Suica迷子防止の経済学:ウェアラブルウォッチで効率的な日常を
私は4年前からウェアラブルウォッチを使っている。目的はSuicaである。
そもそも腕時計など結婚以降つけたことなどなかった。必要なかったからだ。それが何でまた、心拍数も睡眠時間もましてや運動の補助なども使わないのに、ウェアラブルウォッチか。最初にも書いたが、目的はSuica。これだけである。
なぜこれを愛用しているかといえば、鞄のせいだ。私の鞄は大きい。いつも雑多なものたちをがっさりと入れて持ち歩くため、小さいものは迷子になる。高校くらいからこの大きな鞄を持ち歩く習慣は変わっていないから、今更帰る気もないしできない。何でも入るドラえもん鞄状態はとても気に入っているが、いかんせん、迷子多発なのが悩みのタネなのである。
そう。
鞄の中の迷子。
Suicaはその最たるもので、しかも改札を通るときに見失うとなると、とにかく迷惑がかかるのだ。
朝のラッシュなどで改札でもたもたしていたら、全方向から怒号が飛ぶ(かもしれない)舌打ちくらいは序の口なのだ。
故に、Suica機能を使えるウェアラブルウォッチが手放せないのだ。ピッってすれば自動改札を通ることができる。これは本当に素晴らしい機能だ!
だから、私はウェアラブルウォッチ・Suica付きを愛用するのするのだ!
さて。経済学的な観点から考えるとしよう。
この「ウェアラブルウォッチ愛用の理由」には、効用最大化と取引コストの削減という二つの重要な要素が絡んでいる。効用最大化とは、限られたリソース(お金や時間、手間など)を使って、自分の満足度を最大限に高めることだ。私はウェアラブルウォッチを購入することで、改札でのストレスを軽減し、日常生活の効率を高めている。これが私にとっての「効用」だ。
さらに重要なのは取引コストの削減だ。取引コストとは、経済活動において何かを達成するために必要な手間や時間、情報収集のコストを指す。Suicaカードを鞄の中で探し回る時間や、その結果生じるストレスは、取引コストの一種だ。経済学者のロナルド・コースが提唱した「取引コスト理論」に照らせば、私はこのコストを削減するためにウェアラブルウォッチを導入したといえる。
ただし、この選択は単に私の個人的な効用に留まらない。実は、私のような「Suica迷子を回避したい人々」がウェアラブルウォッチを使うことで、社会全体の効率も向上する。改札で立ち止まり、列を詰まらせることが減ることで、他の通勤客にとっても快適な環境が作られるのだ。これを経済学では「外部性」と呼ぶ。私がウェアラブルウォッチを使うことで発生するこのプラスの外部性は、社会的な便益の一部といえるだろう。
さらに、ウェアラブルウォッチがもたらす新しい市場の話にも触れたい。このデバイスの登場により、時計業界は単なる「時間を知るための道具」から「生活をサポートするテクノロジー」へと進化を遂げた。このような市場の拡大や技術革新は、経済全体の成長にも寄与している。たとえば、スマートウォッチの普及は、関連するソフトウェア開発やアクセサリー産業の成長を後押しし、雇用やイノベーションの創出につながっている。
結局のところ、私は単に便利だからウェアラブルウォッチを使っているに過ぎない。しかし、経済学の視点で見ると、この小さな選択が効用の最大化、取引コストの削減、外部性の発生、さらには市場の成長にまでつながっていることに気づかされる。ウェアラブルウォッチという個人的な選択が、経済の中でどのように位置づけられるのかを考えると、改めて興味深い。
もしも私がSuicaの迷子に毎日悩んでいたら、その時間やストレスのコストはどうだっただろうか。もしかしたら、その「小さな悩み」の解消が、私の日常にとって最大の経済的効率化だったのかもしれない。ウェアラブルウォッチを選んだ理由。それは単なる便利さを超えて、私なりの「最適解」だったのだろう。