見出し画像

1996年11月8日。
「滝本さんから、ブルータス誌映画特集用の「カイル・クーパーのビデオジャケット集めて」という使いっぱの電話(笑)」
11月28日。
「ブルータス編集部で、滝本さんの仕事のキャプション書き。よその編集部で終日何やってんだか(笑)」
 
 このときはまだ、私は別の月刊誌の編集部に所属してました。

 そこでよく寄稿していただいてた映画・美術評論家の滝本誠さんと仲良くさせていただくようになったのですが、滝本さんは当時、ブルータス編集部に在籍もしていたのでした。
 そんなわけで原稿お願いにいったつもりが、なぜか他誌の編集部で一日お仕事。

 しかしおかげでこのとき、フリーランスのYさんという先輩によくしていただいて、年明けにフリーになる私に仕事を振ってくれました。そこから他の編集の方々とも知り合い、ブルータスでの仕事をたくさんするようになります。
 
1997年1月23日。
「Yさんから、ブルータス毎号1Pレギュラー決定とありがたい連絡」
 レギュラーの映画ページをまかせていただくようになりました。
 
 ここからはざっと、1997年のいくつか抜粋して書き抜いていきます。
「鈴木慶一さん! ブルータス誌のカトリーヌ・スパークについてのインタビュー」
「岡本さんからブルータス10/1売特集の依頼」
「ブルータス編集部で戸川京子さん取材。すごくいい方」
「中目黒で信藤三雄さんブルータス取材」
「外苑前セラン。田村翔子様ブルータス取材。一度お会いしたことあるのを覚えててくださっただけでも感激」
「ムーンライダーズオフィス。ブルータス映画特集の鈴木慶一さんとかしぶち哲郎さんの対談」
「市ヶ谷サウンドバレー。続いて小西康陽さんインタビュー」
「ブルータス編集部。岡本さんと映画特集話の次は、滝本さんとミステリ特集の打ち合わせ」
「ブルータス。Yさんとレギュラー打ち合わせ。編集長らと日本文化特集の打ち合わせ。邦画特集が完売とかでビールとメンチカツで乾杯」

 この邦画特集はがっつりやったので思い入れあるんですけど、後にSPA!誌で中森明夫さんに、北野武監督の「ソナチネ」が「ソナネチ」と、たけしさんの「コマネチ」と混ざったような誤植があると指摘されました。
 しかも本文でなく見出しだったんですよね。大きな文字で堂々としてると逆に気づかないものだと知りました。私も担当編集も校正さんも誰も気づかなかった。
 
 1998年〜1999年からもいくつか抜粋します。
 
「ブルータスのレギュラーとフランス特集原稿」
「映画特集打ち合わせ。台割り作り。午前中も帰宅後もずっとその作業」
「14:00渋谷文化村。鈴木慶一さんインタビュー。代々木公園で撮影」
「14:00目白和敬塾。ブルータスの高橋幸宏さんインタビュー」

 あと別冊・増刊もやってますね。
 
1999年1月28日「ドンナブルータス誌用の、斎藤綾子さんと小倉東さんの対談」
1999年2月2日「カーサブルータス原稿」
 カーサブルータスはこのときはブルータス増刊で、2000年から月刊誌になりました。
 
 そして編集・ライターとして仕事をしてたブルータスで、1999年から自分名義の1ページの連載を始めるのですが、それは「その3」で。


いいなと思ったら応援しよう!