2024.02.03
今日は、『それでも、生きてゆく』シナリオ本発売日イベント、坂元裕二さんのサイン会の日。
去年の梅雨の時期も東京へ来た。
帰りの新幹線はとても混んでいた。
乗務員さんや、隣の席の人にバレないよう
溢れてくる涙を隠しながら関西へ戻ったのを覚えている。
信頼していた人から浴びせられた言葉。
そのとき食べていたのはカレーだったが、おいしいという感覚はあるのに辛いのか、甘いのか分からない。
矛盾を指摘して思いっきり言い返せばいいのに、
言葉を失ってしまった。
「この人は一体、なにを見てきたんだろう」
平静を装って、水を飲む。カレーを食べる、水を飲む。
食べ終わって外に出ると雨が降っている。
駅までの道のりで、男性がお笑いショーの宣伝をしている。歩く人々は誰も気に留めていない。なのにいつも妙にこの宣伝している男性の声が気になってしまう。
「誰か見に来てくれるのかな」「傘もささずに寒くないのかな」そんなことを考えながら歩いていると、駅に着いた。いつもとは違う挨拶を交わし解散をした。
一人になったら泣いてしまう気がしていたけど、
雨が降っているから、傘をさしたり、
靴擦れが気になって絆創膏を貼ったり、
おいしいドーナツがもう買えないかもしれないからって大量に買いこんだり、歩き疲れたから雨が降っているのにベンチに座ったり。
どうでもいいことばかりに目がいく。
これって、双葉と洋貴が二人で会う最後の日にコアラの鼻は電池をしまうところに似ている話をしていたり、駿輔が出前の器をどうするか悩んだり、響子が加害者家族に出すお茶菓で揉めていたり、事件当時の検視調書を前にして汚れているコンロを磨き始めたりすることと似てるなあって思ったんです。
登場人物たちも、事件が起きるたびに小さなことに目がいき、妙にこだわってしまう。
坂元さんは「大きい広い高いじゃなくて、小さくて狭くて低い視線で、事件に比べたらどうでもいいことを同じ比重で描こうと思っていたんだと思います」と『それでも、生きてゆく』脚本集で述べている。
「人はいつどん底に突き落とされるかわからないから、日頃から生活習慣だけは身につけておくのかもなということです。そうすれば、”がんばってもがんばっても、お腹はすくからお米を研ぐ“ ”がんばってもがんばっても眠くなるから布団を敷く“ という感じにそれだけでまあまあ生きてることになるし、それが、それでも生きてゆくってことなのかもしれない」
東京でのこと、言った側は全く覚えていなくて、それならばと忘れたフリをしたけれど、しこりとして残っていて、とても痛かった。洋貴が文哉に「お前と朝日が見たい」と伝えても「ごはん、まだかなあ」としか返ってこなかったように「人と人は分かり合えない」のだと思いました。
シナリオ本が発売されてからもう一度『それでも、生きてゆく』観た。双葉や洋貴は、事件が起きても、分かり合いたい相手と分かり合えなくても、あの時のわたしと同じようにどうでもいい生活をするために、小さなことに目を向けている姿を見て、これからこの先、また同じようなことが起こっても、やっていけるなって思えたんです。
こういうことを伝えたいのだけれど、思ってることの半分も伝えられないだろうな。それどころか、きっと、顔を合わせただけで泣いてしまいそうなので、ここで練習しておこうということです。
東京からうれしい涙を流して帰れそうです。