【小説】カメラを手にして - 望月 凛【ヒューマンドラマ】
- 序 -
自信を失った大学生に与えられたものがあった。
- 本篇 -
私は、何も成し遂げたことがない完璧主義者だ。解きかけの問題集に、一曲も奏でられないギター、買ってから何日も放置された本。中途半端が身を寄せ合って自室を形成している。それに対して弟は、一点集中型で興味のあることを大成させることが得意だ。将棋も絵画も卓球も、私の真似をして始めた弟がいつの間にか私を追い越していた。この状況は私を卑屈にさせるには十分だった。やがて、「どうせできない」と夢や目標を語らなくなる。
自分のことを「芯があって流されない人間」と捉えていたが、どうやら違うようだ。何をするにも人の目が気になって仕方がない。新しい趣味ができて思い描くのは人々からの賞賛であって、趣味を突き詰めた自身の姿ではない。それでは、上達する前に止めてしまうのも無理はない。
春休みの序盤、新たな趣味が生まれようとしていた。写真を撮ることは昔から好きで、最初はフィルムカメラ、その次は携帯のカメラ、そのまた次はおさがりのデジカメで撮っていたが、ついに一眼レフカメラを買うという大きな決断をしたのであった。
カメラが届いた。落とさないように恐る恐る持ってみる。ずっしりとした重みがありながら、不思議と手にフィットした。せっかく手に入れたのだから、何か撮ってみたい。普段なら、徒歩三分のコンビニですらめんどくさくて食事を諦める。でも、今日ばかりは違うみたいだ。畳まれることのない服の山から適当にシャツとジーンズを引っ張り出して着替える。顔を洗ったら準備完了だ。
目に飛び込んだ青さに圧倒されていると、二羽のすずめが視界を飛び跳ねていった。
「すずめはすばしっこいな……」
動物を撮るのは難しい、という考えと同時に、大学のあひるが思い浮かんだ。食べ物ほしさに人のカバンを突っついてくる少々乱暴なあひるだが、良い被写体にはなってくれるだろう。大学に最も近いアパートに住みながら、毎日遅刻寸前で走る道も、今日はのんびり歩ける。なんだか贅沢な気がした。
誰もいない湖に生き物が集っている。邪魔をしないように、そっと歩く。それでも多少残る足音に、なんだなんだと頭をもたげるもすぐに昼寝を再開するあひるたち。餌も害もないと判断されたようだ。
草むらに一羽がぽてっと落ちていた。こちらを気にすることもなく寝ている。
「記念すべき一枚目だ」
初心者にはうってつけの止まった被写体。丸いおしりの下に仕舞われているみかん色の足が良いコントラストだ。シャッターを切る音がしても、あひるは動じなかった。
カメラを構えて池を一周したところで、人が一人歩いてきた。すると、それまでまどろんでいたあひるが起きて騒ぎ始めた。私は何が起きたのか分からず、緊張して立ち止まった。一匹、また一匹と鳴き声の輪は広がっていき、池はあひるの大合唱に包まれる。彼はのっしのっしと池に歩み寄る。あひるは我先にと彼を追う。彼が草むらにどかんと腰を下ろすと、あひるも座り、池は静かになっていった。木の葉の間から差し込む光はベールのように彼らを包み込む。見慣れているはずの池が、別世界へと切り替わった瞬間だった。一羽のあひるが高く頭を伸ばすと、彼は頭を傾けてあひるに触れる。挨拶を交わしている、と悟った。
「ベストショットだ」
この雰囲気を切り取って持ち帰りたいと思ったが、彼とあひるたちの時間を壊したくはなかった。彼らをじっと見つめてから、そっと池を後にした。
やはり私という生き物は怠惰なもので、生活をおろそかにしがちである。幼いころは当たり前にできていた早寝早起き朝ごはんは遅寝遅起き不定期ごはんになったし、シャワーは大の苦手だ。そんな生活を続けていれば、外側から浸食されていき、心は荒む。それでもカメラを持つことで、濁っていた心が磨かれる気がする。上手く撮れても撮れなくても、感覚を研ぎ澄ませてその瞬間を捉えようとしたことが残るからだ。人々が手軽に写真撮影をできるようになって久しい。自分が目にしたものを人と共有するために写真を撮る人もいるし、忘れたくないことを記録するために写真を撮る人もいる。
私は、自分の心に映し出すものを見つけるために写真を撮る。