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「そうなんだ」の一言だけで

大きい子宮筋腫ができたのをきっかけに、氷を食べることをやめた。

会社でいつも「小澤さん、氷が好きだから」と氷を作ってくれていた職員さんにこっそり事情をお話しすると、それ以来その職員さんと身体の不調トークするという習慣ができた。成人式なんかより、よっぽど大人の仲間入りをしたような気になった。

その日も「あそこの温泉がいいらしい」「漢方はどうかね」といった会話をしていると、元気いっぱいの別の職員さんが「あら、なんの話?」と入ってきた。

「身体の不調について・・」とお茶を濁したところ「小澤さんの若さで不調なんてないでしょ」と返ってきたので「いえ、実は大きい筋腫ができてしまって」と小声で言ったところ、その人はよく通る大きな声で「ええっなんで手術しないの?一刻も早く手術するべきでしょ!」と言った。

周囲の視線が気になり、なんとか笑顔でその場を立ち去ったが、自席に戻った後はなんだか涙が出そうで、気持ちを誤魔化そうと小さく鼻歌を歌いながら午後を過ごした。

9センチの筋腫を小さくするのは難しいのだからさっさと手術して取るべきだ。
その人の主張は正しいのだが、どうしても手術したくない・できることは全部やっておきたい私がいる。

それから少し経ってある日の休日、友人とお茶をしているとき、自然と筋腫の話になった。「どうしても手術したくないのよ」と話したとき、彼女は「そうなんだ」と言ってそれっきり何も話さなかった。

もしかしたら彼女は私に色々言いたいことがあったかもしれないけど、私の切羽詰まった表情から何か感じ取ったのだろうか、何も言わずにただ共に居てくれた。それがとてもありがたかった。

社会では「うまい言葉を巧みに話す人」が評価されやすいとよく感じる。
本屋さんの自己啓発コーナーに行くと「人は話し方が全て」とか「相手をコントロールする方法」といった本がたくさん置かれている。けれども本当に大事なことは「どんな時に話さないか」という気もする。

新卒で就職したばかりの頃は、口が達者でベラベラと話せる人に憧れていたこともあった。しかし他人の噂話や悪口になるとスッと席を外す人や、せっかくすごい情報を掴んでも「誰かを傷つける可能性があるから」と絶対口外しようとしない人に憧れる様になっていた。

不安が多い世の中で、強くて正しい言葉を話せる人は目立つ。でも本当に大事にすべきは、目立ちはしなくても相手に寄り添うことのできる人なのだと思う。

だいたい、未来なんて予測もコントロールも出来ない。重症だった私の氷食症もある日を境に治まった。来るべきタイミングは必ずその人のところに来るし、その領域はどんな強い人も目立つ人もコントロールすることは出来ない。


葉祥明さん「急がない」より


さっさと手術を受けることが正解だとは理解しつつ、自分の心の声を最優先に、自分以外の人には優しく寄り添うように、これからも生きていきたい。


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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。