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【忘却度100%】立川談志「世の中与太者で、えじゃないか」
1993年5月11日。
いまはなき麹町ロンブックスで買いました。
そうだ、「落語のピン」という番組で立川志らくさんを知り、インタビューさせていただいたりしてるうちに立川企画の方とも懇意になり、「志らくのピン」にいつもご招待いただいてたんですが、一度だけ立川談志師匠のひとり会にも呼んでいただいたことがありました。
数年後、ある雑誌でそのときのことを書いたことがあります。それをちょっと抜粋してみましょう。
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<ネットで調べてみる>
「94年11月7日の「談志ひとり会」のことである。
その日、家元は前座(と言っても立川志らくクラス)が終わると、めずらしくすぐに高座に上がった。遅れてあたりまえ、来ないときだってある家元が。さらに、マクラ以前のいつもの小言もそこそこに、すぐに『二人旅』に入った。(略)
本当に事件は起きてしまった。10分ほど経過したとき、取材カメラマンのシャッターがうるさいと、家元は気分を害されて噺も途中に引っ込んでしまったのだ。呆然とする観客。慌てて下ろされる緞帳。
しかし、さすが談志の客である。何のアナウンスもなく、ただ時だけが流れていくその場に居合わせた900人(!)は、誰も喋らず誰も立ち上がらず、静かに家元のご機嫌が直るのを待っていたのである。
そしておよそ20分が過ぎて、再び緞帳が上がると家元は不機嫌そうに高座に戻ってきた。そして、客に詫びることもなく今度は『文七元結』をかけた。見事に、そりゃもう見事に演り切って、最後はちゃんと泣かせてくれたのに、「そんなことがあったある日」と爆笑させてしまう。もちろん拍手喝采」