美人とガソリンが好き。

美人とガソリンが好き。

マガジン

  • 観た、読んだ、聴いた、行った、考えた

    好き勝手に書いている

  • 広告業界というドブ川に泛ぶ俺の話

    ごらんの通りのありさまです。

  • 夢破れてハーレーあり

    バイクのはなし

  • それ、ほんとうに俺に聞きたいこと?

    質問箱やらAsk.fuckin.fmに届いた質問を料理するやつ

最近の記事

この旅の顛末

はじめまして、朧(@ob_rt)と申します。 ただいま青函フェリーの船内からお届けしております。 たしか先週くらいから東京の港を出発して大分は門司港に渡り、クマハチことアイアン883で九州の景勝を放浪したあと、さらにフェリーで徳島に渡り、淡路島の眺望を明石へ渡り、神戸大阪京都を北上して舞鶴から北海道は小樽へ渡り、札幌から美唄旭川まで北上し、なんだかんだで函館に至り、いま青森に渡るフェリーから旅の顛末を書き残している次第です。 そういえば立ち寄った神居古潭(カムイコタン)の土産

    • 侘び寂びを聴く

      沖縄に来ている。 ガキのころにきた沖縄はひたすら暑いだけの南国だったけど、四十を超えてようやく再訪した沖縄は風雨に傷んだコンクリとか国際通りの裏あたりの猥雑だったり、どこかくたびれた島嶼特有の侘び寂びを聴いた旅程初日だった。 宿はピンク街のど真ん中にある。ほんとうかどうかは知らないが温泉が謳ってあり、客室のベランダに据えられた風呂釜が読書向きだった。 ──旅先でまで? 逆だろ。旅先のほうが読みやすいし書きやすい。 侘び寂びを聴いた──と書いたのは沖縄への機内で読みはじめた「

      • 閃ハサこと閃光のハサウェイが予想以上に面白かった件について、

        折り悪くコロナの自粛によって延期が重なっていた「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」なんだけど、ようやく封切られたらしい。らしいというか、この目で見てきた。正直、さほどの期待はなかった。ところが、である。

 知らないひとのために閃ハサを三行で説明すると、もともとは(上)(中)(下)の三巻にまたがった御大による薄いガンダム小説だった。いうまでもないけれど、御大とは富野由悠季大先生のことを指す。俺がガキのころにはすでに文庫化(現在は絶版)されており、いまではもう古文書に近い。正

        • ハーレーと物理の話

          はんぶん酔いながら書いているから適当に読み飛ばしてくれ。 ひとことで書くとクマハチこと883アイアンをボアアップしたくなってきた、という話なんだ。ボアアップというのは、エンジンの排気量を上げるための加工や工作のことをいう。もちろん鋼鉄のシリンダーを素人がボーリング加工するわけにはいかないからプロに頼むことになる。簡単にいうと、それなりに金がかかるわけだ。道楽だよね。 いや、すこぶる調子がいいんだよ883アイアンは。小型のブルドーザーに乗っているような愉しさがある。先日は車体

        マガジン

        • 夢破れてハーレーあり
          4本
        • 広告業界というドブ川に泛ぶ俺の話
          12本
        • 観た、読んだ、聴いた、行った、考えた
          10本
        • それ、ほんとうに俺に聞きたいこと?
          18本

        記事

          おまえらにはクソどうでもいいバイクの話

          まあそりゃそうなんだけど、たまにバイクの話をしても食いつきが弱い。単気筒とか2気筒とかどうでもいいんだろうけど俺は2気筒エンジンが好きで、ましてや時代錯誤の空冷エンジンのハーレー883アイアンは、なるほどこれは鉄屑と納得させられる基本性能の低さもさることながら、走り出したら止まらないレベルで愉しい乗り物なのだった。 まずサスがクソ固え。ちょっとした段差でも思わぬ突き上げがくる。ニュートラルを探しにくいギアと、ベコン!と金属質な音を立てて入る1速。そしてとにかく重い。曲がらない

          おまえらにはクソどうでもいいバイクの話

          俺とバイクと“意味ねーたー”

          地球の赤道周はおよそ4万キロだという。 手に入れたときは1万キロ弱だったオドメーターも先日5万キロを超え、だいたい地球を一周分を走ったことになる俺のエリミネーター250SEである。とにかく鉄屑のようなバイクだった。 けれども、愛すべき鉄屑だった。 ちょうど3年前、たぶんどこかの小僧が回しすぎたせいでエンジンが壊れかけたエリミネーター250SEを見つけて、誕生日に景気良くタトゥーをブチギメたついでに衝動的に買ってしまったバイクなのだった。当時の俺はまたつまらない失恋をしてメソ

          俺とバイクと“意味ねーたー”

          言葉が斥ける誹謗中傷

          誹謗中傷の話題がやや感情的に盛り上がっているよね。有名アカウントのなかには法的対応を堂々宣言するひとまでチラホラ現れ、「こっちに一歩でも近づいたら撃つからな!!(ブルブル」みたいなタイムラインである。まあ少し落ち着けよと思わないでもない。さんざん腹に据えかねてきた気持ちも分かるんだけどね。俺だって陰湿な誹謗中傷を受けたこともあるしさ。 もう当時のあれこれを正確に思い出すことはできないんだけど、俺を誹謗中傷してきたアカウントは、過去には人気アカウントの自撮り画像を貶め

