素直な感性で楽しむ秋の企画展「戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城」
10月5日より始まった佐野市郷土博物館第78回企画展「戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城」。開催から1か月、折り返し地点に差し掛かりました。おかげさまで1500名を超えるお客様にご来館いただきました。なかには市外、県外の方もちらほら。講演会や人形劇もお申込みが殺到し、入職以来かつてないほどの盛況ぶりに戦国時代の注目の高さに驚かされます。
この記事では歴史初心者の私がおすすめしたい個人的推し資料を4つご紹介します。戦乱のごとくスタッフ総出で血眼で準備した今回の企画展。初公開資料や期間限定でお借りしている貴重な資料もありますので、残り1か月ですが、足を運んでいただけたらうれしいです!
展示総数70点!企画展実現までの長い道のり
「戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城」は唐沢山城跡国指定10周年、佐野市民文化振興事業団設立30周年を記念して、満を持して開催されました。私が入職した2024年1月にはすでに関係各所との調整は大詰め状態。こんなに前から企画するのかと、驚いたのを覚えています。
話がそれますが、先日麻布台ヒルズで開催していた「ポケモン×工芸展」に行ってきました。2023年に石川県金沢市で初開催され、作品の制作年はほとんどが2022年。製作期間を考えると少なくても2年以上前から企画がなされていたと想像できます。私たちの前に展示資料として飾られるまで長い時間と多くの調整があったことでしょう。世の中の博物館や美術館関係者には頭が上がりません。
佐野市郷土博物館でもさまざまドラマがあった本企画展ですが、展示資料の総数は70点。比較的コンパクトな企画展示室に資料がたくさん並んでいるのを見るとワクワクしてきます。市内の資料だけでなく、栃木県立博物館や国立国会図書館、東京大学史料編纂所などからも貴重な資料をお借りしました。会期中展示替えのタイミングが7回もあるため、期間限定の資料も多数あります。お目当ての資料がある方は事業団のWebサイトを要チェックです。
圧巻の佐野家古図!清水城時代の大地図に迫る
まずご紹介したいのが大きな地図「佐野家古図」です。びっくりするのはこの大きさ。縦242cm×横185cmと成人4人がまるごと入りそうな大きさです。
少し複雑になりますがこの地図は江戸時代に写し取られたもののようです。描かれているお寺の有無などから1522年~1560年(戦国時代)の段階のものと推測されています。
この古図の中心は清水城です。現在の佐野市吉水町、興聖寺となっています。今回の企画展では唐沢山城がフィーチャーされていますが、唐沢山に築城する前に佐野のお殿様がいたのが清水城です。この地図では、向かって左が旗川、右側に秋山川が流れており、佐野家の家臣団の館や家も記されています。佐野を代表する観光スポット「出流原弁天池」や田中正造を輩出した小中町も描かれています。
なぜこの佐野家古図のことを書きたくなったのかというと、その搬入がすさまじく大がかりだったからです。今はおすまし顔で展示されていますが、まず古図のためのケースが作られました。設置は大人6人がかりで作業しています。博物館スタッフだけでなく、ケースを作ってくださった事業者さんたちにもご協力いただきました。
唐沢山城や佐野城は知っているけど清水城の存在は知らなかった!という声を企画展がスタートしてから何回も伺いました。私自身も清水城は初耳でした。地図といえば伊能忠敬が思い浮かべられますが、この地図も歩いて測量したのではないでしょうか。このような大きな地図が江戸時代に作成できたこと、今に至るまできれいに保存できていたことは、そこに介在していた人たちのおかげですね。現代に生きる私たちはそんな昔の人たちの思いまで受け取っていきたいところです。
歴史が変わるかもしれない発見!令和に甦った佐野家の宝物
次にご紹介するのは幻の豊臣・徳川氏発給文書。なぜ幻?と思うかもしれません。実は今回展示した「佐野家文書」の一部は長年その所在がわからず、現存しないのではと言われていました。それが見つかったのは令和に入ってからです。大きな木箱が発見され、中には羽柴(豊臣)秀吉からの書状などが発見されました。この時立ち会った、当事業団の出居事務局長によると「これまで定説だった歴史がもしかしたら変わるかもしれない、というくらい貴重な資料が発見された」そうです。
歴史の授業や大河ドラマなどでは主役級の武将である豊臣秀吉や徳川家康、上杉謙信などと、歴代の佐野のお殿様たちの交流があったことは驚きました。ただ素人には書状類はとにかく文字が読めない・・・。難しくてとっつきにくい存在でもあります。この記事では、高校時代世界史を専攻していて日本史に全く明るくない私が気に入った書状を2つご紹介したいと思います!
