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自分には何もないと思っている1人の人間の話しなんて誰が聞くのか?という暗示の脱却〜自分の道を見つけ出すまでの物語



“自身の感覚に言語化が追いつく”



今の活動に至るまでに、どれくらいの時間を自分は費やしたのだろうか。


かなり長かった。


記憶にある部分を掘り下げるだけでも5年位かかってるのかな。





周りと比べたらカメのような成長スピードかもしれないが、そんなのは気にしていられない...


僕の中で大事なのは、いかにして自分の意見を持ちそれを体現していけるかだからだ。


結果が早く出る方法なんて世の中には無数にあると思うけど、行動と思考(想い)が一致しなければ、遅かれ早かれ消えてしまうよね。





この記事では、自身が1つの最適解に辿り着くまでの道のりを、過去の経験や出来事、自分の中での転換点となった部分を交えて綴って行こうと思う。


それぞれの大きな出来事の中で、今の最適解に辿りつくための重要な要素を散りばめながら書いている。


参考になるものがあれば気軽に持ち帰ってほしい。





それでは、始めていきますね。







1.漠然とした虚無感




このままでいいのか??



誰に煽られることもないけれど、日々この問いかけが僕の胸中を往来する。




「はぁ〜〜〜〜〜。」



現状を何かしら変えたいと思っているけど、具体的に何をしたらいいのかわからない、そんな状態。(ため息をつきながら解決策も思い浮かばず、ひたすらぼんやりしている感じだった。)





「やっぱり転職が変化を早く感じられるのかなー。」



というのも僕は高校を卒業してから就職せずに、楽しそうに大学生活を送っている友人を横目に見ながらバイトをして生活していた。


フリーターなら時間はある程度融通が効くから、自分が興味あるものを模索したり、何かチャンスがあれば挑戦しようと思ってたからだ。




(本音)
とはいうものの周りの僕に対する誘惑はとてつもない力で、3日間ろくに寝ないで飲み歩いたり、街コンに参加しまくったり、お金があればすぐに旅行に行ったりと遊びの方が没頭していたなー




異業種交流会なるものに行ってみたり、ビジネス書を毎週本屋に行って2〜3冊買って読んでみる。


朝活をしなさいと本に書いてあれば実行し、
自己投資しなさいと記してあれば、著者のメルマガを取ってセミナーに参加する。








しかしながら、時間だけが過ぎ去っていく。


今の現状を上手く正当化しているだけ。


行動していると言えば聞こえはいいが、実際に変化や成長を感じているかと問われると微妙だ。(まあ、それ以上に遊んでたからね、、、)




拍車をかけるように、

  • 周りの友人たちは昇進

  • 結婚報告や家族が増えた吉報が届く

  • 海外で働きたいために移住


など、程度問わず変化を周りの人は起こしていた。




対して、自分はどうだろうか?


めぼしいものはこれといって思い浮かばない。



(今となっては遊びも学びに昇華できていなかったのだと気付けるけど、当時は経験の中に学びを見出す概念もなかった)






周りと比較する必要がないと世間では言われてるけど、結局のところ今の自分の立ち位置を相対的に把握するには他人の存在は不可欠だよね。


比較するからこそ基準が存在するし、あらゆるものの存在意義が生まれる。


いわゆる自分軸という、明確な基準を自分の中で持ち合わせていればこうした比較による虚無感が生まれなかったかもしれない






ただ僕は自分軸を持ち合わせていなかったので周りと自分を比較するし、比較することで今の自分には変化がないので面白みがないなーって気づくことにもなってしまった。



こうなってくると、久しぶりに会う友人なんかは会いづらくなってくる。特に、前日から会うまでの時間がイヤイヤ期(笑)




高確率で「今何やってるのー?」と聞かれ、



(自分)「お、おう、、。い、今?????い、飲食で働きながら今色々と動いてる!?そっちは、、どうよ◯×△☆♯b」(挙動不審すぎる)


(友人)「ああ、俺!!?(聞かれるの待ってましたーとばりに)俺は不動産の会社で働いてたけど独立したよ!👌」




その度に自分はモヤモヤする劣等感を勝手に感じてしまうのだ。





挙げ句の果てには対等に話せていないと解釈し、これといった自分軸がない自分にとってはますます不安と不自由さを募らせていくばかり。




この得体の知れない魔物は冷静に考えれば別々の問題を、ネガティブな要素だけをピックアップして鎖のように繋ぎ、やがて強固な負のスパイラルを生む




「真綿の檻」より
「真面の檻」より
「真綿の檻」より
「真綿の檻」より





突然の画像に???かもしない。


これは最近読んだ漫画の一部を引用したもので、先ほど主張した負のスパイラルをわかりやすく表現されていたので掲載したよ。





自分の例で言うと、虚無感によって心の糸がピンと張っていたので、いつ切れてもおかしくない状況。

なので、この負のスパイラルを断ち切るためには一石投じる必要がある。



(ここで変わらなければ、このままずるずると過ごしてしまう、、)




当時、変化をつけるのに1番インパクトが大きいのが転職だった。



そこで、どんな職業に就くかより対等に話せることを重要視していた僕は、苦手だけど克服すればチャンスになるという思いから、『需要がある』と考えていた営業職に就くことにしたが...





