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【月はいつも見ている 〜兎〜 】 プロローグ
1993年3月
ある都市の主要駅から少し離れた駅のちかく。
列車の快速電車も止まらない駅だが、人の乗り降りは激しく多い駅。そんな街の中にビルがひしめき合っている。そんなひしめき合ったビルの中にある間口が狭く高くそびえたマンション。
慌ただしく多くの人たちが仕事を終え家路につくために足早に歩ている人たちを見下ろすことができるマンションの5階。
まだ肌寒い春先に入ったばかりの空気を取り入れるかのように少し開けた窓から水色のカーテンがそよそよと顔を出し揺らいでいる…そのカーテンの中に忍び込むように中をのぞいていくと薄暗くて部屋の電気が灯されていない。隅に置かれたブラウン管の小さなテレビがつけた光だけで、かろうじて部屋のレイアウトがわかる
テレビと外の街の明かりと月で照らされた部屋の中。一人の女が部屋の真ん中に置かれたテーブルの前に両膝を抱え座っている。この部屋の中彼女しかいないのに、まるでここから存在を隠したがっているようだ
ついさっき、この部屋から男が出て行った。部屋から見える玄関、玄関マットの上にはこの部屋の合鍵が置かれてる。
「ごめん…」
男は、何度も何度もその言葉を発しながら土下座をして頭を床に付け震えている…
3年間苦楽を共にしてくれた男が
他の女性と結婚したいから別れてくれて…と。
(またか…)
男に背を向けたまま三角座りをして、口も開けることがなければ体を動かそうともしない。
「出てって…」
信用したら、結局こうやって裏切られる。いつもいつもこうだ…悲しみよりも怒りのほうがみなぎってきた。
「もうここで同じ空気を吸わないで!出てけ!馬鹿野郎!」
「ごめん…」
近くにあるテレビのリモコンやらタバコやライターを彼に投げつけ、結局彼は「ごめん」という言葉しか言わなかった。どうせその婚約者の元に行けば、その涙で汚れた顔はキレイになるんだろ…
そう思うと、涙なんか一粒も出なかった。
再び背を向けた彼女の気をさわらないよう、男はそっとこの部屋のカギを置いて、そっとドアを閉めた。
その重たく冷たいドアを閉める音で、彼女の何かが切り替わった
「もう、男はこりごり」
自分が呼吸する音さえうるさい。かすかに聞こえていたテレビの音を消す。映し出されたタレントたちが楽しそうにはしゃいでいる。
キッチンから買い溜めておいた沢山のパンが入った袋をテーブルの上に置いた。
広島を出てきてから8年、今年でもう26歳になる。独りは慣れたと人に強がりは言えるが、独りになるとやっぱり寂しい。
音のないテレビに、パンの袋を掴む音だけが部屋に響く、口を動かし喉を通る度に寂しさに、心の瞼が閉じる。
「過食症の女なんて…一緒に居たくないよな。」
美味しそうに食べてる顔が好きだ、と言ってくる男は何人も居た。でも付き合って慣れてくると食べる量に呆れられ、最後は気持ち悪がられる。
男が出ていって2時間足らずで、大量にあったパンたちは彼女の腹の中に収まった。
大きく膨らんだお腹、軽く撫で、ふぅうー!大きくため息を吐き出し重くなった腰を上げバスルームに行く
そしてそこで満タンだった胃袋を彼女は空にした
しばらく音のないテレビをジッと見つめたまま、テレビの中のタレントたちは楽しそうだが、彼女の顔からは笑みは全くでない。テーブルに目をやると食べ終わったパンの袋が無造作に、というより積み上げられている。これだけの量が自分の胃袋に入ったなんて驚くことなんてない、もうこんなこと10年以上やっているから
食費がかかるから風俗嬢になっちゃったけど、こんな理由でなったなんて口が裂けても言えない
都合のいい女なんてよく言われるけど
都合のいい男が欲しい…女も
寂しい時だけ来てくれる
もう面倒くさい、真面目に好きになるのは…もういいわ
時が重く感じ、何時間ジッとしたまま、しばらくして重くなった腰を上げ彼女はベランダに向かった
男が出て行った頃はまだ外は明るかった。気が付けばすっかり外は暗くなっていた
5階から見下ろす景色、多くの人が歩く様子を見つめている
こうして高い所から私は見下ろしてるが、逆にその人たちから見下ろし返されている。彼女はいまそんな気持ちになった。自暴自棄ではないが
さっきの嫌なことをリセットしよう。そしてその人たちから離れようと顔をあげた
外の新鮮な空気を浴び見る夜の空、下からの賑やかな街の明かりが邪魔だがきれいな晴れた星空
「あっ…」
彼女は思わず声をだした
薄汚れた街の明かりに照らされた夜空に、満月が煌々と彼女の顔を照らしていた
いろいろと忙しくしていた1年、空を見る余裕なんてなかった。
「お母さん…」
忙しい中、母とよく見た夜空、どんなにお酒に酔っていても教えてくれ何度もみた満月。
月の中にウサギがいるとか、いろんなことを話しながら
もう5年ちかくは帰ってないなぁ…信用できるのはやっぱお母さんだけ…
そして彼女は下の大勢の人たちが少なくなるまで大きな満月見続けた
そして、母からよく言われた言葉を思い出した
「月はねぇ…良いことも、そうでないとき、ずっと見ているよ。だからね、寂しい時はお月さんを見たらいいよ。」
「月はいつも見ているから」
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