ひとつめは修復の努力がわかる書状です。所在のわからなかった書状は長い期間、木箱の中にあり、保存状態は必ずしもいいとは言えません。修復作業を行った書状もいくつか展示されています。その中でわかりやすいのが「豊臣秀吉知行方目録」です。内容は豊臣秀吉が佐野信吉へ支給された土地について記したものです。書状下部がゆらゆらと色が違う部分がありますよね。欠損してしまった部分を表具師さんが補修してくれたのだそうです。
2つめは、豊臣秀吉朱印状のひとつで、領地でとった鳥を献上するように命じた書状です。こちらの書状には靏(つる)、白鳥、雁、鴨などを鉄砲で撃ち、進上するように書かれています。これ食用なんです。現代のライフスタイルではチキンといえば鶏ですが、戦国時代では靏(つる)や白鳥を食したことが驚きです。特に秀吉は白鳥が好きだったようで、たびたびリクエストしていたそう。「ありがとう、おいしかった」というお手紙もいくつか残っています。
書状を見ていると「本人の直筆なの?」というご質問をよくいただきます。字のきれいな専門の方がいたそうです。ただ最後に本人の意思によって書かれたものだと証明するため、印鑑を押したり、花押(かおう)が書かれます。特に花押は本人直筆のサインですので必見です。デザイン性が高くおしゃれな花押もあります。個人的には佐野宗綱の花押が好きです。
偶然見つかった「天命宝釜」。女子人気の高い独特のフォルムに注目
3つ目の資料は「天命宝釜」。これも近年佐野市内のお宅から見つかったとんでもないお宝です。佐野市は古くから鋳物の産地として知られ、そのクオリティは「西の芦屋、東の天明(天命)」といわれるくらい茶の湯の世界ではブランド化されていました。ちなみにこちらの芦屋は兵庫県の高級住宅地の方ではなく、福岡県遠賀郡芦屋町です。(最近まで勘違いしていました)千利休や織田信長、豊臣秀吉が天命釜を愛用していた記録も残っているそうです。
こちらの茶釜の特徴は常張三足釜で、鐶付(かんつき;持ち運びするための取っ手部分)が外側に張り出していること、そして底に足がついています。ちょこんとした足のフォルムがとってもかわいくて今回推しました。よく見てみると茶釜の表面には「天命」と書かれています。一度視認できると浮かび上がってくるので、ぜひ目を凝らしてご覧いただきたいです。
釜自体も特徴的ですが、吊り鎖には揚羽蝶もあしらわれています。揚羽蝶は佐野氏ゆかりの紋で、平氏から賜ったものです。本企画展で展示されている軍扇でも揚羽蝶紋を見ることができますよ。
この釜の収納箱もまたかわいく、金糸を使った刺繍がじわじわ女子人気を集めています。「治安(じあん)三年 古天命是閑作」と記されています。治安3年は西暦1023年。平安時代、藤原道長が生涯を閉じる4年ほど前です。大河ドラマの見過ぎかもしれませんが、この時代に作られた茶釜にはロマンを感じずにはいられません。とはいえこの釜についてはまだまだわからないことだらけです。これから研究が進むのが楽しみです。
天下統一を支えた天徳寺宝衍が身に着けた名品「龍綺兜」