この選択がどんな未来に繋がるのか?




〈当時を振り返った今、この時の学び〉

・対等に話せていないと劣等感を感じる。(フリーターという言葉のカテゴライズによる空気感と自意識による不安に不自由さを勝手に覚えた)

・不安になる時ほど、目に見えやすいものに目を向けがち。根本として、実績ではなく変化を感じられないことが不安を生む原因だと気づく。
→現在の言語化の重要性に気づいたキッカケとなるエピソード。(言語化は感覚や思考を文字や音に変換して分かりやすくするものだから)

・自分軸がないと、調子がいい時はさほど気にならないが、調子が悪い時ほど周りの雑音に左右されてしまう。

自身の学びの要約







2.葛藤と決断の狭間





成長
やりがい
努力は報われる
あきらめないことが大事





希望に満ち溢れた言葉で世の中は沢山溢れている。


このような言葉を僕は否定するつもりはないし、どちらかといえば事実だと思いたいタイプ。



希望がなきゃ前を向けないし、行動を起こすための活力にもなるからね。(ディズニーやジブリを見ると心が洗われる感覚に僕はなるんだけど、この希望が関係してるのかな?)





ただ、こうした希望は取り扱いに注意が必要だ。


こう思うようになったエピソードを話していくよ。






転職活動を始めてから約1か月。


転職エージェントに登録して面談をし、提示された求人に片っ端から応募した。




エージェントの人 「社会人経験がないとこの辺りの求人がいいと思います。」



なるほど。



半年間は辞めずに、社会人経験が無くても窓口が広そうな求人。

先輩からのコメントの所には自分と同じで元はフリーターでしたが、、のような文面が目立つのが多かった。



(本音)
今はフリーランスという言葉ができて定職という概念が崩れつつあるけど、当時のフリーターという言葉はどちらと言えばネガティブなイメージで捉えられていた。こういう小さなカテゴライズ化が僕の虚無感を助長していたようにも思える。まぁ、普通の人からしたら就職してればそんなことなかったんじゃない?と思われるかもしれないが、、




入りやすそうな会社を求めていたので、希望はそれほど伝えていない。(そもそもが希望を伝える立ち位置ではないことを自覚していた)


 


片っ端から応募したのも、転職サイトで見た求人と大差がなかったからだ。


「転職サイトにはない求人を扱っていると言ってたのになー」と内心は思いつつ、転職希望者によって求人を棲み分けているのだろうと自分を納得させている自分もいる。




あらゆる所で世の中はカテゴライズされているなと。





そうはいってもさすがは転職エージェント。


こんな自分でも見事に企業とマッチングしてくれ、転職に成功した。


需要と供給がある市場でのビジネスは、中身を度外視したとしても一定の成果がでるもんだなって、無知ながらに思ったよね。















それから転職して2年が経った頃だろうか。



入社当時は苦痛だった飛び込み営業も、数をこなすと徐々に何も思わなくなる。


(最初は訪問するのもためらいがあり、敵を追い払うかのような鋭い眼差しで「なんでしょうか?」と言われるのが最高の苦痛)




無の連続。


もちろんその中でも、



  • つかみで好印象を与えるフレーズ

  • 電話でのアポ時にトーンや雑音を聞き取り相手の状況を推測

  • 商談時の会話の運び方

  • 信頼されるための立ち振る舞い

  • 心折れないメンタルの作り方



など転職をして得られた学びはこの他にも沢山あった。


転職したことで、以前より劣等感を感じる事も少なくなったし。




けれども、こんな不安も併せて僕を襲ってくる。





“この学びはこの仕事だけで他にも活かせる場面はあるのだろうか?“





一見すると違うものに見えても、過去の経験や知識から類推して応用する
スキルの重要性に、今思えば薄々気付いていたのかもしれない。



そんなこんなで一抹の不安と新しい刺激を感じにくくなり、くすぶっていた僕に声をかけてきたのが1年前に辞めた先輩Tだった。





  • 今なら創業メンバーだよ

  • 自分の成長が会社の成長になる

  • キッカケは与えるから、チャンスを掴むのは自分次第だ

  • 会社運営に携われる





僕の中では十分すぎるほど、希望に満ち溢れている内容でね。


「何かを成し遂げたい」という想いと、
「今の現在地でのもどかしさ」が自分の中で対立している時に、キッカケと想いが上手く繋がった感じ。




“このチャンスを逃したら次はいつになるかわからない”


