見えないニーズに「気づく」「動く」、そしてベンチャーは時代を切り拓く
「アート引越センター」経営者として著名な寺田千代乃さん。父親が連帯保証人になって夜逃げした子供時代から、運送業、引っ越し業と事業を広げて、当時は今以上に珍しかった女性経営者として活躍した人である。今朝、寺田さんの原稿を読んで、ドトールコーヒー創業者の鳥羽さんを思い出した。寺田さん同様、鳥羽さんも「気づく」こと、「動く」ことのできる人だった。そうやってベンチャー企業はいつも時代を切り拓いてきた。
日経、今月の「私の履歴書」は寺田千代乃さん、43年務めた社長を退き、現在はアートコーポレーションの名誉会長。
今日の原稿では引っ越し業の可能性に「気づく」ところが書かれている。
変化に気づく、潜在需要に気づく、気づく力は経営者に必須である。
当時、寺田さんは今風に言えばBtoBの運送業をしていた。たまたま家族で車で移動中、夕立に遭った。歩道橋の下に止まったトラックからドライバーが降りてきて、急いでシートをかけているのを目にした。荷台にある荷物は引っ越し荷物のようで、荷物が少し濡れているのが見えた。
今、引っ越しサービスは当たり前。
濡れず、汚れず、きちんと、キレイに届くのが当たり前になっている。しかし、1970年代はそんな風ではなかったのだ。当時の輸送トラックは荷台が箱型ではなく、フラットな平ボディーだったから、雨が降れば荷物が濡れないよう荷台にシートを掛けるのが当たり前だったのである。
寺田さんはBtoBでオムロンと取引していた。オムロン専用のアルミ製の箱型荷台を持つトラックを持っていた。オムロンの配送(BtoB)は平日、個人の引っ越し(BtoC)なら週末にそのトラックを使える、そう考えたわけだ。
寺田さんは事業の可能性、潜在ニーズの調査に「動く」。鉱脈を掘り当てた!という実感を得てトラックの表示変更、顧客の開拓にまた「動く」。
事業を立ち上げ、本業だった運輸業(寺田運輸株式会社)から切り離し、アート引越センター株式会社を設立、社長となった。
当時、運送の仕事が減り、一部の運送会社には喫茶店など畑違いに進出する企業もあったと書かれている。しかし、寺田運輸には資金がなく、初期投資が必要な事業には手が出せなかったそうだ。
結果論的には、逆に資金がなかったことが功を奏したともいえる。
雨が降れば引っ越し荷物が濡れるのは当たり前、運送の仕事が無くなれば業種転換も当たり前。サービスの受け手も提供者もそんな状態だった時代に、寺田さんはみんなが思う「当たり前」とは一線を画した。
そして、みんなが見ているはずの光景、みんなが見ているのに気づかない潜在ニーズを掘り起こしたのである。
以前、ドトールコーヒー創業者の鳥羽さんが「私の履歴書」を書いていた。鳥羽さんが立ち飲みコーヒーのニーズに気づいた瞬間が印象的だった。鳥羽さんもみんなが見逃している一瞬の光景を見逃していなかったのだ。
ベンチャーの由来はアドベンチャー。
そこには冒険があり、挑戦する人がある。挑戦者となる人は世の中の埋もれたニーズに「気づく」ことができ、「動く」ことができる人だ。
みんなが見逃していること、当たり前としていることを見逃さず、当たり前とせず、新たな当たり前を創ることができる人だ。
最近は「ベンチャー」より「スタートアップ」という言葉を目にするが、本質はそう変わらないだろう。「startup」という言葉には「立ち上げる」「行動を開始する(≒動く)」といった意味があるわけだから。
ベンチャーとスタートアップの違いを敢えていうならば、それは時間軸ではないかと思う。変化のスピードが物凄く速くなっているからだ。
最近のベンチャーはIT系のイメージが強いようだが、ベンチャーの歴史は日本の産業転換の歴史そのものだ。今は大企業となっている企業もかつてはベンチャー企業である。
転換を促す鍵のひとつ、それがIT、デジタル技術によるものが多いため、IT系の印象が強いと言えるだろう。ちょっと2000年前後を思い出すが、それをさらに加速度的に三次元的に変貌させているのが今の時代ではないだろうか?
「ベンチャービジネス」はかつて「ニュービジネス」と言われたりもしたが「ニューインダストリー」と言っても良いと思う。
「気づく」力、「動く」力、ベンチャー経営者が皆持っているもの。そして事業の変遷とともにそれぞれの力のレベルも変わって行く。
DXの時代、多くの人や企業にベンチャー企業と同じようなことが求められているのではないだろうか?
自分は何に気づき、何に向かって、動いていけるか?と。。。
それはある種、動物的な本能ではないかと思う。