【連載】鹿児島県民教育文化研究所の取り壊しに思う①
鹿児島県鹿児島市春日町に、今年の秋に取り壊しを待つばかりの建物があります。「鹿児島県民教育文化研究所」です。
この「鹿児島県民教育文化研究所」は築80年を超えた和風家屋です。しかも昭和13年(1938)頃という建築当時で3億円をつぎ込んだと言われる「豪邸」です。施主は当時の鹿児島の豪商・藤武(ふじたけ)氏、個人宅として建てられました。
私がこの建物と出会ったのはもう10年ほど前のこと。たまたま住み始めた縁もゆかりもない土地で、まちづくり活動を行う人たちに出会ったのがきっかけです。イベント会場として訪れたこの建物に足を踏み入れた途端、何とも言えない懐かしさがこみ上げてきたのを覚えています。
旧重富島津家屋敷跡の広い敷地に、書院造りと数寄屋造り、さらに大正から昭和初期の流行といわれるアールデコ様式の洋室を組み合わせた、2階建ての立派な建物。
昭和20年(1945)6月には鹿児島大空襲がありましたが、その戦火を免れた貴重な建物は、藤武氏の邸宅としての役目を終えると割烹「春日園」として営業しました。その後、現在の所有者が取得し、一時は学生寮ともなりました。そして昭和56年(1981年)に児童文学者の椋鳩十氏を初代所長として「鹿児島県民教育文化研究所」が設立されました。教育相談所などとして使われる一方、テレビCMの撮影や地元のグループが様々なイベントも行ってきました。
その建物が、2022年10月にはただの産業廃棄物となります。
この建物の近くに住み、何度となく足を運んでいた私は、人づてに取り壊しのことを知りショックを受けました。確かに老朽化しています。所有者からは修繕したくても資金がないという話はずっと前から聞いていました。また、この2年半に及ぶコロナ禍で私自身ここを訪れることもなく、イベントなどが行われることもめったにありませんでした。
「仕方ない」。
そう思いつつもこれまで撮ってきた写真などを見返していると、涙がにじんできます。
「仕方ない?」
私にも何かできることはないのか。
そんな思いから、今回この記事を書くことにしました。今後、何回かに分けてこの「鹿児島県民教育文化研究所」についての思い出などを綴っていきます。
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