マグネット・ワード(〜自由に繋げて意味をリメイクする〜)
自分で答えを見出せない。
日常の出来事を他人事のように感じる事が多い。
他人の主張(定義)をそのまま鵜呑みにしてしまう。
連想ゲームのような、物事の繋がりを見出す事が苦手。
『良いか悪いか』などの二者択一で思考しがち。
かつて、僕はこのように感じることが非常に多くありました。
もし、いま読んでいるあなたも共感できる要素が一つでもあれば読み進めてみてください。
自分の体験✖️言語学
を組み合わせてこのコンテンツを書きました。
言語学
哲学
脳科学
心理学
など学問の名を聞くと、少し背筋が伸びて肩に力が入ってしまいますよね。(僕だけでしたらすみません。)
そんな心配せずに、気軽に使える所や面白い所を持ち帰っていただければと思います!
1.なぜこのコンテンツを作ろうと思ったのか?
“生きやすくしたいから”
これがこのコンテンツを作った理由として中心にあります。
年々、何を言うかより誰が言うかにフォーカスされつつあり、全面的に凄い人や影響力のある人の主張が支持される傾向がありますよね。
もちろん、自分の好きな人や尊敬している人の言うことを参考にするのは僕自身もしますし、悪いことだと思っていません。
けれど、僕はこういった影響力のある人の言葉を自分の考えを挟まずに鵜呑みにする事に違和感がありました。
本編に入る前に少し話をさせてください。
2.違和感に気づいた体験
僕はいまの仕事につく前に、生き方がカッコいいと思う先輩Tが作った会社で一緒に働いていました。
その先輩Tとは以前の職場から一緒に仕事をしており、面倒見が良くて入社2ヶ月で県内トップ。
さらには全国10位内に入るトップセールスの実績を持っていたのです。
バケモノ級の凄さ、、、、
お酒のマナーや夜遊びなども教えてくれて、
『仕事以外にも色々な魅力を持った人』
だと僕には映っていましたね。
僕が入社半年後に異動となり、その先輩Tとは別々になりましたが、異動から約1年が過ぎた頃に突然連絡が。
『なあ、俺の会社に来ないか?』
当時の僕は仕事にもある程度慣れてきたので、何か新しい事に挑戦したいなあという気持ちもありました。
ただ、せっかく入った会社をすぐ辞める事にも抵抗があったのでかなり悩みましたね。
『うーん。。どうしよっか。今いるところは大きい会社だし福利厚生とかもしっかりしてるし。仕事も主体性持って動くほど色々な案件もらえるしからな〜。でも誘ってくれたのはすごく嬉しい!』
葛藤は沢山ありましたが、最終的には尊敬している先輩Tだったので二つ返事でついて行くことに。
最終的に先輩Tの会社に居たのは約1年間でした。
なぜって思うでしょ?
単純に僕の能力や努力が足りなかったから続かなかったと言われたら、それも事実かもしれません。
ですが、先輩の会社を離れて改めて振り返ると不可解な事もいくつかありました。
人格否定
軟禁(週に4日会社での寝泊まり)
寝ている時にFace IDでロックを解いてLINEのやり取りを見ていた。
休日は会社に顔を出すこと(休日は固定ではなくシフト制だった)
先輩の会食時の送迎(タクシーではなく僕が会社の車で迎えに行ってました)
『とんでもない所にきてしまったな。』
違う時代にタイムスリップした感覚です。
『最初はできたばっかりの会社はこんな感じなんだろう』と言い聞かせて、無理やり納得させる自分もいました。
もちろん、当時の自分よりも大変な経験や苦労をされている方が今読んでいる方にはいると思います。
ただ、この経験は僕にとって今まで生きてきた中で1番の難所だったと感じてて。
『自分はいったい何をしているのか。』
『先輩Tにとって都合のいいようにされるために会社にきたのか?』
『実は僕に見せてた姿が表の顔で、本当はこっちが真の先輩Tか、、。新手の洗脳?』
心が沢山僕にささやいてきます。
この体験を単なる出来事として無駄にはしたくありません。
起きた事実としては変わらないけど、どうせなら次の経験に活かしたい!
