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雑巾は手縫いじゃなきゃダメだ!と言った、元男性上司について

新卒で最初に入ったのはマッサージチェーンの会社で、配属されたのはスーパーの中にある、南国リゾート感のある店舗だった。
豪華なシャンデリアが吊るされてあったが東日本大震災の時に揺れに揺れ、危険だということで天井から外して受付のオブジェとして飾られることになった。

こうした素敵なインテリアというのは、なぜか埃が溜まるのが早い。
ある時同じスーパーで売ってる100円の雑巾を経費で購入し、拭き掃除していると、その様子を後ろから見ていた男性の上司に「雑巾は手縫いじゃなきゃダメだよ」と少しばかり大きい声で言われた。

思わず後ろを振り返り、理由がわからず戸惑っている私に上司は「百歩譲って仕事ならまだいいけど。小澤さんが将来結婚して子どもを産んで、その子が学校で雑巾を持っていかないといけない時は、きちんと縫ってあげるんだよ」と呟いた。

私はつい「売ってるものの方が、縫い目が綺麗じゃないですか。それに都合よくいらない布巾なんか家にないですよ、バカ高いものじゃなし。買った方が効率的です」と反論したが、その男性上司(当時独身)は「小澤さんも、お母さんになればわかるよ」と言って去っていった。

この「家事は手間ひま掛けて、苦労をかけないと価値がない」族は、令和になった今も絶滅せず、未だ息をしているように思う。

構造こそ違うが「定時で帰るやつにいい仕事はできない」と本気で思ってる、仕事のできないオッサンの考えに近い。
自分もOL 時代「サービス残業してこそ一人前」的な部署にいたことがあるが、その日の仕事はとっくに終わっているのに毎日20時とか21時まで忙しいフリをしなければならず「なんだこの非生産的な時間」とずっと思っていた。

この世には家事なり仕事なりを楽にこなすことが許せず「たとえ非生産的であっても、汗水たらしてこなすことに美しい価値がある」と考えている時代遅れは多いみたいだ。

ただ自分は、こうした旧時代の遺物を見ると、祖母のことを思い出す。

自分の祖母は父が2歳の時、夫と病気で死別してしまう。戦後の混乱が続く時代、祖母は女で一つで官公庁で事務をしながら息子を育て上げた。

主婦として旦那さまに愛され守られている女性が同世代のマジョリティの中で、祖母は労働に家事に育児にと、家の一手を引き受けて孤独に戦っていた。
女性が一人で働きながら子どもを育てることは今よりずっと困難な時代に、それでも祖母はやりぬいた。

やがて父は母と結婚し、子どもを授かり祖母との同居生活が始まると、祖母は母の家事にたびたび「それは手抜きだ」と言って責めるようになった。
味の素を使うなんて手抜きだ、掃除機しかかけないなんて手抜きだ、お湯を使った洗い物なんて贅沢だ、、

子どもだった自分にとって祖母は「母をいじめる悪者」としか見えなかったが、今なら思う。祖母は母が羨ましかったのだ。かつての自分とは違って、頼れる夫がいること、十分に家事や育児に専念できる環境があること。

母は専業主婦として、充分過ぎるほど家のことをしてくれていた。それでも祖母は「あの嫁は手抜きばかり」とよく不満を述べていた。あれは父と二人生きて行くことに必死で、20数年間のあいだ祖母が押し殺してきた感情が、雪解けして出てきた言葉だったのかもしれない。

話は戻って雑巾やサービス残業について。無駄な手間ひまをありがたがる人たちは、何かしら過去にその人の喜びがあったのではないかと推測する。

例えば普段は忙しかったお母さんが、雑巾を縫ってくれた時だけは一緒にいてくれたとか。
今ならパワハラものの鬼上司が、サービス残業をした時だけは自分を褒めてくれたとか。

そうした思い出と生産性の話がごっちゃになって「何事も手間ひまをかけなければダメだ」という思考になっているのではないだろうか。


くだんの元男性上司は、私が退職後にご結婚されてお子さんが産まれていることを最近facebookで知った。

どうか奥様に雑巾の手縫いを強要していませんように。と祈ると同時に、もし強要してしまったとしても、なぜ手縫いにこだわるのか、その理由をきちんと夫婦で対話できていますように、などと幸せそうな家族のアイコンを見て思ったりした。











今日もお疲れ様でした。
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最後までお読みくださりありがとうございました。
明日も適当にしっかりで参りましょう〜〜

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