そう自分に言い聞かせて説得をし、僕の頭の中は先輩Tの所で上手くやれる手立てを考え始めている。


「ここなら自分はもっと成長できる」
と思った僕は先輩Tの会社に行くことを決めた。







そう。




読者のあなたは気づいてるかもしれない。






この「ここなら自分はもっと成長できる」が問題の元凶であることに。



有名な人や実力がある人に学べば必ず一流になれるわけではない。結局は自分自身の問題、もっと言えば考え方だと必ずどこかで向き合うことになるのにな〜(遠い目)




自身の学びの要約






3.諸刃の剣と再定義



他人軸で物事を決めるとどうなるのか?





自分の想定外の事が起きてくると他責にしがち
だ。


もしくは、自分の自責できるキャパを超えてくると冷静な判断ができなくなり、バランスを取るために自分以外に責任を転嫁する。




↑この考え方を手に入れる事ができたと思えれば、これから語る出来事もプラスと捉えていいのかな?(それでも自分の中で消化するのに時間はかかったけどね)



突き詰めれば、自分軸であっても他責になる場面はもちろんある。


だけど、自分軸の方がネガティブな出来事に耐えられる体力が多いし、ネガ→ポジ変換の質が圧倒的に違う。


他人軸だとやっぱり他人から生み出された思考や副産物なので、参考にしやすいけどどこか他人事になっている自分がいる。


自分のことが可愛いのは大小関わらずあるからね。



文章やコンテンツ一つとっても、自分が書いたり作り出したものは愛着が湧く。

上手く伝わらなければ改善しようとする。





一方で誰かのコンテンツを実践したり読んだりした時に、書かれていることと違う結果が出たりすると、


  • 「再現性がない」

  • 「言ってる事が違う」

  • 「抽象的すぎる」


など他者にフォーカスが最初にあたりがちだ。



どの基準(軸)で思考する、もしくは実践するかで見え方が大きく変わってくると僕は考えてて。





話を元に戻すと、先輩Tの会社に行って得られた経験や学びは無数にあった。


けれど、自分の思い描いてたものとかなり違ったために最終的に1年で辞めてしまったんだよね。



違うというよりは、
「異世界に来ちゃったよ、、、」
みたいな感じ。(流行りの異世界転生的な)



結局は先輩Tの甘言や自分ではない判断軸で決めてしまったツケなのかなと今改めて思う。





↓の記事では先輩Tの会社での出来事を取り上げて、そこでの学びを抽出したものを綴ってる。






先輩Tの会社に入ってからは会社に週4日は寝泊まりして、休日は呼び出されて先輩Tの付き添い。



会社を大きくするために、アポを取り自分の会社やビジョンをプレゼンして入社してもらうための営業活動。(これが1番精神すり減ったかもしれない。徐々に会社の魅力を伝えるのではなく、会社に入ってもらうための営業になっていたから。)



夜の店に付き添えば、お店内でのお会計は伝票見せられることなく先輩Tが先に会計を済ませ、店を出てから言い値で請求される。(普段他の社員よりマインドの話やビジネスの話を聞かせてもらってるから勉強代と思えばいいかとポジティブにカテゴライズした。)




終いには、電話も必ずワンコールで出ないと第一声が



「おいっ、、、おせーぞ??????どこにいんだよ??」


「お前は電話に出ることすらままならないのか??ああ!??」





これじゃあまるで舎弟じゃん???と思ったよね。



むしろ、気持ちがいいぐらいの昭和(笑)




そんな経験の中で、「自分の基準値レベルを上げて成長したい」から、いつの間にか「先輩Tに認められたい」にすり替わっていた。



なぜ、すり替わってしまったのか?



当時を振り返って考察してみると、退路を完全に絶ってしまったからかなと考えてる。


もちろん、ある程度自分を奮い立たせて集中するために退路を断つ事を念頭に入れたとしても、この結論が出てきただろう。






プライベートのLINE等のやり取りも見られていたので、いつ見られるかわからない状況でメッセージを残したりすることはできなかった。



時々「りなって誰だよ?」って唐突にやり取りしてた人の名前を出された瞬間に、冷や汗と同時にまた人のスマホみたのかという怒りも覚える、、






誰かに相談するにも、先輩Tにシラを切られればそれまでなので立ち向かう気力もない状態。(根回しが上手い)


