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ヒーリングは愛の機能 ディヤン

ハートから聴き応答することは、本当に素晴らしく、セラピーをする多くの人に知ってもらいたいと、機会があれば伝えるようにしています。最近の若手の精神科医や臨床心理士はマインドフルネスのブームのせいか瞑想に抵抗がなくすーっと入る感じです。
―Dhyan(ディヤン)

慈悲の心

 私は精神科医、臨床心理士として、病院や学校で、患者さんやクライエントさんの話を聴く毎日を過ごしています。私自身が、幼少期から死の恐怖が強く生きづらさを抱えていたので、患者さんの死の恐怖に寄り添いたいと思い、医師を志しました。
 そして思春期の頃は、自分自身の感じていることがよくわからず、言葉で表現できなくて苦しかったので、心の病の患者さんは身体の病よりももっと孤独で恐怖を感じているのだと思い、精神病の患者さんに寄り添いたいと精神科医になりました。

 精神科医になったばかりの頃、不世出の心理学者、河合隼雄先生のご著書に出会い、救われる思いがしました。河合先生の死についての論考、箱庭療法などイメージを媒介とするセラピーに魅かれて、たくさんのことを学んできました。
 ジョークばかり言っているようで、なぜか涙がでてしまう河合先生の講演。今から思うとカウンセリングはテクニックではなく、慈悲の心だということを伝えていただいていたのだと思います。
 しかし、自分の中心に定まって、何もせずにただそばにいるだけでよいと理解しても、どうすればよいかがわかりませんでした。
 表面だけそのようにしようとするので、患者さんからは「先生は聞くだけ。私が泣いていても、ただ見ているだけなんですね。」と言われて、私には愛が足りない、と悩む毎日が続いていました。

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セラピーは愛と瞑想

 セラピーは、基本的には瞑想と愛だ。なぜなら、愛と瞑想なしにはヒーリングの可能性はないからだ。

 そう、OSHOの講話で読んだ時のことは忘れられません。
 この言葉に出会ったころは、セラピーが愛と瞑想だなんて、河合先生の教えからその香りを感じながらも、今まで学んできた心理療法では聞いたことが無く、そんなことが可能だろうかと思いながらも、その言葉に究極のセラピーがあると感じました。
 OSHOはこう続けます。

 セラピストと患者がふたつでないとき、セラピストが単にセラピストであるだけでなく、また患者がもはや患者ではないとき。その反面、セラピストがその人を治療しようとしないところで、自分と相手との深い関係性が起こり、患者がセラピストを自分自身と分離したものとして見ることがないとき・・・これらの稀なる瞬間に、セラピーが起こる。
  ~途中略~
 そしてそれが起こったときには、セラピストは自分は神聖な力、神聖なるヒーリングの媒介としてのみ機能したのだ、ということをいつも知るだろう。
 セラピストは患者と同様に、その経験に対して感謝するだろう。実際のところ、セラピストはその経験から、患者と同じくらいに多くのものを得る。
                    Healing is a Function of Love
               OSHO (Come Follow Me Vol.4 より抜粋)

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 しかし、その頃は、まず自分自身が自分を愛することができず、存在から切り離されて飢え渇いていました。心理療法と瞑想の統合を漠然と探し求めている日々でした。ちょうどそんな頃、ユニティインスティチュートでプラサードたちが教えるハート瞑想に出会いました。そしてハート瞑想こそが、セラピーが愛と瞑想であることへと導く答えだったのです。
 ハート瞑想を始めたころ、ハートが開き始めて涙が溢れるようになりました。そしてハートから聴くと、患者さんの話している表面的な内容ではなく、感じている悲しみや痛みを感じられるようになって、今までは全く聴けてなかったということに気づきました。
 だから患者さんは何回も同じ話を繰り返し話されたり、良くならなかったんだと、申し訳なく思いました。

ハートから聴き、ハートで応える

 ハートから聴くようになると、最初は息苦しく身体に痛みが感じられることもありますが、深く聴いていると、沈黙のスペースに患者さんと共にいられるようになり、そこから出てくる言葉で応答すると、ふっと光が差し込むように軽く拡がって、私も共に癒されることがたびたびです。 
 それは、イメージを媒介とする箱庭療法の中でも、曼荼羅や中心化の表現と共に治癒力が賦活されてエネルギーが外側へと動き出すことに一致しています。

 「いつも愛情を注いでいただき感謝しています。私も誰かに愛情を注げる人になりたいです。」
 長年通ってきている発達障害の女性から、このようなバレンタインのカードをもらいました。人がいい加減なことをすると馬鹿にされたとよく怒っていた彼女でしたが、最近はお年寄りから頼まれたことをよくしてあげられたり、人のいい加減さも許すことができるようになってきています。長年の彼女の苦闘の日々を知っているだけに、彼女の開き始めた本質が美しく感じられて、「治療」ではなくて、「愛情を」と言われことが何よりも嬉しいバレンタインの贈り物でした。

 気がつくと、診察室の扉から入ってくる時には苦しみに満ちていた患者さんが、出て行くときは、楽しそうに、そこまでではなくても、少し安堵した表情で帰っていかれることが多くなっています。
 精神科の外来は、多い時は一日30 人近くになり、一人15分から長くても30分くらいの短い診察時間にもかかわらず、このようなことが多くなってきているのは不思議なことだと思っていましたが、患者さんの本質がわかるようになって、そのことを伝えたり、言葉にしなくても愛情として伝わるようになってきているからなのかもしれません。
 もちろんいつもそううまくいくわけではありませんが、なにより自分を信頼して、中心に繋がって、なにもしないでただあるということに徐々にくつろげるようになったことが、患者さんに伝わっているように思います。

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 学んできた精神医学と臨床心理学、心身の問題をエネルギーとして見る未来の心理学であるチャクラの科学が、徐々に私の中で統合されつつあって、愛を与え同時に受け取っている、まさに、セラピーは愛と瞑想だと実感しつつあります。
 ハートから聴き、応答することは本当に素晴らしく、セラピーをする多くの人に知ってもらいたいと、機会があれば伝えるようにしています。最近の若手の精神科医や臨床心理士はマインドフルネスのブームのせいか、瞑想に抵抗がなくすーっと入る感じです。

 幼少期からの強烈な死の恐怖が、私を精神医学の道へと、河合先生へと、そしてOSHOへと導いてくれました。そしてここ数年はマニーシャの死のワークショップに出会い、母の死、そして自分の死を受容しつつあります。ずっと願ってきた死の恐怖に寄り添う臨床に、少しずつ近づいているようです。

Dhyan(ディヤン)

精神科医、臨床心理士、医学博士、ハート瞑想ティーチャー。
絵画療法や箱庭療法などイメージを媒介とするセラピーを得意とする。最近は、ハート瞑想により、セラピーが愛と瞑想である体験を深めつつある。

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