アッシュ・スミス 【忘却マガジンストア】【忘却イベントガイド】
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海外がまだまだ憧れだった1970年代の、パンナムが象徴する飛行機文化、世界を教えてくれた洋画の吹き替え文化、そしておしゃれにもほどがあった、70年代東京の街と店とファッション。そんな時代を背景にしたキラキラしたラブストーリーを書きました。ですが残念ながらいまだ未発表。ご興味ある方のご連絡をお待ちしつつ、その参考書籍をまとめてみました。
1994年11月19日。 「ビートたけしの手記が載った新潮45買う。これがすごい」 11月29日。 「青山ブックセンター六本木で、ビートたけしの闘病記「顔面麻痺」買って読むが、新潮45のほうがよかった」 1998年1月12日。 「新潮45増刷「コマネチ!」買う」 どちらも忘却図書館で先に書いておりました。
1994年8月28日。 「夜、友人から7600円で買い取った「MOTHER2」を最初からやる。トータル3時間くらい2:30までで、トンズラブラザーズまでとスリークに行くところまで」 出ました、MOTHER2。 1作目の感動については下のほうにまとめております。 ここからMOTHER2の日々が始まり1週間。 9月4日「いつもの日曜日のテレビ以外は、ずっと「MOTHER2」。ラストダンジョン。2度ギーグに挑むが何も起こらず。とりあえずレベルを84から87まで上げる
1994年8月9日。 「神保町で、昭和44年のスクリーン別冊。アテレコについての記事があり2,500円で買う」 この段階で27年前の雑誌です。 「別冊」なのでハズしてもよかったんですけど、昭和の映画雑誌といえば「スクリーン」と「ロードショー」だった、ということを記録がてら。 海外の女優のヌードやベッドシーンの写真程度で天地がひっくり返る衝撃を受けた子供ころ。
1994年8月3日。 「「東京人」落語特集買う」 たぶんこのときから「東京人」を買ったのは一度あるかないかだと思います。 ですがこれから実に24年後の2018年。 私、巻頭エッセイコーナーに寄稿させていただきました。老舗雑誌で書けてよかったよかった。また頼んでくれないかな(ずうずうしい)。
1994年6月5日。 「スーファミで「プリンス・オブ・ペルシャ」始める」 6月13日。 「23:00帰宅。「プリンス・オブ・ペルシャ」20面」 詳細は忘れてしまいましたけど、これ熱中してクリアしていったことはよく覚えてます。 クリア画面を写真撮ったくらい。
1994年5月26日。 「19:00渋谷スペースパート3。舞台「SWEET HOME」」 申し訳ないことに何の記憶もないのです。 好きな田口トモロヲさんが出演されてたので、チケット取っていただきました(購入してます)。 パンフレットの古書店のみヒットしました。
1994年5月15日。 「借りたファイナルファンタジーⅥスタート」 FF4をまさかのデータ消失で失意のどん底にいた私ですが、FF6で再起をかけます。 5月18日「20:00帰宅。ファイナルファンタジーⅥ4時間。おれさま(主人公)、しんしょう、ぶんらく(マッシュ)、ジュリエットの4人でフィガロ城まで」 5月29日「12人勢で「おれさま」「しんしょう」を捨てキャラにして、「べいちょう」「ソフィー」で挑んだら、あっさり勝ってしまう。感動もいまひとつ。ビデオに録って二度
1994年4月20日。 「18:00草月ホール。先輩が取ってくれたチケットで一緒に、「立川志の輔 らくごのばあい4」。「品川心中」と「唐茄子屋」」 当時もいまも、志の輔師匠のチケットなんかまず取れないですよね。 このときの噺は残念ながら記憶にないんですけど、ピアノの羽田健太郎さんがゲストだったのは覚えてます。 「落語のピン」で立川志らく師匠のファンになったと書きましたが、たまの出番を楽しみにしてたのは、志の輔師匠と高田文夫先生だったりしました。 志の輔師匠でとく
1994年4月7日。 「借りたスーファミのゲーム「ブルースブラザーズ」やる」 これも記憶になく。でもやったはずです。
1994年3月28日。 「評論家氏に教えられた「話の特集」ファミコン特集買う」 ものすごく遅ればせでドラゴンクエストなどRPGゲームにハマった時期でした。 なので自分の雑誌でも、RPGで泣いた体験のエッセイを寄稿してもらったり、「MOTHER2」のときは糸井重里さんにロングインタビューさせていただいたりしました。 と、そんな流れでこの特集を買ったと思います。記憶はゼロです。
1994年3月15日。 「落語のピン」「らくご奇兵隊」で書いたとおり、二つ目時代の立川志らくさんのファンになって、当時在籍してた月刊誌でロングインタビューをさせていただきました。 その後、私がフリーランスになった後でも、取材させていただいたり、関わってた雑誌に寄稿していただいたり。 そんなわけでいつも独演会「志らくのピン」にはお声がけいただいてました。 以下、全部ではないですけど演目など私が日記に記録してる分、ファンの方用。 1994年3月15日「18:0
994年3月10 日。 「日比谷図書館で中央公論の立川談志の連載コピー」 おそらくなんですけど、以下「新釈落語噺」という本にまとまった連載だと思います。 って私、その本、読んでました。 もはや忘却の彼方。
1994年3月2日 「吉本ばななと青山圭秀の対談乗ってる「MORE」買う」 これまで女性誌いくつか出てきてますけど、MOREはあんまり手に取ったことないかな。 そしてこの5年後くらいから私、様々な女性誌で連載したり寄稿したり取材受けたりするんですけど、MOREはたぶん、お声かからなかった気が。 ところで買った理由は当時青山圭秀さんのサイババブームだったからです。
1994年2月25日。 「友人から「ロマンシング サ・ガ」「マリオカート」届く」 いやあ、自分でもびっくり。有名なゲームですけど、プレイした記憶がまるでない。ごめんなさい。
1994年2月22日。 「18:30池袋メットホール。明日の立川志らく氏インタビュー前にご招待いただいた、「らくご奇兵隊」。志らく、談春、昇太、小緑など」 これは正直、面白くはなかったです(こらこら)。 「落語のピン」で書きましたが、この番組で二つ目時代の立川志らくさんのファンになり、在籍してた月刊誌でロングインタビューを依頼、その前日のイベントにご招待いただきました。 まあ皆さんすごい若手の時代だったのもあるかもですけど、ある方がマクラで、当時の社会問題に
1994年2月19日。 「10:30、東京駅で待ち合わせ、初めての幕張へ。「マックワールド・エキスポ1994」」 この日のことは忘却タウンガイドにほぼ書いてあります。 しかし記憶はなく。 94年、私が仕事でもプライベートでも駆使してたのは、シャープの書院、パナソニックのルポでした。 ワープロです。 この前年、マックワールド・エキスポに一緒に行った友人から、「マックのパワーブック買ったけど使いこなせい」と5万円で譲り受けたんですけど、結局私も使いこなせなくて、