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無為から生まれる創造性―それは可能なのか? モーガン・フィッシャー

あなたが手放しをすることで、幸運がやってくることを祈る。自分の好きなやり方で、何度でも、軽い気持ちでそれと戯れるといい。あんまり考えすぎないことだ! 可能性は無限だ。そして、それはあなたのまわりをとりまく、いたるところにある!
                      ―M O R G A N F I S H E R

静かで深いビートル ―ジョージ・ハリスン

 私が出会った唯一のビートルズメンバーはジョージ・ハリスンだった。
 それは1969年のことで、ロックスターたちが一緒に飲んだり演奏したりするロンドンのプライベートなパブでのことだ。そのころの私は19
歳の新人で、シャイなポップスターだった。
 彼はビートルズデビュー6年目の世界的に有名なヒーローであり、伝説だった。そして、インドから戻ってきたばかりで、長髪のヒッピーのようだった。私は彼と飲みながら話していた5分後に、はじめて相手が誰かに気がついた。彼はしらけた雰囲気だったが、おそらくそれはビートルズがすでに解散を考えていたからだろう。それに、彼は何ヶ月かをインドで過ごし、ロンドンに戻ったばかりだったこともあって、いくらかカルチャーショックも感じていたのだと思う。後にインドがどれほど深く、霊的のみならず音楽的にも彼に影響を及ぼしていたのかを私たちは知ることになった。
 彼は「静かで深いビートル」と呼ばれていた。彼ら4人のなかで、自分が出会ったのが彼だったことを、私はほんとうに嬉しく思う!

 ビートルズが解散してから、ジョージは新しい音楽活動に飛びこんだ。何年かのあいだ、ジョン・レノンとポール・マッカートニーに、それぞれのアルバムで1曲か2曲しか書かせてもらえなかったことで、彼は欲求不満を感じていた。そう、ビートルズメンバーでさえ、巨大な成功にもかかわらず挫折を感じることはありうるのだ。

 自由になるやいなや、ジョージは3つのアルバムセット(『All Things Must Pass』というタイトルにした3枚のLP)用に充分な曲をレコーディングした。彼は、自分の人生に対する霊的アプローチを理解できる、才能ある感受性に富んだミュージシャンたちに囲まれていた。
 ビートルズ後の活動は『Living in theMaterial World』というドキュメンタリーで、深く掘り下げられている。私はこれを自分の人間性と瞑想生活を維持することができた、ひとりのスーパースターについての最もすばらしいドキュメンタリー映画として、非常に高く推奨する。

 もうひとつ大好きなドキュメンタリーは『The Concert for George』というDVDで、2002年にエリック・クラプトンが主催して、ジョージの友人たちが出演した追悼記念コンサートを録画したものだ。彼が亡くなって、ちょうど一年後のことだ。そして本稿のほんとうの主題は、まさに私がこのビデオのなかで見たなにかだった。

演奏と瞑想

 この『The Concert for George』を観ることは、私にとって、いつも非常に感情的で、高揚させられる体験だ。ジョージの友人である、何十人という非常に才能あるミュージシャンたちが彼の音楽を演奏していて、彼らのハートと魂に深く感動して、私はよく自分が涙しているのに気づく。(私自身もいくつかの彼の追悼コンサートで演奏してきたが、それはいつも通常の葬儀よりももっと美しく、さらにもっとお祝いムードにあふれたものだった)

 このコンサートのなかほどで、一度バンドと聴衆が盛り上がるのだが、特にひとりの男が私の注意を引いた。それはドラマーのジム・ケルトナーで、彼はおそらく世界中で最も有名なスタジオドラマーであり、30年以上もジョージと演奏してきた人だ。
 涙でにじんだ目で彼の姿を見ていて、私は突然、ほんとうは彼がドラムを叩いているのではなく、満ちあふれてくるエネルギーによって、演奏させられているのだということを理解した。

 彼は、その演奏で強烈なリズムを生みだしていたが、それにもかかわらず、彼の動きはやわらかく、ほかの演奏者たちより常に少しスローなように思われた。彼があのように強力なビートを創出しているとき、彼の内面の静けさが感じられるのは奇妙な逆説だった。
 彼の頭はいつも前にかがめられ、目は半眼に閉じられ、まるで演奏しながら瞑想しているかのようだった。通常、ロックのドラマーや太鼓の演奏者には、私たちは多大な筋肉の酷使、努力、汗、緊張などが見えるのを期待する。だが、このブッダの核心とサムライの腕を持つ彼はすばらしかった。

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