すると改めて掘り下げてみた所、見えてくるものが色々ありました。
3.大は小を兼ねない
いきなり何を言い出すんだ?と思ったかもしれません。
僕も読者なら思います。
もちろん、関係があるのでここでお伝えしました。
ご存じの通り「大は小を兼ねる」という言葉があると思いますが、僕は半分本当で半分違うのではないかと。
それは、
『繋がりを見出せたり条件が整った時に成立するもの』
だからです。
どういうことか?
先ほどのエピソードであれば、先輩Tは自分よりも仕事ができるし人生経験が豊富なので、
自分よりも格上の存在だという考え
が無意識に作用
されていました。
自分より優れている要素にいくつか着目する内に、
勝手に自分の中で相手という人間を創造してしまっていたのです。
これって割と盲点ではないでしょうか?
自分よりある点で優れているから自分を内包している(全て上回る)とは限らない
と気づくのに僕はかなり時間がかかりましたね。
1つの優れている要素を拡大解釈してしまうことは、今このコンテンツを読んでいるあなたも経験あるはず。
例えば、Twitterやインスタでの有名インフルエンサーの言うことを鵜呑みにすること。
最初はある一部分で共感したりして有名インフルエンサーをフォローしますが、
『それな〜』
『わかるー』
『だよね!』
と次第に全面的に信用してインフルエンサーの発信を自分の思考を挟まずに取り入れたり。
はたまた、自分と前提条件が違うにも関わらずひたすら数打てば当たる戦法で突き進んでみたりと。
本来なら、インフルエンサーの発信を上手に取り入れて消化する必要があります。
別の例を挙げると、本の読み方でも同じ事が言えます。
本は信用度が高い媒体で良くまとめられていると思われますが、
実際にある程度本を読む習慣がある人にとっては、内容がある本とない本の見分けはすぐにつくでしょう。
読書習慣がない頃は、著者の主張を僕は一言一句追っていました。
これも本を出す人は自分より能力の高い人たちで(この能力も何を指すかは曖昧でした)、
基本的に自分の持ってない視点があるから全面的に信頼できると思って読んでいましたね。
(よくよく考えれば、人それぞれ物事を見る視点は違うので自分の持っていない視点を持つ確率は高いと思います、、、)
しかしながら、この読み方だと1冊読み終える頃には内容が右から左に抜けてしまう事が多いです。
著者があれこれ考えて言葉を配置しているので、自分にない経験や知識もふんだんに使われていますから、そっくり頭の中で理解するのは難しいですよって話で。
『結局自身の経験と筆者の主張を上手く紐付けないと、記憶にも知恵にもならずに最終的に実践もしないから実感も湧かない。』
悪循環に陥ることを肌で感じた出来事です。
これも大は小を兼ねない例の一つですね。
4.影響力(形式)の罠
冒頭でこのコンテンツを作った理由として、
『生きやすくしたい』
と言いましたがこれと深く関わってきます。
大は小を兼ねるの考えを多用しすぎると、どうしても生きづらくなると僕は考えていまして。
なぜなら、大の人の行動を自分が真似るほど苦しくなっていくからです。
自分より凄いと思っている人の要素を真似るということは、その凄い人に今より近づくということになります。
(厳密には凄い人も成長をするので凄い人の成長率を自分が上回る必要があるとは思いますが、、)
もちろん、前提としてその人のようになりたいなど憧れや尊敬を否定するつもりはありません。
現に僕自身も憧れている人や尊敬している人はいますからね。
ここではちょっと視点を変えて話をしましょう。
俯瞰するように見た時に、
その憧れの人に近づくことは今の自分よりも個性が失われるという可能性がある
と僕は言いたいのです。
理想があるから頑張れると思いますが、その前に行動しなければ何も変わらないのも事実だと。
理想に意識が向き過ぎて今の自分を否定するような生き方は僕にとってはしんどいなぁと感じていまして、、、
僕が過去に受けたコミュニケーションのセミナーで講師の人も、
と話しています。
理想を起点にするのではなく今の自分を起点にして考えないと、理想までのルートに実感が持てなくなりますし、
