忘れてましたが)菅野美穂さんも素敵です。
1998年2月16日、15:15ユニジャパン試写室で鑑賞。 北朝鮮の怪獣映画。 プルガサリはお米の化身だったかな? 日本の特撮スタッフが協力してるという話は覚えてます。 <ネットで調べてみる> これは昨今のビジュアルです。 本作をプロデュースした金正日の映画好きは当時も有名で、ある雑誌の映画特集で、金正日のビデオコレクションを撮影しようと画策するも結局許可が降りなかったという話を身近で聞いたことがあります。
1997年3月19日、サンプルビデオで鑑賞。 カトリーヌ・スパークですね。90年代おしゃれリバイバルの1本。 個人的にはいちばん好きなバンド、ムーンライダーズの「カメラ=万年筆」というアルバムが、全曲映画のタイトルだったので、そのうちのひとつが見られたという喜びもありました。 これの次の「狂ったバカンス」も同じく。 そしてブルータス誌で、ムーンライダーズの鈴木慶一さんにこの2作を語っていただくページを作り、インタビュアーをさせていただきました。 <ポスターを
1996年12月27日、サンプルビデオで鑑賞。 80年代のカルト映画。サイケデリックな感じのでした。 これまでも何作かありましたが、劇場パンフレットとかの編集や執筆、全部私がやったんですよねえ。 なのになんで覚えてないんでしょう。 <ポスターを見てみよう> この後、仕事で何度か繰り返し見てるはずなんですけどね。そんな関わった映画すら忘れるんだから、もうお手上げです。自分に。 <ネットで調べてみる> ヤフオクに出品してる人がいたので思い出しましたが、パン
1996年4月鑑賞。 これ見てるんですが、日記にその記述がなく。 ただ、4月23日に原作の山本直樹先生にロングインタビューさせていただいてます。山本直樹先生はその前もそれ以降も、別名義のものもすべて著作は購入してるくらいの大ファンでして、どちらかというとこの映画はきっかけで、ここぞとばかりに取材を申し込ませていただいたのでした。 というわけで原作漫画はよく覚えてますけど(山本直樹先生の作品の中でもトップクラスに好きです)、映画のほうはあまり記憶になく。 <ポスタ
1999年3月26日、13:00京橋シネセゾン試写室。 いま、どれだけ自分にがっかりしてるかって、私この数ヶ月後、この映画に絡めてベトナム取材に行ってるんですよね。ホーチミンの街並みで写真ページ作りました。 そして主演のレ・バン・ロックくん(素人で映画出演は確かこれだけ)にも会ってインタビューしてます。 なのに、この映画はもうほぼ覚えてない。トラン・アン・ユン監督作で、トニー・レオンも出てるのとかちゃんと知ってるのに。 <ポスターを見てみよう> 取材旅行で何
1996年3月14日、15:30東和試写室で鑑賞。 やっと長い記憶ゼロ記録が途絶えました。 ウォン・カーウァイの「恋する惑星」の次の作品。 でもほぼ忘れちゃってるなあ。完全に覚えてるのは、クールな殺し屋がバスに乗り込むと、後ろの席のサラリーマンから「俺だよ俺、同級生の!」と話しかけられて、その会話につきあわざるを得ないという笑いどころ。 <ポスターを見てみよう> 良かったと思ったんですけど、金城武が出てたことすら覚えてませんでした。 <ネットで調べてみる>
1995年9月18日、13:00徳間ホールで鑑賞。 このほぼ記憶を失ってる私が、「ミルチョ・マンチェフスキー」という監督がすらすら出てくるから自分でも驚き。 見たとき、すごいと思った記憶ありです。 たぶん後の「アモーレス・ペロス」的な、3つの話が絡むような構成だったかと思いますが、忘れてしまいました。 メインビジュアルは修道士のような格好の男だったかと。 <ポスターを見てみよう> 当時映画担当としてた雑誌で、1ページくらい割いた記憶もあります。 <ネッ
1995年5月25日、13:00ユニジャパン試写室で鑑賞。 台湾映画。ツァイ・ミンリャン? 主人公の女(不動産屋だった?)が、若い男の乳首舐める映画? そうだったとして、どんな覚え方だよ私。 <ポスターを見てみよう> たぶん、合ってると思います。 <ネットで調べてみる> 誰も住んでないアパートの一室に集う、互いに素性を知らない3人の話でしたね。 最後、明け方の公園でずっと泣いてる女のシーンだったことも思い出しました。
1994年11月27日、赤坂ツインタワーでの中央アジア映画祭で、18:30の回で鑑賞。 これ、いま考えるとすごい体験ですよね。 実は後年気になって調べたことがあるので、DVDが発売されてることは知っております。それがなければ、日本でこの映画を見たのはほんとに100人もいなかったんじゃないでしょうか。 休日、友人たちと昼ごろからだらだら遊んでたとき、そのうちの一人が(後に私の仕事の相方になる男なのですが)、持ってたチラシを見て「いまからこれ行こう」とノリで赤坂へ。
1994年3月13日、おそらくレンタルビデオで鑑賞。 烏丸せつこさん主演で、東陽一監督作。 前にも書きましたが、とにかく子供のころ、烏丸せつこさんの映画が見たくてしょうがなかったんですよね。エロそうで。 それで満を持して見たはずなのに、なんで忘れちゃうかなあ。 <ポスターを見てみよう> 佐藤浩市さん出てたんだ、伊佐山ひろ子さん(北の国から「まだ子供が食ってる途中でしょうが」でおなじみ)出てたんだ、ビートたけしさん出てたんだと、驚きばかり。 そして、ん?