集客狂騒曲「あなたが世界を愛すれば」
来月文章のワークショップを行うのに、参加者が2名しかいないという状況が1か月続いた。
画面に映る「残3席」と自分で打った文字をにらみながら、私は親指の爪をかむ。
「集客できないお前は、無能な人間だ」と神さまに宣告されている気がして、満員御礼を目指し発信に力を入れた。
完璧なセールスレターを作り、noteでも2日に1度は発信することに。しかし定員は埋まらなかった。
発信だけでなくリアルでもあちこちで「ここに来れば、一生ものの書く技術が手に入ります」「共感される文章が書けるようになります」と声を大きくして言って回った。しかし定員は埋まらないまま。
ノルマを達成できない部下を詰める上司のように、私は私に言い聞かせた。
「お前はそのままではダメなんだ。他人に価値を提供して、他人の期待に応えて、初めて皆が振り向いてくれるんだよ」
よく調教されている私の中の私はそれでまたヤル気を出し、発信した。しかし振り向いてくれる人はいなかった。
焦った私は友人が主宰する対話会で空気を読まず自分のワークショップを宣伝したり、知り合い一人ひとりにメッセージで参加を強要するという個人攻撃に打って出た。
席を埋めなければ、誰も私を見てくれない。
たった5席も埋められない私のことを、誰も認めてくれない。
だから私は席を埋めなくちゃ!
・・そんな幻想に振り回されていた私を見かねたのだろうか。
前回の参加者の方のお一人が、私のワークショップをSNSでこんな風に紹介してくれた。
「書き方のテクニックを超えた」というところで、ハッと我に返った。
前回のワークショップを思い出すと、参加者の皆は最初たしかに「文章の技術を得たいから来た」とおっしゃっていた。
しかし最終的に皆さん「ひとみさんの『人と人とが文章を通してもっと繋がれるように』という想い(願い)に心を打たれた。来てよかった」といったことがアンケートに書かれていた。
私が高い文章技術を教えたから皆が私を見てくれたわけでも、ましてや集客を成功させたから皆が私を認めてくれたのでもなかった。
私がそのままの私を皆に見せたから、皆は私を見て、私を愛してくれたのだった。
そのことを思い出してやっと私の中の私が、正気を取り戻したのがわかった。それを待っていたかのように、とんとんと残りの3席が埋まった。
かみすぎて薄くなった親指の爪先が「あなたが世界を愛すれば、世界もきっとあなたを愛するよ」と言っているような気がした。