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【雑記】落花生での豆まきをやめた日

今日は節分ですね。
節分にまつわる話としてひとつ思い出したことがあったので書き留めてみようかと思う。

小学生の頃のごく数年だけ、豆まきをする際の豆が殻に入ったままの落花生だった事がある。
それだけでも周りの友達とは投げる豆が違うのでその話題になった時は少し恥ずかしいやら、特別感を抱いて誇らしいやら、でもそう思う自分ってなんだかイキってるようなダサさがあるよな、と、当時にそこまでの言語化は出来なかったにせよ、そういった感情が綯い交ぜにあって複雑だったように記憶しています。

少し話は戻りますが、その落花生での豆まきって結局2、3年程の一過性だったんです。
真っ先に思い浮かべそうな、成長するにつれて無くなったという事ではなく、妙なきっかけで落花生はやめようと母親と合意の上で家庭内の風習から消えました。

当時よく通っていた公園にはブランコがありました。
急な転換にびっくりしている読者もいるかもしれません。でも、このブランコが肝なんです。

そのブランコは人気で、かわりばんこで大体乗るんですよ。
乗れない時はその場に居た子を誘って隠れ鬼とかしていました。
田舎なので、公園はそれなりに広さもありつつ、いろんな木が植わっていて少し森のようになっていたんです。
だから素直に鬼ごっこをするよりはそうやって隠れる要素のある遊びが流行ってました。

ふだんはそうだった。
でも、とある日の公園は様子が違った。
誰もブランコには乗らず、遠巻きに見ていた。

なんでやろう? 私は不思議に思って、周りに倣って同じようにブランコを見てみる。
別にブランコが故障している訳でもなく、ブランコ自体におかしな所は無い。
問題はブランコの下。

何故か引き抜かれたままの土がついたままの落花生が数束落ちていた。
葉は枯れていたので、落花生の中にピーナッツが入っているかは分からない。
というか、そんなことを気にする余裕はなかった。

私の地元は今でも夏になると遠くからウシガエルの声が聞こえるくらいには自然が多く、田舎なんですけど、落花生を栽培している農家には心当たりがない。

親に聞いても学校の先生も知らない。
それが気持ちが悪くってね。

それが運悪く、大体節分の時期に近かった。
家に帰ったら、もう豆まき用に用意されてある籠に乗った落花生がレンジだか棚だかの上に鎮座してる。

間違いなくスーパーで買って来たであろう落花生なんですけど、ブランコの下にある落花生のインパクトが強くてどこのもんかも分からない落花生が怖くて直視できませんでしたし、触るのも躊躇われたので、その日以来、落花生は無くなりました。

というか、豆まき自体が無くなって、豆を食べる事だけ以降数年残りました。

あの落花生なんだったんだろう?
落花生で豆まきするのは普通に楽しかった。ブランコの下の落花生は君が悪かったけど。
タイミングも悪かったね。っていう話。

落花生、落ちても大きいから拾いやすいし、殻に入ってるから後で食べるのにも抵抗はないし、何より音がカラカラなって楽しいのでおすすめ。

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尾花そこつ
与太を語りて銭を貰いつつよろづの事につかひけり。 (尾花の血肉になったり、活動を豊かにする為に使います)