患者と患畜
感情を排し、同じような境遇の飼い主のために、役に立つ備忘録をと思って始めたnoteですが、感情的な文章になってしまうと思います。
ごめんなさい、不快でしたらスルーして下さい。
堀ちえみの舌がんのニュースから、数週間たちますが心の動揺が止まりません。あれだけの治療を受けられて、うらやましいというのが不謹慎な感想。
人は完治を目指す治療をするが、動物は完治を目指す治療は行っていないと大学病院ではっきりと言われました。
抗がん剤も、放射線も、がん細胞を死滅させる量を動物に投与、照射することはない。
大学病院を紹介してくれた先生が、完治を期待させるような事を言っていたので、ちょっと期待していた分がっかりしました。
放射線を当てて腫瘍部分が小さくなれば切除して、抗がん剤でがん細胞を駆逐することで完治も可能かもと考えていました。
ただ、大学病院でいわれた事が現実で、患者と患畜の治療方針はそもそも違う。
堀ちえみの状況とフランの病状は全く一緒、舌の裏に腫瘍ができているのも。フランは舌を浸潤して表面にまで腫瘍が出てきていたので。そういう意味ではステージ4という堀ちえみより酷い状況。
だからなのか、患畜だからかは分からないがけど、完治を目指す治療は行われることはなかった。
堀ちえみのコメントによると、舌の裏の口内炎に激痛が走って病院に
行ったということ。フランは口をきくことができないので、想像するしか
なかったけど、やはり痛かったのだ。そしてフランはその痛みに、じっと耐えていたのだということが分かった。想像はしていたけど、話すことができる人間の証言でようやく知ることができた。
そりゃご飯なんか食べられないし、水だって飲めないはずだ。本当につらかっただろう。涙が出た。
堀ちえみは腫瘍を摘出し、舌再建手術。
フランは、腫瘍が小さくなって、舌が溶けて消えた。
そしてそれは、治療の結果想定される予後だったにも関わらず、何も対策は取られなかった。
できることはなかったのか、出せるお金の問題なのか。くやしくてしょうがない。フランにも堀ちえみと同じ手術を受けさせたかったというのが率直な今の気持ち。
フランがおこなった放射線照射と、抗がん剤を動脈カテーテルで患部に直接投与する、RADPLATという方法は、人間に対しても研究されている治療法だそうで、フランの手術の際には、慶応大学の医学部の先生まで立ち会ったとのことで、術後の経過も気にしてくれているとのこと。学会でも発表されるらしい。
じゃあこれで満足なのか?いいや、やはり足りない。完治を目指したかった。
人の命と動物の命を同等に考えるなんてナンセンスという考えのかたは、
不快かもしれませんが、知らない芸能人と、自分の飼い犬だったら、飼い犬の方が断然大事。もちろん結局のところ命の重さに違いはないのだけど。そこは感情。
犬は家族だ。人間なんて産まれて数年もすれば、
自分で食べたいものを食べるし、自立的に生活するようになるが、
動物はそうはいかない。飼い主しか頼れるものがない。それが一生続く。
そういう意味では、ペットを飼うということで背負う責任は重い。
そんな責任を認識せずにペットを飼う人が多すぎる、、、と言うのは
話がそれるのでここまでにしておきます。
人間より、手が掛かるし、飼い主次第で生きも死にもするのがペットだと
思います。フランは12、3歳。人間で言えば中学生。
だが、同年代の人間ほどの自活能力なんてない。当たり前だ、犬なんだから。
実家からの電話で、犬は「まだ」生きてるのかと軽口叩かれ、こちらも「まだ」生きてるよなどと軽口で返すのが恒例となっているが、正直気分が悪い。
周囲の人からの「犬は家族だもんね」等と言う確認も不要だ。当たり前だ。
私にとって、嫁の命とフランの命は同等の感覚でいる。
それだけに今回のニュースを見て、自分の無力さを、あらためて噛みしめながら沈んでいる。生ぬるいどろっとした水のようなゼリーのようなものの
底から世間を仰ぎ見ているような生活がここ数週間続いている。