【試論】「駄文というなかれ」 - 朔【朔の独り言】
〈挨拶〉
サークル・オベリニカをご存知の皆さん、こんにちは。あるいは、こんばんはかも知れません。
オベリニカ所属の朔と申します。こちらは最近付けたハンドルネームで、オベリニカの方では坡嶋 慎太郎を主に使用しています。
いつもならばその時々に心に湧き上がったぼんやりとした感情を短編小説という形にして寄稿している私ですが、今回は代表の書いた『【試論】去る人、残るもの【大学サークル論】』に影響を受けて、エッセイ的なものを書いてみようかと思います。未読の方は是非、読んでみてください。
では、よろしくお願い致します。
〈作品を作るということ〉
私はオベリニカに所属する以前から本当に趣味程度で小説を書いていました。それは、小説投稿サイトに投稿できるほどの長さのものではなく、オベリニカに寄稿している程度の長さのものが全てでした。
中学生くらいの頃に「将来は小説家になって食っていくんだ!」なんて思いを馳せていたことを懐かしく思います。実は今でもその夢を忘れられず、大学卒業後でも遅くはないだろうなんて甘い考えのもとに息をしているわけですが。
さて、私の作品を読んだことがある人ならば、そこには何らかの感想が浮かんだはずです。「文章が綺麗だな」や「言葉にはできないけど心に残るものがあるな」なんて思ってくれたら喜ばしい限りですが、中には「あぁ、つまらないやつね」や「ハズレ引いたか」なんて思われた人もいるかも知れません。
私は前述したとおりに趣味の一環で文字書きをしている人間ですので、商業作家として活動している方々に比べれば作品の面白さとしては敵わない面もあると思います。というより、私もいつかはそこに至りたいと考えているので敵わないことが本望なわけです。伸びしろ、というやつですね。
それを踏まえた上で私は自分の作品を胸を張って皆さんに読んでもらえるものだと思いながらオベリニカに寄稿しているわけです。
みなさんが作品を作るときに、その到達点をどこに定めているかはわかりませんが、私の場合には自分の中で「これで完成したな」といえる状態まで作品を作り上げたときを一つの到達点としています。
誰しも未完成の作品を大多数の方々が閲覧できるところにあげようとは思わないはずですので、当たり前といえば当たり前ではあるのですが。(完成までの行程すらも作品の一つとされている方々は別です。イラストメイキングなどは面白いですよね。)
そういった思いもあって、私は上記のような批判的な感想が出てくることも想定はしていても恐れてはいないのです。なぜなら、その作品は私の中で一つの完成を迎えているからです。
これはあくまで私の中での話であるため、そうではないと考える人もいることは重々承知しています。しかしながら、これが大袈裟に言ってしまえば私の中にある創作者としての矜持なのです。
〈謙遜するということ〉
以上のように私は作品作りの際に、自分が胸を張って人に見せられる状態にするまで作品を人前には出さないようにしようと考えているわけですが、その理由は語弊を恐れずに言えば「自分の納得いかない作品を人に見せることは失礼」だと考えているからです。
この言い方ですと方々に敵を作ってしまいそうですので繰り返し申し上げますが、これは私の中の矜持であって、他の創作者の方々に対する不平や不満というわけではございません。
しかしながら、このように考える私だからこそ多くの創作者の方々に声を大にして言いたいことがあります。それが、本エッセイのタイトルにもなっていること。
そう。「駄文というなかれ」です。
実はこれ、批判的な感想を言うなということではなく謙遜するなという意味だったんですね。タイトルだけでは勘違してしまう方もいるかも知れません。
こういった〈謙遜〉を目にするのは大抵の場合がインターネット上に投稿された小説の説明欄なわけですが、私はそれを読むたびに「なぜ、そんなことを言ってしまうのだろう」と思うわけです。
「なぜ」か。その理由自体はもちろん把握しています。それは日本人特有の謙遜、いわば誰かに贈り物をする際に「つまらない物ですが」と言いながら差し出すような礼儀正しさの表れであったり、あるいは「駄文ですが」と先に釘を打つことで批判を未然に防ぐ予防線としての役割であったりでしょう。しかし、それは全くもって勿体無いと思うわけです。
インターネット上などの人の目につく場所に作品を投稿しているということは、少なくともその作品を人に見てもらいたいと考えているはずです。つまり、その作品は自分の中で「人に見せられるレベル」であると考えているといえます。
当然ながら「自信はないけど人の感想が聞きたい」という弱気な創作者様もいるでしょうが、それでも「うわ、この作品つまんねぇな」と思いながら作品を投稿している人はいないはずです。少なくとも私はそう信じています。
そんなある意味で〈自分の自信作〉に対して誰であろう自分自身が〈駄文〉という烙印を押すことほど悲しく、また無駄なことはありません。
貴方の作品の一番のファンは作者である貴方であってほしい。私は常々そう思っています。故に、自分くらいは自分の作品を全肯定してあげてください。
これは「自分の作品に欠点はない!」と思えということではありません。この世界で〈完璧な小説〉をかける人間は一握りでしょう。(完璧な小説とは何かという話もありますが)
ただ、欠点を抱えていることを承知の上で「良い作品だな」と思ってほしいのです。
それに「駄文ですが」という文言が書かれた作品は、それを「面白い!」と感じてくださる読者の方々に作者自身で「え、こんな駄文が面白かったんですか?」と言ってしまっているようなものです。もちろん、作者の方にそんなつもりがないことは理解していますが。
ですが、作品を読む前に「駄文ですが」と言われるのは飲食店に行って「あまり美味しくないかも知れませんが」と頼んだメニューを運んできた店員さんに言われるのと同じようなことです。
もしもそんな場面に出くわしたらなんとなく「んー?」という気持ちになりませんか?
長々と語ってしまいましたが、つまりは「自分の作品に自信を持ってください」ということを私はこれを読んでくださった創作者の方々に伝えたかったのです。
時間をかけて作り上げた貴方の作品はきっと素晴らしいものなはずです。少なくとも、それを読んだうちの何人かには響くものがある程度には。
そんな素晴らしい作品に自らが「駄文」の烙印を押すことを私は悲しく感じてしまいます。ですのでどうか、これからは「さぁ! 私の素晴らしい作品を読め!」という気持ちで作品を投稿してください。その想いはきっと、読者の方にも届くはずだからーー。
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