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人はいつだって変われる

スポーツに関心ない人間だが、例年お正月の箱根駅伝だけはよく見る。

ルールが単純なことと、実況中に「この選手は父も兄も、箱根を走っていました」「上京して、怪我に苦しみながらも諦めなかった」など、選手の人となりについても紹介してくれるのが好きだ。

タスキを渡すとき選手同士の「あとは頼んだ」「まかせとけ」という無言のやりとりも、見ている人間の胸を熱くする。

今年の優秀は駒沢大学。
監督の大八木監督は、選手に声を荒げている昭和なイメージがあり苦手だった。しかしなんとなく今年は顔つきが柔和な感じがする。ウィキペディアで大八木監督について調べてみたところ、ここ数年で学生への指導方法を大きく変えてきたことがわかった。

大八木監督はそれまでずっと「監督の指示が絶対」という指導だったそうだが、2015年に駒沢の駅伝連覇が途絶えたことをきっかけに「選手との対話や自主性を重視した指導」に変更したそうだ。

監督は御年64歳。計算すると指導方針を大きく変えたのは57歳ということになる。
「あの年でも、あの立場でも人は変われるんだ」と思ったとき、腕に鳥肌が立った。

大八木監督は若いころ家の事情で進学できず、働きながら自分で学費を稼ぎ、早朝や休み時間に走ってきた人らしい。
怪我や貧血に苦しみながら、まるで修行僧のようにひたすら練習に打ち込み、選手として道を切り開いてきた。同様にコーチとして多くのランナーを厳しく育ててきた。

そんな叩き上げのザ・昭和な監督としては、最近の「対話が大事」「学生の声を聞くコミュニケーション」なんてやり方を、最初は到底受け入れられなかったのではないかと思う。

でもかつての常勝校がシード権を取るのも難しい状況に追い込まれて、はじめて監督は「このままではいけない」と、それまでの自分の成功体験を潔く手放したのではないか・・と予想をする。

こうやって見ていくと、挫折体験というのはその人が再生し、さらに大きな道を歩みだすきっかけであることがわかる。

私個人の話になるが、年末に子宮筋腫が見つかった。
女性の4人に1人はあるし、セラピスト時代よくそうしたお客さんに出会っていたけれど、他人がそうなるのと、自分が当事者になるというのは全く違った話だった。

どんより暗い気持ちで2023年の正月を迎えた。
しかし箱根駅伝を見ていて、単純に選手たちの走りには勇気をもらったし、駒沢のコワオモテ監督が、それまでのやり方を大きく変えてチームを優勝に導いた瞬間に立ち会えたことは、自分にとって大きな希望のように思えた。いつだって人間は変われるし、やり直せる。

監督が指導方法を昭和から令和にアップデートさせたように、私も自分の身体を犠牲にしてでも頑張るのではなく、身体も気持ちも大切にしながら進む生き方に変化させていきたい。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。