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「ガールズバンドクライ」と「数分間のエールを」から見る理想と現実

さて。「数分間のエールを」がドルビーシネマ・ドルビーアトモスで再上映となったので、改めて観てきました。
やっぱりガールズバンドクライとのシナジーがあると思ったので改めて思ったことをつらつらと書きたいと思います。
良ければ最後まで読んでください。

 

※両作品のネタバレを含みます




まず作品についてです。
どちらも花田十輝先生の脚本で(勝手に先生って呼んでます)、どちらも音楽がベースの作品ですが、アプローチは全く違います。
ガルクラは「届けること」がテーマですが、数エールは「創ること」がテーマです。
ただ構造が少し似ています。

導入部分から見ていきます。
ガールズバンドクライでは、ダイヤモンドダストとして上京してきた河原木桃香は、自分の歌を歌うためにバンドを続けてきましたが、事務所とは方向性が折り合わず、「売れる曲・売れるバンド」としての方向転換を求められます。
しかし、桃香はそれが許せず、自分の歌を歌い続けるためにダイヤモンドダストを脱退します。ただそれではうまくいかず、駅前で最後の歌を歌って、別の道に進むために旭川に帰ることを決意していました。

一方織重夕は、ミュージシャンとしては一切芽が出ず、ひたすら音楽を作って歌うだけの日々を過ごしていました。100曲目を作ってそれがダメだったら音楽を辞めて別の道に進むことにしていました。そして結局100曲目は実ることなく、最後のライブを駅前でやって、明日からは教師という別の道に進むことになります。

この二人はどちらも「自分の音楽をやりたい」ということがベースにありますが、想いは少し違います。
桃香は「自分の想い通りに曲を歌いたい(表現したい)」ですが、夕は「自分の想い通りに歌った上で、自分の想い通りに心を動かして受け取ってほしい。」です。

ただどちらもそれでは芽吹かないことはわかっているはずです。でも自分を信じたいからそれを続けていましたが、限界が来てしまいました。

そんな二人に声をかけるのが、井芹仁菜と朝屋彼方てす。

ガルクラでは仁菜が最後のライブをしている桃香に声をかけます。それは仁菜が今まで救われた曲だからです。仁菜は背中を押してくれる曲だと言っていました。桃香がそのような想いで歌っていたかは不明ですが、桃香のスタンスはあくまで「届けること」なので、聞き手の受け取り方はあまり気にしてないように感じました。
そのあと少しだけ一緒に過ごすことになり、仁菜からアピールを受けますが、それぐらいでは桃香の心は変わりませんでした。
一度ダイヤモンドダストという道を通っている桃香にとって"一人の心を動かしたところ"で何も変わらないからです。
でも、仁菜を見ているうちに桃香は音楽を始めた頃の自分を思い出します。
それは忘れてしまっていた大事なコトで、自分が失いかけていたものでした。
そんな仁菜に一緒に中指立てください!と言われた桃香は勘違いをして一緒に音楽をすることになるわけです。でも自分にはもう昔みたいな熱量で音楽をできないから、もう一度だけ仁菜に賭けてみることにしたわけです。
別に旭川に戻ったところで何かあるわけじゃないし。

数エールでも同様に彼方が最後のライブをしている夕に声をかけます。それは彼方が夕の歌にその場で心を動かされたからです。
しかし夕は彼方の制服の校章を見るなり、何も言わずに立去ってしまいます。立ち去ったのはもちろん明日赴任することになる学校だと気づいたからですが、それ以外にもあると思っていて、唯一立ち止まってくれた彼方が、この曲をどう受け取ってくれたか分からなくて、自分の想い通りに受け取ってくれていたら、もう音楽をやめると決めた自分に揺らぎが出ると思ったからです。誰一人立ち止まってくれなかったのに、彼方だけは唯一立ち止まってくれたから。
しかし心を動かされた彼方は翌日学校で夕と再会します。MVを作りたいと熱望する彼方に対して夕もまた、賭けてみるのも良いかなと思ったはずです。別に教師がやりたいわけじゃないし。多分こうした熱量で話しかけられたのは初めてだったんでしょう。
でも、夕は自分の想いをちゃんと受け取ってくれているか不安でした。確かにMVを作る技術はあるようだけど、見える形にするということは、自分の想いが形になることなので、そこの解釈が違うと違う歌になってしまい、自分の歌ではなくなってしまう。だから自分の歌をちゃんと聴いてもらうために自分のライブに誘います。
駅前でのライブを最後だと決めていたはずなのに、ライブハウスでやることにしたわけですから、彼方なら、もしかしたら私の歌の想いをちゃんと受け取ってくれるかもしれないというのがあったんだと思います。
結果的にはその想いも虚しく、彼方は違う解釈をしていました。別にそれが悪いことだとは思っていないですが、私の歌はそういう意味じゃないと。そうなるくらいなら売れなくてもいいと。100曲も作ってきて売れなかったこの私の想いが伝わらないなら公開しなくて良いって。

