note投稿写真_カオスから道筋を見出すには

日本企業はマイクロソフトに学ぼう!

先日の日経(10/4朝刊)は久しぶりに横断的に面白い記事が並んだ。アマゾン、サムスン、マイクロソフトと興味深い記事が揃っていた。これらの記事を読みながら、戦略や企画の関係者は何を想っただろうか?ここには沢山のヒントがある。

新聞は縦横無尽に読んでこそ面白い。同日に掲載されたこれらの企業から学べることは沢山ある。中でもマイクロソフトは日本企業にとって学ぶべき点が多いのではないか?

当日の紙面を駆け足で見てみよう。

#COMEMO #NIKKEI

6面の記事はアマゾンだ。

「Opinion」欄にFinancial Timesのリチャード・ウォーターズ氏が未来に向けて着々と仕掛けているアマゾンの様子をGAFAの他の企業と比較しながらコンパクトに纏めている。

スマホ市場で出遅れたアマゾン。
電子レンジから眼鏡からIoT時代の中心となるべく、次々とAI搭載のデバイスを発表している。

同社がいかに外部環境を捉え、未来を描き、攻略しようとしているか、これだけ具体的に明らかになってきたアマゾンの思惑を見て、かつて華々しかった日本のエレクトロニクス/通信/IT関連の企業はどれだけ悔しさを滲ませているだろうか?

もしそうでなければかなりヤバイ状況だ。
かつてネット社会の未来を描き、構想した自社の姿をすっかり忘れていることになる。

他国の企業の怒涛の勢いを前に白旗を掲げて諦念しているか、事態をまだ捉え切れていないか、そのどちらであっても日本企業の行く末は厳しいものになる。

11面にはサムスンだ。
さっさと追い越した日本企業を尻目に、アップルをライバルとして高級路線を突き進んできたサムスン。

一時はトップにまで登り詰めたのに、わずか6年で世界最大の中国スマホ市場から圏外に追いやられている。ファーウェイなど中国勢に押し出された格好だ。その中国勢も目まぐるしくプレイヤが入れ替わっている。

13面にはマイクロソフトだ。

サムスンが成長の鈍化したスマホ市場で苦しむ一方、マイクロソフトは2020年にスマホ市場に再参入すると報じられた。

90年代、PC市場でアップルを追い越し、栄華を極めたマイクロソフトはスマホの登場以降、アップルやグーグルに時価総額で追い抜かれていた。

CEO交代後の2014年以降はクラウドに注力し、今期は過去最高益を更新。時価総額で再びグーグル、アップルを追い越した。

スマホ市場への再参入では、「顧客の利便性」を優先して自社OSに拘るのを止め、グーグルのアンドロイドを採用。自社の業務ソフトの新しい使い方を提案し、コンピュータを消費から「創造」の手段に変えようとしている。

マイクロソフトは外部環境と内部環境を再整理し、「自社の再定義」がとうに済んでいるのだろう。

だから、5.6インチの液晶画面2つから成るDuo(デュオ)は「電話ができてポケットに入るサーフェス」なのだと思う。

iPHONEが登場してスマホ市場が形成された頃、PDA(個人情報端末)を思い出した人もあるだろう。Duoの登場で再び思い出した人もあるのではないか?

PDAの頃はまだ日本企業が健闘していた。当時PDAに関わっていた企業のなかには今では会社、グループも解体なんて企業もあるだろう。

しかしもう一度、目先の変化に翻弄されるのではなく、エンジニアが技術の行方を、社会を、遠くの未来を見据えていたかつての自社の姿を思い起こしてみてはどうだろうか?

iモードもあった、情報家電もホームサーバーもあった、TRONもユビキタスコンピューティングという概念もあった。エンジニアはその先の未来を常に描いていたはずだ。

DXと騒がれ、進化したAIやIoTに驚き、俄かに危機感をもったように見える日本企業。しかし、変化は急に起きたのではなく、ずっと続いてきたものだ(スピードはもちろん加速しているが)。

GAFA、GAFAと騒がれるが一様ではない。なかでもアマゾンはいろんな意味で突出している。そこにしたたかにふるまっているのがマイクロソフトだ。

同社を率いるナデラCEOは周囲の反対を押し切ってクラウドへの投資を続けた。オープンとクローズを組み合わせ、自社の強みを活かして奮闘している。自社の利益より顧客の利便性を優先させた。アマゾン同様、ここぞというところは再挑戦している。余裕資金があればこそできることだ。

日本企業も現預金を貯めこむのではなく、余裕資金があるうちに「ここぞ」に挑戦することが求められている。成長の鈍化する市場や投資家からの圧力など外部を言い訳にせず、腹落ちする再定義に基づいてチームをリードするリーダーが求められているだろう。

日本企業がマイクロソフトから学べることは多いと思う。



歩く好奇心。ビジネス、起業、キャリアのコンサルタントが綴る雑感と臍曲がり視点の異論。