逃げ道の選択肢がなければ、現実の捉え方を変えることがベターだと考えるようになってく。




したがって、先輩Tに認められれば僕に対しての待遇も変わるのではないかという希望の元、自分の中での判断基準が変わって認められたいという考えにシフトしたのだ。


よりいっそう他人軸による意思決定が強化されてしまい、結局は心のキャパオーバーに繋がってしまうんだけどね。






監視
外部情報(外部との繋がり)の遮断
人格(存在意義)の否定



これらは悪い意味でのマインドコントロールにおける三種の神器。




この環境を選んだ自分にも非があるのに理解は示しつつも、他人軸での意思決定なので環境への不満もどんどん積もっていき、最終的には退社というのがここまでの流れ。



有名な名言に、


「人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を変える。

2番目は住む場所を変える。

3番目はつきあう人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。



最も無意味なのは、

『決意を新たにする』ことだ。」

大前研一さん


ということを述べている。


個人的には3つの要素全て環境という概念に括れるなって。


環境依存や退路を断つことは、諸刃の剣だと僕は思う。



環境の変更や選択肢を減らして集中することは、大きな変化を与えたり効果的な結果が期待できる反面、副作用も大きいんじゃないかな。


自分の頭でよく吟味することが改めて大事だと痛感させられたね。







“退社できたのはいいけど、これからどうしよう?”




これが正直な本音だった。


僕より以前に辞めた人も長いこと先輩Tに詮索されていたので、僕自身も同じ業界に居たくはない。




「また再出発か。」



今まで辿ってきた道が無意味になり、また0に戻ったような感覚。



いっそのこと、生きてるだけマシと考えるべきだろうか。



人生の再定義と言ったら大げさだけど、この経験を意味あるものにしたいなと思っていたその時にふと目にしたものが。



〈当時を振り返った今、この時の学び〉

・無思考に他人を信じて自分の考えなしの行動でどん詰まりを経験したことで、自分の意見を持って自分の人生に責任を持って生きることを改めて決意。

・退路を断つことを突き詰めると、後がないというプレッシャーから精神の内部崩壊が起きる可能性が高くなる。心の体力を見極めて、負荷のバランスを考えることが必要。

・歩んだ道の活かし方(繋がりを見出す)、作り直しの重要性(今までのものを0とする、ないしは無かったことにすることからの脱却。→この無に感じる感覚が新しいことへの挑戦にハードルを上げているのでは?)を再確認。

・自分軸での意思決定が内省を促し、試行錯誤の原動力となる。

自身の学びの要約






4.創造の風




“具体と抽象”




この言葉自体は以前に細谷功さんの「具体と抽象: 世界が変わって見える知性のしくみ」という本で知っていた。


内容も理解しやすい形で書かれていて、とても読みやすい。


ただ、僕にはこの具体と抽象を活かす術を持っていなくて。


相手に合わせた具体例を話せたり、相手の話から言いたい要点を抜き出して共感を引き出したりすることも具体と抽象の一例なのかなとも思ったり。


とにかく、何か自分に合う方法はないか模索してみることに。










難しい、、、、



それは必然だよね。


今まで他人軸で物事を考え、目に見える実績や経験に翻弄されてきたから。



このようないわゆる思考を変える取り組みはほとんどしてこなかった。


そもそも、方法論を探している時点で具体と抽象の思考からは逸れている可能性だってある。


何もヒントやアイデアも見つからず、先輩Tの会社を辞めてから1ヶ月の充電期間を経て現在の会社に就職した。


(辞めた次の日から1週間ほどは「自分の布団で好きなだけ寝れることがこんなにも幸せかよ!!」と思い泣きそうになっていたぐらいには疲れてた、、)






現在の職種は覚える事が膨大で年々工程も増えるから、やることは際限がなく常にレベルアップが必要。


とはいうものの、ある程度やり方のパターンや型があるので一度身につけてしまえば幅広く応用できてしまう。




何やかんや職を変えて半年が経つ頃には、就職した当時よりは少しだけ余裕がでてきた。


崩れたメンタルや体調をもう一度元に戻すのはかなり時間がかかるね、、、


人間面白いもので、余裕が出てくると今まで考えなかったことを考え始める。(没頭は集中環境を生み出すとも言えそう!)






自分の伝えたい事や考えなどを文章にしたいと心に秘めていた僕は久しぶりにTwitterを開く。(文章を書く力は仕事上でも必要な能力だと僕は考えていた。)




すると、






“今日のアウトプット”

“他人の記事を使って考察noteを書く”





当時は


  • 〇〇したら稼げます

  • フォローしていただけたら、今なら五万円相当の教材を無料でお配りしてます

  • Twitter〇〇戦略

  • インスタの文字投稿で〇〇




みたいなツイートで溢れかえっていたので、とても興味が湧いて目に留まったのを今でも覚えている。


言い忘れていたけど、元々副業情報みたいなものにうっすらだが興味はあった。



noteというプラットフォームも能力がある人が有料記事を出して副業するという印象だったので、手を出さずにいたんだよね。




先に言ってしまうと、考察noteのツイートをしていたのはジラ谷さん。


(↓ジラ谷さんのTwitter)
https://twitter.com/jiratani_world?s=11&t=7CDaMCOAvB66FgGhYrqzeA





