【連載】鹿児島県民教育文化研究所の取り壊しに思う②
戦前に建てられ、太平洋戦争での空襲も免れた「鹿児島県民教育文化研究所」の取り壊しを知ってから、ここで過ごした時間をいろいろと思いだす日々を送っています。
私は鹿児島県の南薩地方の出身で、現在暮らしているエリアには16年ほど前に引っ越すまで縁もゆかりもありませんでした。鹿児島発祥の地「上町(かんまち)」と呼ばれる歴史の宝庫のようなところだということも知らずに、家賃と間取りだけで住処を決めたのです。
ほとんど知り合いもいない場所に住み始めたことと、年齢的なこともあったのでしょう、自分の足元というか、これから生きていく土地について興味が出てきて、まちづくり団体の存在を知りました。そして気が付けば私もメンバーの一員となっていました。
その団体「上町維新まちづくりプロジェクト」では「鹿児島県民教育文化研究所」をお借りして何度もイベントを行ってきました。一番多く開催したのが、春の「ひなまつりサロン」です。
メンバーがひな人形を持ち寄って飾り、ハンドメイドの作家さんたちが作品を並べ、手作りのぜんざいを売る。メイン会場は表座敷です。美しい庭園に面した表座敷ではバイオリンやフルートの演奏をしていただいたこともありました。決して派手でも大規模でもないけれど、春のひと時、とても和やかで優しい時間が流れていました。そんな優しくて温かい時間が似合うのがこの場所でした。
またイベントで初めてここを訪れたという方がいれば邸内を案内しました。するとほとんどの方が「こんな場所が鹿児島にあったなんて!」と驚かれます。目を輝かせながら邸内を見て回り、つたない説明を聞いてくださる方々を目の前にすると、自分の家でもないのにとても誇らしい気持ちになったものです。
確かに今はコロナ禍ですが、もし、このままコロナが落ち着いても来年の春にはもうひな祭りのイベントは開けないのだなと思うと、本当に悲しくなるのです。