どこかで疲れてガス欠になり、最終的には絶望して自分の可能性を自ら閉ざしてしまうのではないかと僕は思っています。
5.生きやすくするためのカテゴライズ
陳腐な表現かもしれませんが、
結局のところ自分の人生を生きている実感がないと幸せを感じづらいのではないかと僕は考えています。
自分の好きなものや価値観、考え方、環境など自分という個を自由に表現できる状態は生きやすいかと。
しかしながら、現実世界は理不尽で自分の思い通りにいかないことの方がほとんどだと思います。
誰かによって作られた場所や価値観のままで生きていくのは自分で試行錯誤しないでいい反面、
自分にしっくりくるものを見つけるのはとても時間がかかると考えてます。
さらに、自分の世界で生きることからはどんどん遠ざかっていくでしょう。
自分探しの旅という言葉があるぐらいですし、
この言葉も外部に自分の世界を求めている限り、自分で創造したものではないのでこれまた難題ですね。
では、どうすればばいいのか?
ここで大事になってくるのが、今回のテーマでもあるカテゴライズ(再定義)です。
生きやすくするために、
自分の人生を生きている実感(理不尽な世の中で少しでも自分がコントロールできる割合比)を増やしていく
のがカテゴライズの意味だと僕は考えています。
カテゴライズは言語学の中で出てくる一つの概念。
始まりを辿ると中世ヨーロッパの自由七科の1つ修辞学、更には古代ギリシャのプラトンなどギリシャ哲学者たちまで遡ることができます。
ですから、どこの誰かが分からない僕が勝手に述べているものではなく学問として存在しています。
ちなみに言語学を内包して、広い視野で物事を見る学問の哲学を独自の視点で発信されてるこの方は面白いですよ。(ちょっとした宣伝です)
(ジラ谷『異世界交流』さん)
https://twitter.com/jiratani_world?s=21&t=0Ca7AHOpY-HehcSdplPqOA
(本の参考文献のようにこのコンテンツを作る過程で参考にさせてもらってるものは、リンクや引用をしていきますね。)
話しを戻すと、ただカテゴライズの概念をこのコンテンツでつらつら並べるだけでは面白くないですし、僕のコンテンツでなくてもいいわけです。
今回は僕の体験やその時の心情を交えながら切り口を変えて話していきますので、
カテゴライズの力を少しでも感じていただけたらと考えています。
では、さっそく始めていきたいと思いますが準備はよろしいでしょうか?
6.カテゴライズとは何ぞや?
まずは、カテゴライズとは何か見ていきましょう!
何となく想像つくかと思いますが、カテゴライズは
「分類する」
「カテゴリーに区分する」
といった意味を持ちます。
“言葉が世界をつくる”
というフレーズを聞いたことはないでしょうか?
言語学の世界では、
「サピア・ウォーフの仮説」
というものがあります。
いわゆる、思考する際に言語が使われるなら思考はその言語の影響を受けるという考え方です。
ざっくり言うなれば、
世界をあるがまま認識しているのではなく、まず言葉を通して世界を整理している。
という感じですかね。
言葉を使って、ある視点や規定によって分類することが一般的なカテゴライズだと言えます。
ちなみにここで言うカテゴライズは方法論であって、僕が伝えたいカテゴライズ(再定義)は別の意図があります。
最終的にここで紹介するカテゴライズの方法を使って、
自分の周りの棲み分けを自分の生きやすいようにリメイクすること
が僕のカテゴライズ(再定義)の目標。
順を追って話していきたいと思います。
7.類と種
カテゴライズを理解する上で外せない概念
「類と種」
について話しますね。
例えば、”犬”という言葉。
これは2つの意味がとれるあいまいな言葉の良い例です。
『あっ、犬だ!』
と言った時に目の前にいる犬を指している場合は、個物(指示対象)としての犬ですよね。
これは見たものをできるだけ正確に伝えようとしています。
一方、初対面の相手と話している時に
『犬が好き〜!』
とあなたが言えばどうでしょう?