ジラ谷さんの考察noteを見てみると



思考
具体と抽象
言語化
構造
視点・視野・視座
体系化
細分化
繋げる



といった具体性や再現性といった流行りのものからはかけ離れたものを主張しながら、日常にある具体例を使って書かれてるではないか!(無料記事で)



僕の求めていた具体と抽象についても。


スタンスも僕には心地よくて、「使えるものがあれば持って帰ってね」というものだった。





結果と効率が求められる現代において、自分の頭で考えるという過程は見落とされがちで、なかなか多くは語られていない。



まあ、この考え方の部分がその人を存在させる重要な部分であって、秘密にしておきたい所なのかなー。



問題が発生するたびに、効率重視で外部に解決策を求めれば対症療法的に解決するのは早いが、根本の原因を見出したり解決策を考えるのは到底難しいようにも思える。






話が逸れてしまったが自身の経験や過去を具体として、主張したい事を抽象という立ち位置にしてて。


あえて主張したい事を抽象の部分に持ってくることで解釈に幅を広げて懐の深さを出し、無意識に近い状態で自分の頭で考える過程を設けているんだよね。



図解するとこんな感じかな?








それから上手く比較しながら繋がりを作り、ストーリーとして再創造していたのだ。


おそらくこの段階で僕は、頭の理解は追いついていなかったが感覚としては自分で何かを生み出すための基礎概念だと察知していたのかな。


次第にジラ谷さんのツイートにリプやいいねをしたり、noteが投稿されれば読み込んだりと交流するきっかけをつくることになっていく。



〈当時を振り返った今、この時の学び〉

・視点の転換(ジラ谷さんのnoteを読んで)
→日常ではあまり馴染みのない概念や思考といったものを取り入れるために、身近な具体例や体験を使って間にあるギャップを狭めて心理的ハードルを下げている。複数の視点を使って多角的に主張して、読者のアンテナに引っかかりやすいようにリメイク。(具体と抽象の往復の賜物)

・無数にある事象(点として存在)に自身の視点で繋がりや意味づけを行うことで線になる。その線を体系化して価値提供したり、さらなる好奇心を駆り立てて没頭状態を生み出すきっかけにも。

自身の学びの要約






5.回廊創造




ジラ谷さんとやりとりする中で、僕もアウトプットの一環としてnoteを書くことにした。






これは考察noteの中で初めてかいたやつ。(懐かしいな〜)



アウトプットする前は



“変に思われたらどうしよう”

“誰が読んでくれるんだろうか”

“こんなこと言ってないみたいなコメントきたら、、、”



みたいなことをぐるぐる考えていた。





けれどもそんな不安は杞憂で、引用元のジラ谷さんが読んでくれる。


さらに引用元の記事をベースに考えを巡らすので、普段自分自身では考えないような事に頭を使ったり、新しい発想が生まれたりするのでむしろ好奇心の方か強くなって、様々なことに興味のベクトルが向く。






最初は興味半分でやっていたアウトプットが徐々に自主性を帯びて、日常に対して自ら考えを深めていくように。


腰が重いのは当然だと思うが、アウトプットをする内に「自分ってこんな事考えられるんだ!」みたいな小さな発見が増えていく。


この発見が楽しいや好奇心といったプラスのモチベーションになっていくのかなって。





それから2、3ヶ月noteでアウトプットを続けてると、noteの読書企画があり参加してみた。





残念ながら賞はもらえなかったけど、



自分の体験 ×   本



という複数の視点で組み合わせて書いたのもあり、達成感は凄かったなー。


具体と抽象を意識しながら、過去の経験と本の学びを繋げる要素を見つけ出す訓練になったはず。


読書感想文って要約を書きがちになりやすいから、繋げることに関してはかなり意識をおいたかな?







ちょうどこの頃にジラ谷さんからコミュニティのお誘いがあり、日々の活動を意識するようになったね。(お誘い時は心の中でガッツポーズ決めた)




コミュニティに入ってからは、



  • ジラ谷さんに書いて欲しいテーマを提案して、完成された文章を読んでアウトプット

  • 自分の軸となるものを勉強して、ミーティングの時にプチセミナー(僕の場合だと言語学)

  • 日常の出来事を情報発信と絡めてアウトプット(繋がりを意識した会話)

  • リアルとオンラインが乖離せず、相互作用で良い循環が生むような活動を模索してプレゼン

  • 本を一冊選び、そこで学んだものを自分の世界に合うように落とし込んで価値提供

  • 自分軸を深掘りして、様々なものに繋がりを見出せるようにワーク




挙げ始めたらキリがないくらい色んな活動をしてきた。(ほんと1年ってあっという間すぎ)


