【忘却度100%】森直子「スパイシー・ジェネレーション」
1992年8月27日。
大学時代仲良かった友人の中で、とりわけ本談義、文学談義ができる男がいました。彼は日本文学がほぼでしたけど、私なんか到底追いつかないくらい本をこれまで読んできていたので、同世代だけど教わることが多かった。
ただ、これが比例しないのがあるあるなんですが、私が見るかぎり、彼にはまったく文才がなかった。
ときどき、エッセイなのか評論なのか文章を私に渡してくるんですが、まあ読みづらいこと面白くないことこのうえない。
20歳前後の大学生なのでしょうがないとも言えますが、私のまわりには(前にも書きましたが)サブカル好きなファッション女子など、びっくりするくらい文章が面白くうまい友達が何人かいたので、若さだけが理由ではないのは明らかでした。
そしてこの社会人2年目のある日。帰宅すると彼が不在中に私のアパートに来たらしく、玄関脇に荷物が。開けてみると「書簡、サークルの子が書いたらしい本とその書評、そして筋違いのいちゃもんが書いてある」(当時の日記)。
彼の文章がどんなものだったかはもう覚えてないけど、「劣等感と悔しさがひね曲がった評論もどき」だったのは間違いないと思います。
さて、そんなわけで彼が置いていったのが、森直子先生の「スパイシー・ジェネレーション」という本。
私の在学中とは時期がかぶらなかったようですけど、大学の同じサークル在籍で、何かの文学賞を受賞して本を出したようでした。
友人の男はきっと、その内容や文学性について評論したかったんでしょうけど、先に書いたとおり、私にはそれが劣等感と憤りにしか思えませんでした。
内容の好き嫌いを語るならともかく、(仮にこの方が文学賞に落選したとしても)何かをやろうと決意して実際にそれを実行した人のことを、口先だけで何もしてない奴がとやかく言うんじゃないよ、みっともない。
私も若かったので、「いちゃもんに対して抗議文を書いてたら、午前3時すぎてた」(当時の日記)ようです。
<ネットで調べてみる>
後年、ハル・ハートリーの「ヘンリー・フール」という映画を見たとき(実はその映画の劇場パンフレットに私、エッセイを寄稿してるのですが)、彼のことを思い出しました。
天才作家気取りのヘンリー・フールが、内気な青年に文学講義を始めたら、青年のほうがすごく才能が開花してしまい、という話。才能がありそうに見えた主人公が、実はほんとうに才能がなかったという現実を、そのまま写し出してました。
このヘンリー・フールを肯定的に捉えるか否定的に捉えるかで見方はがらっと変わると思いますが、私は彼だな、と思いました。
もちろん文章の世界で才能があるかないかだけの話なので、いまはきっと違う分野で彼は活躍してると思います。
と、そんな過去の友人のことを思い出させてくれた本書。
読んだことすらまるっきり覚えてなくて申し訳ありません。
ここまで書いておいて覚えてないんかい。