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柴山さんの言葉と彼女のマティーニ

今まで何杯のカクテルを味わってきたかは分からないけど、本当に美味しいカクテルに出会えるのは3年に1度ぐらいだと思っている。

ある時期にはマティーニほどにシンプルで美しいカクテルはないと思い、色んなバーで気になったバーテンダーのマティーニを味わっていた。

シンプルなカクテルであるということはレシピにアレンジを加える余地がなく、メイキングの技術に逃げ道がないということだろう。そんなマティーニの奥深さを感じていたある夜に最高のマティーニに出会った。

そのバーはスピーカーからロックが流れ、カウンター奥の厨房からはオーナーがフライパンを叩く音が聞こえるカジュアルなバーだった。
テーブル席では4人組の男女が音楽を語り合い、カウンターの飲み手達はバーボンのロックを片手に音楽に耳を傾けたり、バーテンダーと流れる音楽のビートや歌声の美しさを語っていたりしていた。

カジュアルな装いのバーだが、バーテンダーのカクテルはどれも本物だった。スタンダードカクテルはよく研究され、その味は研磨された技術に裏付けられていたし、オリジナルカクテルはどれも飲み手の心を強く掴んでいた。何より彼女はオーダーを受けてその場でイメージした味をカクテルにするセンスに長けていた。

例えば「さわやかでアルコールもしっかり感じられるカクテルを」というようなオーダーを受けると、彼女はバックバーを眺めながら「そうだなぁ」とイメージを膨らませカウンターにボトルを並べメイキングにかかりカクテルへと導く。

「わぁ、なにこれ美味しい」

それを味わう人のリアクションを見れば、彼女がいかにオーダーにピッタリのカクテルを作っていたのかが良く分かる。そんな彼女のカクテルを色んな人が美味しく味わっている光景をカウンターの横で何度となく見てきたし、私もその1人だった。

彼女は、翌年子供が生まれることから年内でバーテンダーを辞めることになっていた。
私は何年も、そして何杯もの美味しさをこの味覚に届けてくれた彼女の作るマティーニをどうしても味わっておきたかったので、年末のある夜そのバーへ飲みに行った。

カウンターのオーダーが落ち着いたころ、私は彼女にマティーニをオーダーした。
カジュアルな店内の空気が一瞬、研ぎ澄まされたように感じられたのは、彼女がマティーニに対して緊張感を感じたからかもしれない。恐らく彼女は、私がその日マティーニをオーダーすることを察していたはずだ。

そう、マティーニをオーダーする瞬間のあの緊張感はギムレットやサイドカーのそれとは一味違う。それはバーテンダーにとっても同じなのかもしれない。だからこそマティーニをオーダーした瞬間に漂う互いの緊張感がとても好きだった。
まさにその緊張感が共有されると彼女の右手がゆっくりと回り初めた。
ジンの香りを嗅覚に当て、氷の冷たさはバースプーンから液体へと導かれ、ジンをベルモットに歩み寄らせる。ミキシンググラスの中で結合を遂げた液体はグラスに注がれ、マティーニに到達した。

一口グラスに付けるとその味わいはジンもベルモットも感じさせず、柔らかさを保ちながらもその冷たさは味覚から官能へと鋭く響いた。

マティーニの味わいを語る時、ドライだとかベルモットがと言うけれど、私にとって本当に美味しいマティーニは、ジンとベルモットが氷の中で触れ合い、共鳴しながら混ざり合い、僅かな水分を伴い結合しながら全く異なる液体へと生まれ変わった果てに在るのかもしれない。

その後、至るところでマティーニを味わったが、後にも先にもその夜ほどに美味しいマティーニには出会えていない。

数日後、彼女がカウンターに立つ最後の日。私はやはりカウンターで飲んでいた。

12時を過ぎると店内は顔馴染みの客だけになった。彼女の次にカウンターに立つことになるさらにベテランのバーテンダーの隣で、彼女はお腹の命を気にしながら立っているのが辛くも笑顔を絶やさなかった。
そんな彼女の様子を察してか厨房からオーナーである柴山さんが出てきた。

カウンターの状況を見ると柴山さんは
「もう座って好きな物飲めよ」
と彼女に言った。
その言葉を耳にした私は何故だろう、涙をこらえるのに必死だった。

それは長年彼女と苦楽を共にしてきたであろう柴山さんが自らの想いを言葉した時だった。
恐らくはその夜のお客さんも柴山さんの言葉に共感を示していたように思う。

柴山さんが「飲むか」や「大丈夫か」と問えば彼女は無理をしてしまうかもしれないし、お客さんからはそれを止めることは出来ない。
カウンターにもう1人バーテンダーがいたことやお客さんの状況を踏まえた上で、柴山さんは「もうこれ以上無理をしないで、最後ぐらいは長年支えてくれたお客さんと一緒に飲んで欲しい」という思いが募っていたのだろう。

突き詰めれば「相手が望むようにして欲しい」よりも「自分が相手にそうして欲しい」という相手を思う我が思いを優先させているからこそ、柴山さんの言葉には純粋な優しさが宿っていた。

彼女がカウンターに座ると柴山さんはエレファントカシマシの「今宵の月のように」を流した。
「あー柴山さん、それはずるい」
彼女が嬉しそうに言った。

まぶたは内側から溢れるその重みに堪えきれなくなり、優しさ満ちた夜には少しずつ明るさが近づいていた。

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