相手は、
『犬一般が好きなんだな』
って思うことが多いかと思います。
この時の犬は、種としての犬を指します。
いわゆる、カテゴリー(種)としての理解。
けれど、あなたが愛犬のジョンを思い浮かべて
『犬が好き!!』
と言ったならば、この時の犬は個物(指示対象)としての犬を表しています。
さらにカテゴリー(種)と個物(指示対象)の関係を見ていきましょう。
犬といってもカテゴリー(種)の範囲が膨大になるので、
・柴犬
・シェパード
・チワワ
の3つを具体例に考えます。
上の図の時、
・犬→類
・チワワ、シェパード、柴犬→種(サブカテゴリー)
という関係に。
『柴犬は犬の一種』(〜の一種)という言い方は類と種の関係を表します。
8.カテゴリーの性質
ここまで小難しい話をワーっと話してきましたが、これが終われば少し休憩を挟みたいと思うので頑張っていきましょう!
カテゴライズといってもいくつか種類があって、全部話すとそれだけで5000字位いきそうなので、今日は2つの分類方法を紹介しますね。
上手く活用するためにも、ぜひ覚えて帰ってほしいです。
①包摂分類
一言で表すのなら、包摂分類は種類に分けること。
復習になりますが、先ほどの類と種の関係に着目します。
この包摂分類の特徴は、ある観点からの分類という点。興味・関心や利害によって、類と種の関係が組換えられます。
世界という見えているものはそのままでも、頭の中での類と種の組み合わせは変更できます。
わかりやすいのが、人を好きになったり嫌いになったりすることでしょうか。
相手という人間が世界に存在することは基本的に変わりません。
ですが相手との関係性や出来事、印象などの特定の観点によって、程度の差はあれ好き嫌いなどの感情が芽生えると思います。
つまりあなたの世界の理解が、頭の中の類と種の組み合わせで変わるということ。
Twitterやインスタでのブロックもいい例です。
相手は現実世界のどこかにはいるけど、あなたの世界線ではいないも同然ですよね。
また、カテゴリーはある関心から個々のものに類似性を見つけてグループにまとめます。
嫌いのカテゴリーに分けられた人から類似性を見つけてほぼ無意識に相手を判別していくこともあります。偏見というニュアンスが近いかもしれません。
②分節分類
分節分類は部分に分けること。
全体と部分の関係に着目します。
分節分類の特徴は身体を頭・胴・手足などに分節するときのように、モノにおおよその切り取り線があらかじめ入っている点。
包摂分類のような自由度は少ないですが、一つのものをより細かく分析できるという特徴があります。
最初にお話したエピソードに出てくる先輩Tを例にとるなら、先輩Tという人間を構成する要素を洗い出していくイメージですね。
包摂分類は枠をもうけて対象を定義づけしていくのに対し、分節分類は内部から明確にして全体像を捉えていきます。
言語学では、
のようによく言われています。
ここまでをまとめると、、、
「包摂分類」
種類に分けること。
類と種の関係に着目して、『〇〇の一種』というフレーズで表せる。
※補足になりますが、最初に述べた類と種を包摂分類と捉えてもらってかまいません。
「分類分類」
部分に分けること。
全体と部分の関係に着目して、『〇〇の一部』というフレーズで表せる。
色々と新しい概念が出てきて少し疲れましたね。
少し休憩を挟みたいと思うので、飲み物など飲んで少しリラックスしましょう!
15分位経ちました?
そろそろ続きに入ろう思います!