様々な活動の中でも共通していることがあってね。






それは、自分の頭で答えを出して意思決定すること





えっ?って思うよね、、、


でもこれって当たり前のように思えて意外にもやれていなかったり、知らず知らずに失われている活動かなって。




“再現性が高い”
“具体的ノウハウ“
“〇〇ルーティン”


身近な有料コンテンツやツイートには溢れかえってて魅力的に映る一方で、自分で考える癖や思考力を奪っている。


しかもそのまま使いこなせるよう上手く纏められているために、「どういうこと?」と思うようなことも少ない。





一方ジラ谷さんのコミュニティは、ヒントとなる素材は沢山いただけるが、すぐにそのまま使えるといったものではないため、自分で汗をかいて考えを積み上げる必要がある。



人によってはさっさと問題解決したいと思うかも。



けど裏を返せば、自身で設計して行動までしてるので納得感あるし、自分事として試行錯誤しやすい。


これやっても結果出ませんでしたみたいな思考になりにくいし。




なおかつ、そもそもこの問題の前提は?といった根っこの部分にまで踏み込めるアプローチも思考力を鍛えればできるようになると僕は考えててね。


場当たり的な解決を好まない人にはうってつけだ。





そんなこんなで自分の頭で考えることに楽しさを見出した僕は、コミュニティでの活動を通して徐々に自分を深掘りしていく。









ある時に自分の好きな事や興味のある事を書き出すワークをやって、149個目のワードを書き出そうとペンを動かそうとした際にふと






回廊創造




というワードが浮かぶ。




汚い字はご愛嬌ということで、、、笑






あまりに突然の出来事だったので、しばらくは「なんで浮かんだのだろう?」状態。


それでも1日、2日とワードが浮かんでから時間が経つにつれて自身の感覚に馴染んできた。



7番目→御朱印
83番目→神社・寺

というワードが出てきた時に、「そういえば、神社とかお寺にある廊下って名前がついてるのかな?」という疑問が浮かんできてね。




調べてみると、

【回廊】
→長くて折れまがった廊下。

Google検索より


ということがわかり、ここから今までの出来事が少しずつ重なっていく。





神社や寺、御朱印と聞くとイメージとしてまず神聖なものというのが僕の中にはある。(縁結びの神様やパワースポットっていうし)


神聖の代表格としてはやっぱり神様だ。



神は神話の形でよく創造主として語られる事が多い。


ギリシャ神話などでは、神の生みの親であるガイアから宇宙が創造されて神々を生み出したとされる。




天と地
光と闇
昼と夜


といった形で2つのものから派生して次々に万物の基本となるものが作られていく。





ここで僕は回廊=万物を創造する神(創造主)が歩んだ道のりと捉え、万物のものからヒントを得て創造または想像して道(選択肢)として生み出していくという意味に再定義したんだよね。



回廊は神聖な場所の廊下だから。

もちろん道と回廊もかけている。



というのも道半ばという言葉があるように、自分の選択した道を歩んでる最中の葛藤や背景もニュアンスとして込めたかった。





そして気づいている人もいるかもしれないが、このnoteに書いた時系列のストーリーがそのまま、回廊創造が生まれる要素になっているよ。




道を作るとすることで、道を歩んでいる自分自身という等身大を表現できるし、道半ばであればその道の中で葛藤している部分も含めて伝えたいという想い。(自身のやってきた活動である日常のものを繋げたり、ストーリーを言語化することに根ざしている)
4.創造の風

周りの見せかけの希望に惑わされず自分軸を形成するために、自分が歩んできた道を寄り道しながらも繋げていく
2.葛藤と決断の狭間


道があれば現在地を把握しやすいので、後戻りという選択も取れるという安心感
3.諸刃の剣と再定義


「本当はこのように思っているんだよな」などの心の奥に秘めている感情や想い、主張である自我と現実のギャップを埋めるための道筋を模索
1.漠然とした虚無感




回廊創造が生まれたプロセス




あともう一つ。


道 × 回廊


の他に


(思考)回路 × 回廊


もかけている。



このコンセプトはコミュニティでnoteを通して文章を書くようになったのを元にしててね。






回路と聞くと、思考回路や電気回路と言った言葉と馴染みが深いと思う。



どちらも脳と関わりが深い概念だから僕は脳という考える器官に着目した。



回廊は道を表すことから、脳内に張り巡らされていると解釈。(思考回路の神経の比喩)





また、脳はまだまだ科学でわからないことがあるので非常に神秘的なもの(神聖なもの)に近い。



神秘的なものと神聖という言葉が類義語のように感じたので、回廊と回路を組み合わせてみたんだよね。



脳が生み出すひらめきだったり、想像力を創造という言葉でまとめたわけ。





点と点の知識が繋がって線となり体系化されることは割とよくあるけど、全ての出来事に道があって、繋がることでストーリー性を帯びて今までの体験に意味があったと見出せるのが繋げることの醍醐味。(具体と抽象のメリットかなー。)






