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毒親育ちの私が子ども達に絶対言わないと決めていること

言われたことがある事は、ついうっかり言ってしまうことがある。
でもやっぱり言っていいことと悪いことがある。
いくら親子でも。
いや親だからこそ、言ってはいけないことがある。


『あなたは運が悪い』

これに準じた言葉、"あなたはついてない" とか "あなたは恵まれてない" とか "あなたはアンラッキーだ"とか、全て絶対言わないようにしている。

"あなたの運は大したことない。○○(姉のこと)のほうがまだまし。私(母のこと)はすごく運が良くて、そのおかげであなたは何とかなっている" 
と母から何度言われただろう。
占い師さんに聞いたことらしいが、その言葉を幼い頃に聞いてから、私はずっと呪われ怯えている。
恐怖から母にどんどん依存していった。

母の言うことをちゃんと聞く子どもになり、母の望みを叶える娘になり、母が口に出さずとも察して行動する大人になっていった。
そして自分で何も決められない大人になっていた。
心の奥底で、そうしないと不運がやってくると思っていたのだと思う。

実際、母がやる事はトントン拍子に成功するし、大きな事故もすんでの所で免れたり、本当についている人なので、母の言葉には信憑性があった。

バカげて聞こえるかもしれないけど、自分の運への自信の無さは、ずっと続いている。
結婚して出産して、やっと母の言動に疑問を持ち母と距離を取り始めていた頃に、私と私の家族に次々と問題が発生した。その時、
"母に冷たくしているからバチが当たったのだ! 母の強運を貰えなくなった!"
と、当時40歳をとうに過ぎた大人が本気でそう思い苦しんだ。


でも今、よく考えると、そういうついている母の姿をアピールされて刷り込まされていただけで、母のアンラッキーな部分は誤魔化されていたのだと思う。
いや、それが母の生き方なのだ。
アンラッキーの中からラッキーを見つけ出し、自分自身にもついている自分をアピールする生き方。
それは憧れる生き方だ。
教え学ばせる生き方だ。

でも母は私に同じことをさせなかった。
ここに母が毒親たる所以がある。
つまり、私にアンラッキーなことが起こり、その解釈をラッキーに捉えようとすると、" 自惚れてるわー"とか "せいぜいそう思っておきなさい"とか "そう思うしかないよね"とか、どこか否定感たっぷりに言うのだ。
決して "そうよ、その通り" と肯定はしない。


生きていると何かしら大変な事は起こるものだ。
でも、自分の運に自信があれば必ず乗り越えられるのではないだろうか。
大変な事の最中でも光を見つけられたり、ラッキーな事に変えたりする原動力は
自分なら大丈夫!
自分は運がいいのだから。
と思うことだ。
その基本のキを奪ってはならない。

子ども達には"良かったねー" ラッキーだったねー" "こんないい面があるよ"と声を掛けるようにしている。
そして自分にも。

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