さあ、知識編も次で最後の紹介。
このパートが終われば、『どう活かすか』の実践編になりますよ。
9.プロトタイプ
ところで、ギリシャ神話や古事記などの神様系を読んだり聞いたりしたことはありますか?
僕の場合、最初のきっかけは学生時代の授業で、元号や名称を覚えること位にしか興味ありませんでした。
読む機会があったのもここ1〜2年前位の話です。
もちろん、突然この話を出したのも意味があってのこと。
神話を語る上での伝え方の構造に着目すると、「プロトタイプ」の理解がより深まるでしょう。
神話とか昔の書籍って難解で時代も違うので、読みにくい印象を受けます。
難しい言葉もふんだんに使われていて、読むハードルが高くなることに拍車をかけてますよね。
なので、そんな神話や昔の書籍は話の構成がシンプル。
その採用されている構成が、対比(もしくは二項対立)です。
実際に見てみると、、
ギリシャ神話 →漠然とした混沌(カオス)が充満していて、そこに大地(ガイア)と奈落(タルタロス)が誕生。さらに暗黒(エレボス)、光(アイテル)、昼(ヘメラ)、夜(ニュクス)などの正反対の時間と空間が生まれる。
古事記 →混沌とした世界に、イザナギとイザナミの神が生まれる。二神は高天原(たかあまのはら)から地上世界に降りて、日本列島を生む。
旧約聖書 →神様が天地をつくり、動植物をつくり、そして最後に作ったのが人間。すなわちアダムとイブ。アダムとイブを通して、罪などの概念を伝えている。
このように対比や二項対立は、理解を促すのに適切な方法ではないかと思います。
僕自身の解釈ですが、混沌(僕たちが生きる現実世界と捉えて)から自分の興味や関心によって世界を2つに分類して捉えると、
広大な世界がふと理解しやすい形に変わることへの比喩ではないかと考えていまして。
自分の考えや主張というのも他者の意見や主張があってこそ、初めてより深く考えられるものだと感じているんですよね。
その一方で便利な反面、見逃しがちなデメリットもあります。
それは、対比や二項対立で使っている2つのものから逸れる概念や考え、または白黒はっきりつかないものについては深堀りしにくいということ。
言語学で有名な事例に「砂山のパラドクス」があります。
言葉の定義づけの難しさを表していて、
『どこまでが砂山で、どこから砂山ではないと呼べるのか』
というものです。
・砂山
・砂山ではないもの
これも2つの対比構造になっていますね。
先程の話を踏まえると、対比構造や二項対立のものは白黒はっきりしているのが特徴でした。
しかし、砂山と砂山でない境界線(基準)ってかなり曖昧じゃないですか?
『砂が何粒以上あれば砂山』ってのもしっくりきませんし、『高さ何センチ以下は砂山ではない』っていうのもちょっと変な気がします。
思い出してほしいのが、カテゴリーはある観点による分類でしたよね。
ということは、見る人や状況によってその観点にはズレが生じるわけです。
このズレを容認したり、この観点に近しいもの(典型例)を設定して中心に据え、派生させながら考えること。
それが、プロトタイプです。
ざっくり言うと、定義づけの条件を広く(抽象化)して考えます。
カテゴリーの内部は均一ではなく、中心があって周辺があるという仕組み。
先の砂山を二項対立で考えると、『砂山か砂山ではないか。その中間はない』と綺麗さっぱりに分かれる解釈でした。
しかし、プロトタイプは特性の束によって物事を捉える方法です。(グレーゾーンを容認します)
砂山を考える時も、明確に砂山か砂山ではないか区別できなくても砂山らしさがあれば砂山とみなします。
境界線を広げて考えることで、綺麗に分別できるという固定観念をとっぱらい俯瞰することが可能。
砂山、砂山でないもの、両方に属さないものを含めて見ることでより多角的に物事を理解できるでしょう。
個人が発信できる環境が整っている現代において、唯一の正確を見つけ出そうとするのでは息苦しさを覚えると思います。
そうではなく、個人に合ったそれなりの正解「最適解」を見つけ出す方がしっくりくるのではないでしょうか。
最適解を見つける意味においても、プロトタイプの考え方は非常に参考になると考えます。
10.ざっと復習
これまでのおさらいしますね!
