目に見える世界は、自分の心を反映している
今年の初め、学びの場で出会った男性Aさんを素敵だなと思うことがあった。
自由な雰囲気のAさんと話していると、なんとなく心のどこかでホッと安心して、伸び伸び過ごせる自分がいた。
それからというもの、心の片隅にAさんがちらつくようになった。
新しい服を買う時、試着室で「この服を着たら、Aさんは私をかわいらしいと思ってくれるかしら」と思ったりすることがあった。
仕事などで何か試練が来ると「ここで頑張って成長したら、Aさんは私をすてきな女性だと思ってくださるかな」などと考えることが増えた。
夏ごろ、Aさんには恋人のような関係の方がいらっしゃるということがわかり、失恋。
9月で学びの場が完了するので、もうこれで会うこともない。これですっぱりAさんのことは忘れよう。そう思って向かった学びの最終日。
その日は「目の前の相手を、存在ごと言葉で抱きしめる」ことを学ぶ回だった。
6人1組になって、一人ずつ「私はあなたに、〇〇なところを感じてます。そして私はそれが大好きです」とひたすら言っていくワークだった。
その6人の中にはAさんもいて、ちょっとドキドキしながら自分の番になった。一人、二人とありがたい言葉を言っていただく中で、Aさんは私にこう言った。
「私は仁美さんに、かわいらしさを感じてます。そして私はそれが大好きです」
なんと、この9ヶ月間ずっと思っていた「Aさんにかわいらしい女性だと思ってもらいたい」という願いが実現したのだった。
衝撃的すぎてその後、自分が何を喋ったのかちょっと覚えていない。
ここでちょっと話は変わるが、振り返ると自分が好きになる相手はAさんのように、決まって私よりも大切な人や存在がある人だった。
自分は小さい頃、祖母より「お兄ちゃんより目立っちゃだめ、愛されちゃダメ」と言われて育ったせいか、それか父と仲良く話していると母がやきもちを焼くせいだろうか、とにかく「私は誰かに一番に愛されてはいけない」というビリーフがあった。そして自分が好きになる人は、Aさんのように私を一番には愛してくれない人ばかりだった。
人は願ったことはそのまま叶い、叶わない時はそれを妨げるビリーフ(信念)があると言われている。
「素敵なパートナーができますように」という35歳独身女性の願いは「でも私は一番に愛されてはいけない」というビリーフで妨げられていたようだ。
「Aさんが私を愛おしい存在と思いますように」という願いが叶ったのは、おそらくその願いを妨げるビリーフはなかったから(私がその願いが叶うことに許可を出していたから)だろう。
私の先生の一人は「何か大変なことが起きたら、このお金を使おう」と思ってコツコツ貯めていたお金を、詐欺で全額騙し取られてしまったそうだ。「何か大変なことが起きたら使おう」という願いは、詐欺という形で達成されてしまった。
自分の外側で起きている世界は、自分の内側が反映されているとしたら。
あれから「私は一番に愛されていい」と、事あるごとに口ずさんでいる。
そろそろ本当の春がやってくると、いいなあ。
今日もお疲れ様でした。
書くのが楽しくなる入門ワークショップの最終回、残2席です。
書くよろこびを思い出す。
10月5日(土)から始まる文章講座、あとお一人大丈夫です。
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