          言葉が斥ける誹謗中傷

          なにが“誹謗中傷”にあたるのか、という話と、“正義のひと”の話

          テラスハウスという番組に出演していた女性がSNSで受けた誹謗中傷を苦に自殺したらしい。らしいというのは、本人が亡くなっている以上、その真意をたしかめることができないからだ。 この事件を発端に、SNSにおける「誹謗中傷」について多くのひとがコメントを寄せていて、その多くは「誹謗中傷を許すな!!誹謗中傷は罰せられるべき!!」という感情的なものなんだけど、なにが「誹謗中傷」にあたるのかを言語化したうえ「誹謗中傷」に分解的な批判を向けているひとはほとんど見かけなかった。 誹謗中傷はよ

          なにが“誹謗中傷”にあたるのか、という話と、“正義のひと”の話

          2120年のオリンピック

          ※以下に書くことは粗悪なSFだと思って読んでほしい。 未知のウイルスによって「ひとが集まる/交通する」というごくあたりまえの営為が封じられただけで社会が危機に瀕することがいま、世界的に確かめられている。幸運にもいずれ事態が収束したとして、未知のウイルスが国防上の課題として残り続けることはまず間違いないと思われる。 というのも、「貧者の核兵器」と言われるように、生物兵器の研究製造は、核兵器の研究製造よりもはるかに安く手が届くからだ。なにしろいまや個人ラボのレベルでゲノムデザイ

          2120年のオリンピック

          老人たちの地球

          どこかイカロスの伝説と似ていると思った。 おもにプロテスタントの福音派のひとたちなんだけど、アメリカにはいまだにダーウィンの進化論を否定していたり、決して地動説を信じようとしないロマンチストが意外なほど多くいる。かれらのなかには中世以前のインドあたりで信じられていたような「地球平面説」を本気で信じているひともいて、すこしまえに科学番組のドキュメンタリーで話題になっていたりした。 そのなかの代表的な論者が、高度1500mから“地球が球体ではなくフライングディスクのような形である

          老人たちの地球

          フェミニストに漂うウザさについて

          ハフポストが元2ch管理人のひろゆきにガチのフェミニストを差し向けて「フェミニズム」について聞く、という愉快な記事を読んだ。 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5e3cb7f5c5b6b70886fd0627 実は俺もひろゆき氏にはインタビューしたことがあるんだけど、「インタビュアーが用意した構成通りに話を拾いにくい」という意味で、なかなか手強い相手だったことは覚えている。1コ1コのコメントはスジが通っているだけに、

          フェミニストに漂うウザさについて

          スタアヲズ(終)について

          エピソード3が公開されたのは15年くらい前でしょうか。冬の井の頭公園で「嗚呼、これでスターウォーズも終わったのか…」とうら寂しい気持ちになったことをいまでも覚えています。若き日のダースベイダーを主人公にスターウォーズを「悲しい師弟物語」として編んだのが第2期のスターウォーズだとすれば、ついに完結した第3期のスターウォーズは、結局すべて「フォースを巡る親子喧嘩」だったと総括できそうな感じです。 ネタバレをしないように感想を綴るには細心の注意を要するんだけど、エピソード8の結末で

          スタアヲズ(終)について

          生涯のパートナーを選ぶとしたら?

          真面目に答えると、「生涯のパートナーを選ぶ」という言葉自体に相手への無自覚な期待が溢れすぎていてゲンナリくる。重すぎるだろ。そこまで相手への期待が大きすぎると、必ず失望するだろうことは断言できる。結果的に生涯を共にすることができたら感謝する、くらいのノリでいた方がいいと思うんだよね。よりフェアな言葉を選ぶなら、「相手の人生に占めた部分に応じた責任を負う」じゃないかな。なので、質問を再定義したうえ、その約束ができそうな相手について答える。 まず前提として、「占める」という

          生涯のパートナーを選ぶとしたら?

          それはまぼろしだ

          エンドノイズを聴きながら 残響のなか 意味を探した リピートして 終わりない環状線 あの墓碑銘に刻む 「光が見えた? それはまぼろしだ」 赤い錠剤 噛みながら 現実のなか 答えを探した リブートして 意味のない消耗戦 その運命に笑う 「成功しました? あるわけないだろ」 幸せだったと聞かせて もう思い出せない声に 意味があったと教えて ここでくたばる俺に 五臓六腑にキメながら 閃光のサイン もう意味はない リセットして 青ざめた世界へ 幸せだったと聞かせて

          それはまぼろしだ

          松屋とラルクの話

          サムいPRが滑ることはよくある。 松屋とラルクの話だ。 詳しくはリンク先を読んでもらうとして、 めんどくさいひとのために三行で要約すると、 松屋は定番メニューの「オリジナルカレー」の終売をTwitterで告知した翌朝に「創業ビーフカレー」のリリースを発表したところ、「名前を変えただけじゃねえか!」と当然のツッコミが入り、一方ラルクは重大発表の体で「ラルク、解○」と解散を匂わせるような告知をしたオチがPV3本の「解放」だったことで一部ファンの不評を買っていた。 それだけの話

          松屋とラルクの話

          私のことが好きなら──

          俺はもずおさんの“ワケの分からない感じかた”をオカズに、あれこれ思弁を巡らせるのが好きなんだけど、「私のことが好きなら──」という条件節のあとに何を思うかは、その人物の本質を特徴付ける視座や価値観が形を変えて言語化されているように思った。 https://note.mu/mozou/n/n570f1824e373 そして、設問以上に衝撃を受けたのは、もずおさんの答えだった。 「私のことが好きなら、その事実だけでもっと幸せそうに生きることができるはずだ」 これさ、美しい言

          私のことが好きなら──