まず、一般的なカテゴライズと僕の考えるカテゴライズ(再定義)について述べました。
カテゴライズ(一般) →世界をあるがまま認識しているのではなく、まず言葉を通して世界を整理している。
僕の考えるカテゴライズ(再定義) →自分が囲まれている世界の棲み分け(意味)を自分の生きやすいようにリメイクすること。
次に僕の考えるカテゴライズを実践するために、大切な概念を4つ紹介しましたね。
①類と種
カテゴリー(犬)とサブカテゴリー(チワワ)の関係。
種(チワワ)は類(犬)の一種と言える。
一つ上の概念(例えば動物)が出てきたら、種が(犬)、類が(動物)になる。上下入れ替わることが可能。
②包摂分類
類と種の関係に着目して、種類分けする。
興味、関心、利害に応じて類と種の関係が組み換えられる。
頭の中で構成された関係。
③分節分類
全体と部分の関係に着目して、分節(区切りをいれる)する。
世界の中に存在する地続き的な関係。
④プロトタイプ
グレーゾーンを容認する考え方。(特性の束によって物事を捉える)
『カテゴリーはある観点による分類』を踏まえ、ある観点に近しいもの(典型例)を中心に据えて派生させるイメージ
以上を踏まえて、これらをどう活かしたか話していきます。
11.過去の出来事をカテゴライズ
冒頭でもお伝えした先輩Tとのエピソードは、正直言うと思い返す度にしんどくなるものでした。
過去の経験がネガティブなものほど早く忘れたいものです。
自論ではありますが、忘れるというのは自分の中から無くなるイメージで、何かもったいない気がする自分もいまして。
どうせなら使える形で過去の経験を活かして、ポジティブな意味づけに変えたいと思い、『これだ』と思ったのがカテゴライズです。
できるだけエピソードを抽象化して、嫌な記憶を呼び覚ましにくくして、けれど経験を活かせる内容にできると僕は思っています。
過去のネガティブな経験は消えないけど、捉え方はいくらでも変えられる!
実際に先輩Tとのエピソードをカテゴライズしていきますね。
①分節分類で要素の洗い出し
まず前提として自分より優れている点にいくつか着目していくと、無意識に自分より上の存在だと思いこむ節が僕はありました。
自己肯定感がもともと低い自分にとっては、よくあることでして。
そこでまず、僕は分節分類で先輩Tを構成する要素を洗い出すことにします。
注意したいのは、客観視しすぎないこと。
数を出すことが大事なので、自分が思う主観的な要素で構いません。
数を出す理由としては、ポジティブな体験に解釈を変えるためには自分にとって有意義な繋がりを見出す必要があります。
母数が広がれば、それだけ繋がりを感じられる可能性も高くなりますよね。
ここでは長所や短所の判断は関係なく、思いのまま書き出していきましょう。
②包摂分類で先輩Tの立ち位置を確認
僕の中で、先輩の立ち位置はこんな感じでした。
一番最後の画像を見ると、僕が先輩にすっぽり内包されていますね。
これは分節分類で見た、
『仕事ができる』
『要領が良い』
『自分にも人にも厳しい』
という複数の要素を考慮して、
『仕事をする上で、先輩Tは自分より高いスキルの持ち主だ』
と判断しています。
他にも様々な要素はありますが、僕が目にしている観点が仕事上で関係ありそうな要素なので、他の部分が見えにくくなっている状態。
なので先輩Tのように仕事ができるようになるには、いま挙げた要素を自分も手に入れる方法を考えるべきだと思うわけです。
経験が少なかったり、判断材料の選択肢が少ない人だとこのような状態になりやすいと僕は感じていますね。
自分が偏った視点になっていると気づくキッカケになったのが、二番目の画像にある自分の理想の人に当てはまる人から、それぞれ分節分類で要素を抽出することでした。
先輩Tと同じように分節分類で要素を並べていくと違う要素もありますし、共通して見える要素も浮かび上がってきます。
