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鎌倉さんぽ部 古都トコトコ記―鎌倉文学館の巻―

 天気のいい休日に、なにか特別な時間を持ちたいけれど、あまりがんばりすぎるのはおっくうだと感じる日には、わたしは鎌倉文学館へ行く。
 人や車の往来でざわざわしている由比ヶ浜通りを、ほんの少し脇道に入っただけで、もう閑静な住宅街になり、住宅街を2~30メートルも歩くと、日常から非日常へ変化する鎌倉文学館へとつづく、やさしいカーブを描いた石畳の道が現れる。

 道の両側から木々が枝をひろげ、自然が作った緑のアーケードとなっている。
 わたしは、この木漏れ日と緑のアーケードを歩くときに、日常をあとにすることにしている。
 意識的に、日常の忙しい思考を、コートを脱ぐような気持ちで「これから向かう先に持っていかない」と、自分に言い聞かせてみるのだ。

 鎌倉文学館の門を入ってすぐのところに「招鶴洞」という、5メートルほどのトンネルがある。このトンネルを通して進む先を見ると、まるで、トンネルが額縁のように、その先の木々と光の風景をふちどっている。
 このトンネルは、鎌倉文学館のなかでも、わたしのお気に入りのひとだ。
 トンネルをくぐるときに、まるで絵のなかに足を踏み入れるような錯覚を起こすことがたびたびある。
 このトンネルも、わたしの日常から非日常への移行を助けてくれている。

 ここで鎌倉文学館のしおりから、この場所について書いてみよう。

 もともとは加賀百万石藩主、前田利家の系譜である旧前田侯爵家の鎌倉別荘であり、昭和11年に今に至る洋館が完成。
 第二次世界大戦後、デンマーク公使や佐藤栄作元首相が鎌倉別邸を借り別荘として使用していたこともあるそうだ。(佐藤栄作元首相は、この建物の3階バルコニーで演説の練習をしていたと聞いたことがある。建物は2階建に見えるが、実際は3階建)そして、昭和58年に17代当主の前田氏より、鎌倉別邸の建物が鎌倉市に寄贈され、鎌倉ゆかりの文学者直筆原稿、手紙、愛用
品といった文学的資料を展示することを目的として、昭和60年に鎌倉文学館として開館。

 川端康成、小林秀雄、高見順、夏目漱石、芥川龍之介、中原中也、与謝野晶子…もう数えあげたらきりがないほど、超著名文人ゆかりの資料が展示されている。
 文学好きな人には、垂涎の手書き原稿を見ることができる。 

 そして、なんとなく昭和も感じられる。古い建物もそうだが、展示されている資料も昭和中期前後のものが多いので、昭和へタイムスリップしたような気持ちになる。

 ここは鎌倉三大洋館のひとつで、三方を山に囲まれ、建物の前方には開けた芝の庭があり、その先には230株もあるローズガーデンがひろがってる。
 このひろい芝生のガーデンが、わたしのお気に入りの二つ目。
 その理由は、お弁当とお茶を持参して、この庭で食べるのが、大好きだから。
 3月から7月まではウグイスが始終鳴いていて、青い空と山の緑を見なら、ウグイスの声を聴き、風が頬をなでるのを感じながら食事をするのは、ありきたりなお弁当が百倍も特別なごちそうになる。

 この庭では五感が研ぎ澄まされ、身体全部で食事を楽しむことができるような気がする。
 暖かな日には、身体のなかへ、大地からエネルギーを受け取るイメージで、裸足になって芝生の上を歩いてみたりもする。
 ちょっと変な人に見えるだろうけど…わたしは変な人であることを楽む。

 三つ目の、わたしのお気に入りは、建物2階のバルコニー。
 このバルコニーからは、遠くに海が見渡せる。そして、ここにはテーブルとイスが置かれていて、わたしはここでお茶を飲みながら、持ってきた本を1時間ほど読むことにしている。
 とくに真夏の暑い時期の、このバルコニーは最高だ。
 海からの風が、眼下にひろがる建物の屋根の上を渡ってきて、下にひろがる世界より2~3度はすずしい。
 本を読みながら、セミの合唱のなかに、ときおりヒグラシの声が混じって聞こえるのを楽しむ。

 こうして2時間ほど特別な時間を楽しみ、日常の生活へと帰ってくる。
 これが、わたしの休日の楽しみ方のひとつである。     (文/N)

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