つねにビギナー モーガン・フィッシャー
私にとっての鍵は、演奏しているときはいつでも自分が子どものように、あるいは初心者(ビギナー)のように感じることです。なんの計画もなく、ただある音を出してみて、そこからどんな曲が育っていけるのかを見るのです。毎回まっさらで、違っています。天気のような、自然のようなものです。
―モーガン・フィッシャー
自分のコアを発見するための旅
私の音楽人生は、音楽の外縁から自分の創造性の真の中心に向かう
60年間の旅のようなものでした。私と同年輩の多くのクリエイターたちは、創造性の頂点に達してマスターや天才になることを期待しています。私にとっては、目的は自分のコア(核)を発見することであり、しかもそれは驚く
ほどシンプルでもありえるのです……。
6歳のとき、私は祖母のピアノの鍵盤を叩いて、ピアノが大好きになりました。7歳のときには、近所のポーランド人の家に行って、テレビを見るようになりました。 (私の家にはテレビがありませんでした)
お気に入りのショーは、毎週金曜の夜6時5分からでした。それは『6.5
スペシャル』という番組で、アメリカから入ってきた新しいロックンロールの特集番組でした。
私は、ワイルドなリズムとロックスターたちのクレイジーな衣装が大好きでした。
アメリカ人のロックスターは、とても風変わりで遠く、まるで別の惑星から来たように感じられたものです。自分もそんな曲を演奏できるとは夢にも思いませんでした。それでも、自分もなにか演奏したくなって、すぐにピアノのレッスンを開始し、バッハやモーツァルトといったスタンダードなクラシック音楽を勉強したのです。
13歳のとき、私ははじめてラジオでビートルズを聞きました。なんというエキサイティングな発見だったことか! リバプール出身のごく普通の4人の若者が、こんな感動的な音楽を作ることができた! もしかしたら、自分にもそれができるかもしれないと私は思いはじめました。そこで、すぐさまピアノのレッスンを辞めて、大好きなビートルズや他のポップスターやロックアーティストの曲の演奏を勉強しはじめました。
私は耳だけで彼らの音楽を勉強しました。(当時のポップミュージックには、ほとんど楽譜がありませんでした)それは私にとって、とてもいいトレーニングになりました。
20歳までに曲を書きはじめ、複雑な曲(プログレッシブロックと呼ばれるジャンル)を作曲しました。それから数年後、成功しているロックバンドのなかで楽しく演奏をして過ごしました。
そして、1976年に爆発したパンクロックが、フレッシュで素人っぽい情熱で、私に深い霊感を与えました。私はメジャーなバンドで演奏するのを辞めて、小さなワンルームアパートメントに最初のホームスタジオを作りました。そこで、おもちゃで遊ぶ子どものように、私は音楽的実験をはじめたのです。
瞑想もはじめましたが、それは私の創造的マインドを解放し、他のミュージシャンの追随を止めるのを助けてくれました。
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