ちなみに僕は、
Aさん
→自分の葛藤なども上手く表現していて共感できる。
Bさん
→わかりやすい言語化
先輩T
→口が上手い
それぞれの要素から、
『自分の頭の中で考えていることを上手く表現して、共感を得ている』
ことを見出し、さらに
『自分自身との対話を怠らず、もやもやを上手に言語化できる人達に魅力を感じる』
のだとわかりました。
このように俯瞰すると、視点というフィルターは一つではないことがわかります。
人の考え方や併せ持つ要素に優劣などはなく、一つの要素を拡大解釈して推測っていたことに気づけた事は僕の中で、先輩Tとのエピソードが無意味でネガティブなものから何かしらの学びに変化していると感じる場面でしたね。
③プロトタイプで再定義
これまで包摂分類や分節分類を組み合わせて、要素を抽出してきました。
自分が理想とする人の共通要素として、
『自分自身との対話を怠らず、もやもやを上手に言語化できる人達に魅力を感じる』
という形で抽象化させましたね。
ここからは抽出した要素をベースにして、自分の使いやすいように再定義していきます。
(1)抽象化させた要素を中心に据えて外堀を埋めていく
先程の『自分自身との対話を怠らず、もやもやを上手に言語化できる人達に魅力を感じる』と抽象化したものをシンプルに、
言語化が上手い
として中心に据えましょう。
それから、『言語化が上手い』要素に当てはまる人物や事象など様々なものを列挙していきます。
文字に起こしていくと、色んなことをあれこれ考え始めていくんですよね。
そうしていく内に、ある過去のエピソードが僕の場合は浮かび上がって、プロトタイプで挙げた要素と結びつきます。
(2)繋がりを見出して派生させる
過去のエピソードと『言語化が上手い』が繋がった時に疑問や学びが抽出できます。
この疑問や学びは自分から生まれたアイディアとして大事にしたいですね。
僕の場合は、
『言葉にする以上、自分の中にある体験や感情の起伏にどれだけ細かく着目できるか?』
という学びが生まれて初めて、自分と本気で向き合うことになりました。
今までは、
・自分には経験がないから
・自分には能力がないから
と言い訳をして、自分で考えることを辞め、自分より優れている人の言う事をただ聞いてやってみる、もしくはやらないだけでした。
“ない”ことばかりに注目して、全く満たされない生き方。
それは生きづらいわけです。
いま自分にある要素を最大限に活かして、必要となれば不足しているものを外部から補う。
まさに自分にとって、生きやすくなるために再定義された考え方を手に入れた瞬間。
考え方が変われば行動が変わるなんてことがよく言われていますが、僕自身もあてはまります。
実際に、
・言語学を学び始める
・実績がなくてもコンテンツを作る
・SNSで情報発信してみる
・自分の経験と日常のことを上手く繋げてアウトプット
これらのことも再定義してから行動し始めたことですよ!
考え方や思考を変えるコツとして、自分の経験やエピソードなど自分ごととしてどれだけ認知できるかにかかっているのではと考えています。
話は変わりますが、
ここまでくると先輩Tとの体験は事実としては変わりませんが、捉え方はだいぶポジティブなものとして再定義されました。
最後に
自分にとって生きやすい考え方や方法、概念を採用できるように参考になる文章があったので、紹介しますね。
世の中で言われている良いものを当てはめるのではなく、
自分にとって最適かどうか
自由に色々考えながら必要なものを選びとっていけるキッカケにこのコンテンツがなれたら嬉しいです。
またどこかで皆さんにお会いしたいですね。
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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