松屋とラルクの話
サムいPRが滑ることはよくある。
松屋とラルクの話だ。
詳しくはリンク先を読んでもらうとして、
めんどくさいひとのために三行で要約すると、
松屋は定番メニューの「オリジナルカレー」の終売をTwitterで告知した翌朝に「創業ビーフカレー」のリリースを発表したところ、「名前を変えただけじゃねえか!」と当然のツッコミが入り、一方ラルクは重大発表の体で「ラルク、解○」と解散を匂わせるような告知をしたオチがPV3本の「解放」だったことで一部ファンの不評を買っていた。
それだけの話だ。
どちらもメンヘラの“死ぬ死ぬ詐欺”みたいな手法が12月にしては寒すぎただけの話なんだけど、松屋の方は夕刊フジに「松屋がカレーで大炎上!…非難の声相次ぐ」との派手な見出しが躍った一方、ラルクの方は一部のまとめサイトに「L'Arc~en~Cielさん、やらかす」と取り上げられただけで終わっている。この差はなんなのか。
たぶんそれは単純に商売の公共性やファンの数、エンゲージメントの差でしかないんだけど、そもそも松屋のケースは「炎上」を言われるようなことだったのか、というのが誰しもが感じるところだと思う。
いったい誰がありもしない“炎上”を作り出しているのか──?
サムいPRが滑る。これはよくある。
それに対してTwitterで匿名のだれかが「この宣伝方法はいかがなものかと…」と“自由な発言”がなされる。これもよくある。一個人としての率直な感想を超えたものではない。咎める余地もないし、むしろ積極的に発言されてよい。
ではメディアはどうか。
事件を時系列で追ったYahooの記事はよくできていて、松屋のネタばらしのあとの初報は否定的なニュアンスも伝えながらガジェット通信、TBSニュースが続いたことを教えている。
もちろんこのまえに大手の産経が松屋のカレー終売を報じる伏線はあったんだけど、松屋のネタばらし後に否定的な論調で“カレー死ぬ死ぬ詐欺”を伝えたのは大勢のユーザーによる怒りの声ではなく「メディアの取り上げかた」だったことはしっかり記憶しておく必要があると思った。
なんというか、
火のないところにも煙が立つ時代だ。
とくに抗議の意思もない何人かの“個人の感想”がメディアによって恣意的に取り上げられると、そこに存在しない“エア炎上が”出現する。松屋の担当者はTBSの取材に「思ったより反響が大きくて驚いている。炎上させるつもりはなかった」と釈明しているんだけど、なにげなく“個人の感想”を漏らした匿名のひとたちも「炎上させるつもりはなかった」というのが正直なところだと思う。
ところで、「あのひとがあなたの悪口を言っていましたよ」と伝える人間は、悪口を言っていた当人よりも悪質である、という説がある。
この説にしたがうと、炎上の際にいちばん悪質なのはメディアということになるんだけど、はっきり言えばほとんどその通りである。「松屋のPR手法に対してこんな否定的な意見が連なっていましたよ」という讒誣は、「あのひとがあなたの悪口を言っていましたよ」という卑劣とほとんど同様の形式を持つ、ということだ。
サムいPRですべること。些細な失言をすること。
どれも実は大した問題ではない。
むしろ、それをだれかに伝えるほうにより大きな問題(恣意性)があったりする。
いまの日本は、万人が「だれかの失敗」を待望しているお寒い状況にある。
こうした状況のなか、もっとも距離をおくべきは「あのひとがこんな失敗をしていましたよ!」と大げさに触れ回る人種や情報だと思った。
俺はラルクアンシエルも松屋も好きだけれど、この手の「正義の顔をした通報者」はなによりも嫌いである。