僕自身がこのnoteをただの自己紹介で終わらず書けたのも、コミュニティの活動や具体と抽象のトレーニングがあったから。




回廊創造が生まれた要因




繰り返すことになるけど、回廊創造を一言で表すと、



“万物のものからヒントを得て創造または想像して道(選択肢)として生み出していく”



ことだ。





回廊創造というワードが出てきた時に、この世界の創造主は神など少しばかりスピリチュアルに感じた人もいるかもしれない。


けれど、世界を自分の世界と捉え直したらどうだろうか?



自分の世界の創造主は自分であり、万物とは日常だ。





日常に対して人よりちょっとアンテナを張ることで、身の回りの解像度を高めていく。


解像度を高めれば色んな道(選択肢)が見えたり、逆にこの道は遠回りだからと道を作り直したり、戻ってみたり、、、




回廊創造の理想世界(未来)として、


日常から学びを抽出できるので、自走できる(しやすく)ようになる
→自分の関わる場所やもの全てが学び場に。


言語化が上手になる
→日常から学びを得るということは日々にアンテナを張り自分の興味や好奇心、さらには心の変化を観察して何かしら前進したという感覚を得ること。この感覚を言葉にするのに沢山頭を使うので、気づいたら周りより言語化が容易になってる状態。


執着を手放せる(依存からの脱却)
→道半ばというニュアンスがあるため、唯一の正解に縛られないことが前提。あくまで道(選択肢)は最適解という感覚だから不変ではないため、常にアップデートするというスタンス。


周りに翻弄されずに自分軸が作れる
自分が創造主なので、周りなものは参考にするという意識。万物からヒントを得るという立ち位置なので、自分の殻に籠らずに様々な世界から必要なものは取り入れる感覚。他人の作った道に乗り換えるのではなく自分で道を開拓するので、外部の情報に触れたとしてもブレづらい。


日常という人が1番関わる場所を実りあるものにする
希望や理想を現実から離れたどこか掴みどころがないものではなく、しっかりと辿りつけるような道筋を模索する。希望や理想に辿り着くまでのプロセスも学びや興味を向けて、ふわふわでなく歩んでいる感覚を養い、楽しいやワクワクといったポジティブなものにする。



を目指している。





日常は十人十色であり人によって出来事への道の見え方は違うから、例え2人が同じ目標を持って行動したとしても、それぞれに違うドラマが生まれると思う。



日常を関わる人にも枠を広げれば、さらに沢山の道(選択肢)を見ることができるし、自分の世界もアップデートできるから人としての厚みもでるよね。



加えて人それぞれが辿った道を追っていくと、その人の考え方の基盤にも近づくことができたりと新しい発見や学びも生まれる。






何より、日常は自分であり続ける場所だと僕は考えている。


調子がいい時も、悪い時も自分が関わっているのが日常。


自分らしさが1番出る日常にこそ、自分軸や自分の世界観が隠されているのではないだろうか。






6.回廊創造を携えての今後




僕の世界観の原点である回廊創造は見つかった。


自分を掘り下げて具体と抽象を使えばどこかのタイミングで見つかることも分かったし。


見つけるがポイントで外部に見出すのではなく、自分の中から源泉を発掘する感覚かな





実は以前にコミュニティ内で発掘した枝葉の自分軸があって、それは言語学




「言いたいことが伝わらない」
「自分の意見を持てない」
「考えが上手く言語化できない」


みたいな身近な悩みを出発点に見つけた自分軸でね。


ちょっとしたキッカケで勉強し始めると、ソシュールの分節化という概念に行き着いた。


分節化】(かなり意訳してます)
→まず事象があって、言葉によって名づ けられるわけではない。言葉があってそのあと、事象が理解可能なものとして現前する。




新しい言葉を覚える時が一番分かりやすいかもしれない。


特に赤ちゃんや子供が言葉を覚える時は分かりやすいかも。


「ワンワン(犬)」という言葉を教えた時、最初は区別がつかず猫とかに対しても「ワンワン」と言ってしまう。


あれは「猫」でこっちが「ワンワン」だよと教えていくうちに、子供は徐々に区別できるようになり言葉とイメージが繋がっていく。


カテゴライズできるようになってはじめて、「ワンワン」や「猫」がいる世界を認識始める。






話が逸れてしまったが、僕自身この過程を

無秩序→秩序を与える行為


と認識したわけで。



この無秩序から秩序を与える構造が、回廊創造の万物のものからヒントを得て創造または想像して道(選択肢)として生み出していくという概念に類似性を感じた。


この時に少なくとも僕の世界線の中では回廊創造が言語学を内包して大きな枠組みとして存在するようになってね。





僕自身“伝える”ことの悩みがキッカケで生まれた自分軸としての言語学をアウトプットとして発信していくだけでは、僕より詳しい人がいる中で埋もれてしまう。


そこで”伝える“の解釈をもう少し広げ、伝えるものはみな言語と捉えて図解に着目してみた。



何人かの人におびゆきの図解はわかりやすいと言ってもらえてたから。



ただ、図解も書籍があるほど猛者で溢れているのでどうしたものか。




そんな時にジラ谷さんから一つ参考にしてみてと、アイデアをいただいた。




“思考図解”