理想は桃香も夕も「自分の音楽」を「自分の想い通り」に続けることです。

桃香は音楽を楽しみながら理想を続けた結果、ダイヤモンドダストとして第一歩を踏み出せたわけですが、理想だけでは実現できない現実を突きつけられています。
その道が途中で駄目なら、自分にできることはもうないと思ったはずです。ただそんなところに、当時の自分と同じような想いをもった桃香のことを大好きな仁菜という自分(仁菜)が声をかけてきたので賭けてみることにしたわけてす。
ただ仁菜には自分と同じように失敗してほしくないから、あの頃知らなかった自分(仁菜)に向けて現実を教えるわけです。
それでも続けたいという仁菜がいたから、続けることを決意したわけです。

一方で夕は一度も芽吹くことはなく100曲も作っていたわけです。理想ばかりを追い求めすぎて、現実が見えていませんでした。彼方に一回目にMVを作ってもらった後も、2回目にMVを作ってもらった後も。そのMVを見て音楽を続けることにした後も。
1曲目は楽しく音楽を作っていたはずです。でも100曲目は楽しいとはかけ離れた曲です。
夕は昔の自分を彼方を通して思い出すはずだったんですが、夕にその心に余裕はありませんでした。
彼方はまだ私の想いを感じるほど創作をしていないって。でも実際は彼方は絵で一度トノに負けを感じるということを体験しています。
そんな彼方はMVを作り続けるという間違ってないを続けていました。彼方は自分が作ったMVで心を動かしてほしいからと作中で言っていますが、それは桃香と同じく「届けること」に重きを置いています。(というより受け手の感じ取り方なんて気にしたこと無かったレベルです。)
しかし夕は「届けること」と「受け取り方」の両方に拘っています。
もちろんクリエイターとしてこだわることは理想ですが、現実は拘るだけではだめなわけです。

桃香は理想を追い求めた結果、一度は芽吹いていますが、それでは駄目なことはちゃんと理解して現実を見てからもう一度理想を追う判断をしました。それはトゲナシトゲアリの5人という仲間がいたからだと思います。ダイヤモンドダストのメンバーではダメたったんです。
でも桃香は「運命の華」で致命的なミスをしています。それは「届けること」じゃなくて「創ること」に拘ってしまっています。そう夕が失敗しているのと同じように。トゲナシトゲアリとしての第一歩の運命の曲に自分たちの想いを乗せに乗せているわけです。
それを受け取る側の多くは一曲目であるはずなので、曲の意図は伝わりません。

夕は理想を追い求めては傷つきを繰り返していました。桃香のように誰の目に留まることもなく。
その結果が曲にも現れてしまい、当時自分が思い描いていた理想とは離れていっていたと思っています。仮に届けられたとしても、売れたときの、受け取る側(心を動かされる側)は常に一曲目な訳です。
その曲の意図や想いは伝わるわけがありません。

2回目のMVを観た夕は彼方なら自分の想いを今までとは違う形で届けられるかもしれないと思ったからもう一度だけ音楽を続けることにしたんだと思っています。
自分にはもう出来ることはないから。

ダイヤモンドダストについて

ガールズバンドクライでは、ダイヤモンドダストという対比が出てきます。
彼女たちは桃香過去に所属していたバンドですが、かつては桃香と同じ志を持っていましたが、事務所から売れるための選択を迫られた時に、桃香とは違い、「売れる」選択をしました。
彼女たちは結果売れているわけですが、これは理想ではなく現実を選択した結果です。

トノについて

数分間のエールをでは、もうひとりのキーパーソンとしてトノがいます。
彼も同じく絵を「創ること」を続けていましたが、結局自分はそれで何がしたいのか見つけられていませんでした。夕や彼方とは違い理想が無く、ただ絵を描くだけという現実しかなかったのです。
トノは結果的に絵を描くコトを止めてしまいましたが、また絵を描いてくれていたらいいなぁ。

つらつらと勢いで書いて全然まとまってない気がするのですが、何が言いたいかというと「数分間のエールを」と「ガールズバンドクライ」は最高だということです。

おわり。

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