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人が願うことは、恐ろしいほどに実現してしまうから

(今日の記事は、食事中は見ないほうがいいです)



(いいですね?)




「OLやめて作家になる!」と去年の春に会社を退職したものの、書くこと一本ではなかなか食べて行けず、秋からは週1回ほど事務のパートをさせてもらっている。

この仕事に行くとき、自分の中で決めているルールがあった。それは「勤務先ではトイレを借りない」ということだった。

パート先の方々は優しく「トイレは好きに使っていいからね」「食事の前後、必要なら洗面所も使ってね」と言ってくださるのだが、強烈な抵抗があった。

コロナ禍の数年前、そこまで仲良いわけでもない知人が突然うちのアパートに来るということがあった。(一度だけ友人の友人としてやってきたことがあった)

そのままうちのアパートに来て「ファスティング中で、トイレに行きたいの!」と、うちのトイレに入ったりマシンガントークを聞かされたりを繰り返し、結局大きい方のトイレを4回ほどして「あ~スッキリした!じゃあね」と去って行かれたことがある。
汚されるだけ汚された便器を掃除しながら「人のトイレを借りまくる人間は、ろくな人間じゃないな」と思ったりした。

そういうわけで、パート先では勤務前に駅のトイレに行って、勤務後に急いで駅のトイレに駆け込むという日々が続いた。自分の下腹部には12センチの子宮筋腫があり、膀胱を圧迫する。要するにトイレが近いほうなのだが、我慢強さは人一倍。お世話になっているパート先でトイレを借りなどして、信頼を損ねてなるものかと根性で耐えていた。

そんなある日、いつものようにパート先で仕事をしていると、徐々に目の前が白くなって何かがサーっと下に引いていく感覚になった。常飲しているホルモン剤を強くした副作用だろうか、感覚的に出血しているのもわかった。

「すみません、、トイレをお借りしていいでしょうか」

もちろんとおっしゃる上司に甘えて、この日は2回もトイレを、それも大きい方までしてしまった。その後も貧血は続き、30分ほど横にならせてもらうという失態を犯した。ああ、もう私はおしまいだ・・

そんな話を後日、コーチにセッションで聞いてもらっていた。するとコーチからは「仁美ちゃんが『こうなりたくない』って思ったことは、ことごとく達成されてるみたいだね」と痛い指摘があった。

人は否定語を理解できない。例えば「ドラえもんを想像しないでください」と言われるとどうだろう。大抵の人が、今あの青くて丸いやつを想像してしまうのではないだろうか。

仲の悪い両親を見て「あんなふうになりたくない」と思うと自然と合わないパートナーを選んでしまったり*、人は「~しない」と考えると、自然とそちらにいってしまう生き物らしい。
(*この場合は素敵な夫婦を見て「あんなご夫婦になりたい」と否定語を使わないと良い方に叶う)

先日見ていたyoutubeでも

「食べたいものがあるとして、それが1500円の定食で『わあ高い!本当は1500円のが食べたいけど高いから、500円のにしよう。別に食べたくないけど、お金がもったいないからね』と、500円の方を選ぶと、それは恐れから行動することになるので、いつまで経ってもお金が足りないということになる」

というようなことを話していた。そうなのだ、人は本心から思ったことを成し遂げてしまう生き物なのだ。

改めて考えてみると、普段から真面目に仕事をしていればトイレに行ったくらいで信頼を損ねるわけがない。なのに、自分だけは例外のように思ってしまう。この世で一番私に意地悪なのは、いつだって私みたいだ。

とりあえずこのコーチングセッションの翌日、思い切って食べたいものを食べてみた。

大戸屋さんにて(910円)

翌日たまたま、あるカルチャーセンターで講師を募集している広告を見つけた。「エッセイのクラスならできます」と応募してみた。
また別日、今文章教室に来てくださっている方のご紹介もあり、少しずつ春からのクラスに参加してくださる方が増えてきた。いい流れが、戻ってきたような気がした。

食べたいものを食べる。こうなりたいという願う姿を、肯定語で言葉にしてみる。そして世界で一番大切にすべき存在である私を、大切にする。

数え切れないくらい無意識に私は私をいじめてしまうけれど、その度にきちんと謝って仲直りして、本当に望む方向へ進んでいきたい。











文章教室は対面でもオンラインでも、まだまだ参加者の方を募集中です。


今日もお疲れ様でした。また読みにいらしてください〜〜

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小澤仁美
最後までお読みくださり、ありがとうございます。書き続けます。