面白そう!



わかりやすい図解は多いが、完成された図解に用いたプロセスや思考まで解説されているものは少ない。(こういう記号や図を使えばわかりやすいですよ〜みたいなのは見たことある。)



  • なぜこの図を使って図解するのか

  • この図や記号を使った作成者の意図

  • 巷の文章や日常の出来事を図解にしてみると?

  • 自分より先に行く人の文章を図解にリメイクしてアウトプット



沢山アイデアが浮かんでくる。



回廊創造 ×    言語学 ×    図解




また新たな世界観が作られる予感。



この概念を携えて未知の領域を探索していけたらと思う今日この頃だ。






7.番外編



ここだけの話的なノリで、このnoteに使った図解を一つピックアップして解説していこうかなと。



選んだのはこちら。




ジラ谷さんの発信構造を図解してみた






①ジラ谷さんが言ってることを複数ピックアップ




○具体的なこと
× 抽象的なこと
ということではない




視点の数が多いほど既視感なく様々な角度で伝えられる。



抽象的なもので具体的なものを内包させる。



思考して自分なりの言語化。




②言葉とイメージを繋げる


ここでもしっかり、言語学を応用。


英単語を覚える時にイメージと言葉を結びつけたりするけど、そんな感じ。



  • 社会的に使われているイメージ

  • (ジラ谷さん)独自に定義された言葉のニュアンス

  • 自分の解釈から連想されるイメージを元に図や記号を使う



これらの要素を盛り込んでみた。






まずはオレンジ線で囲んだ部分を見て欲しい。



文章やプレゼンなどにおいても、結論を先に述べてから中身の骨組みを話すことが多いと思う。


これは一種の社会的なスタンダードになってるといえそうだよね。


基本的に結論である以上理解できることが多く、わかるからこそなんでその結論になったの?という根拠を求めるだろう。(または論理が受けて側では繋がらずどういうことの探究の意で求めることも。)





この仕組みを僕は直接図には盛り込まず、ジラ谷さんの発信構造との対比要素として間接的に盛り込んだ。


巷の言葉で言うと仮想敵にあたる。


間接ではなく直接盛り込むならこのように作ってた思う。





これだとジラ谷さんの抽象という枠で具体を内包することを表すのは難しいと考えたわけで。


抽象というパッケージで包んで発言しているけど、いくつかの具体を内包させて見る人によって違う解釈を持ってもらい独自の思考を繰り広げて欲しいという意図付け加えたかったから、オレンジ線で囲んだ画像を採用した。



ジラ谷さんの発信は一回見てすぐに全てが分かるというわけではないので、ある程度の期間内容を追っているのであれば、こういう価値提供の仕方もアリかなと思うよね。(逆に言えば、すぐにわからないものほど理解レベルが変われば見え方も変わり、既存の人にも学びを提供できるモデルだとも僕は捉えている。)







続いて紫線で囲んだ部分。


気づいて欲しいのは抽象の枠には矢印を向けていない所かな。



あくまで具体の部分に受信者が視野を当て(自身がしっくりくる具体を選び取るという要素も大切)、思考を巡らす中で抽象との繋がりを作るという感覚を取り入れたかった。


思考図解ということで、言葉以外にも伝える要素を持たせて作っている。(単純なミスで意味を込めるのを忘れていたらごめんなさい🙏)





本来なら結論から述べる型を使う時には具体の部分で発信者が論拠を持たせるところだが、ジラ谷さんはあえてそこを受け手に任せている所が大きい。


完全に受け手任せなわけではないが、ここに思考を割いてもらうことで、具体と抽象の型を無意識に体験してもらい感覚を養ってもらおうという配慮が感じられる。


↑は僕の解釈でこれが”自分の解釈から連想されるイメージを元に図や記号を使う”だ。









こんな感じで今後の活動では思考図解を作って、一段ギアを上げたアウトプットと価値提供に励んでいけたらいいな。


ノンストップでここまで読んでくださりありがとうございます!!🙇‍♂️



回廊創造
言語学
思考図解



を使って面白い発信をしていけたらと思います。

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