最後にご紹介するのは、特別な兜「龍綺兜(りゅうきのかぶと)」です。渦巻くような独特な形が特徴で、過去に行われた山城サミットで知名度の高い、今回の企画展の目玉ともいえる資料です。この兜が特別なのは、織田信長から豊臣秀吉、そして天徳寺宝衍(てんとくじほうえん)へと受け継がれてきた点にあります。天徳寺宝衍は佐野房綱の弟にあたり、出家後にこの名で知られるようになりました。文武に秀で、豊臣秀吉とも深い関係を築いた人物で、教科書には載らないものの、天下統一を支えた立役者の一人とも言われています。こちらのサイトには、天徳寺宝衍に関する詳細な説明と龍綺兜を被ったイラストも掲載されており、イメージが掴みやすいでしょう。
さて、この兜について詳しく見てみましょう。その形は、中国の故事「黄石公(こうせきこう)と張良」に由来しています。秦の時代、隠者の黄石公が軍人の張良に兵法書を授け、「13年後に黄色い石を見つけるだろう。それが私だ」と予言します。予言通り、張良は黄色い石に出会い、これを大切にしたという逸話です。龍綺兜の形状は、波が巻物を持ち上げる場面を表現しており、織田信長の先進的なデザインセンスが感じられるものです。今回、特別にガラスケースに入る前の兜を拝見することができましたが、見た目だけでなく雰囲気も凛としていました。博物館職員によると、見た目より断然軽いそうです。実用面まで考えられたすごい兜でした!
ちょっとした興味が大発見に!歴史探訪の旅に出よう
盛りだくさんでご紹介してきましたがいかがでしたか?ここまでたどり着いた方は少ないかもしれません。ご覧いただきありがとうございます。
私自身これまで歴史や芸術とはあまりかかわりのない人生を送ってきましたが、入職して10か月経った今、お友達には文化人といじられるまでになりました。笑
さらに3年ほど毎週一緒にヨガをしている大阪の生徒さん(であり、ビジネスメンターでもある大先輩)のご先祖さまが天明鋳物とゆかりがあることがわかりました。千利休が天明釜を好んで作らせたという「万代屋釜(もずやがま)」という茶釜。その起源がご先祖様の万代屋宗安(もずやそうあん)に贈ったことだそうで、大阪と佐野で意外なつながりを知ることができました。
専門的な知識がなくてもちょっとした好奇心からいろんなことを感じ取ることができます。まずはお近くの美術館や博物館に足を運んでみませんか?先人の生き方や手仕事、価値観など興味を持てそうなものから深堀してみることをおすすめします。意外と人生を変える大発見になるかもしれません。人生の先輩たちからの教訓はきっと役に立ちますよ。
佐野市郷土博物館 第78回企画展
戦国時代を生き抜いた佐野氏と唐沢山城
🍓今回ご紹介した展示資料
No.4 佐野家古図(個人蔵)
No.27 豊臣秀吉知行方目録(唐澤山神社蔵「佐野家文書3」)
No.31 豊臣秀吉朱印状(唐澤山神社蔵「佐野家文書10」)
No.69 天命宝釜 収納箱(個人蔵)
No.70 天命宝釜 (常張三足釜)(個人蔵)
No.21 龍綺兜(唐澤山神社蔵)
※観覧時期によっては展示していない場合もあります。
各資料の展示期間についてはこちらをご覧ください。
📍栃木県佐野市大橋町2047
佐野市郷土博物館内 企画展示室
📅10月5日(土)~12月8日
⏰9:00~17:00
😴月曜日/祝日の翌日/毎月末
👛¥330 学生以下無料
現金しか使えません。ごめんなさい・・・!
詳細はこちら
🌟 公益財団法人佐野市民文化振興事業団
佐野市大橋町2047(佐野市郷土博物館内)
🌟 公式Instagram ディスカバーサノブンカ
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