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慈悲、慈愛ということについて

最近、慈悲とか慈愛ということについて
考えることが多くなりました。

慈悲や慈愛については、
「考える」ことではないんですが、

慈悲とか慈愛って、どういうものなんだろう?

ということはなかなか分かりにくいかもしれません。

私たちは、愛とか思いやり、というのだと
なんとなくわかる気がしますが、

慈悲とか慈愛というと、
愛とはちょっと次元が違ったもの、

仏様や観音様の慈悲を思い浮かべたり、
仏陀の慈悲を思い浮かべたりします。


私がはじめて慈愛とか慈悲を体験したのは
実際にOshoに出会ったときでした。

もしOshoに出会わなかったら、
それがどういうものかを本当に体験することは
なかったでしょう。


でもある意味で、

それは誰の中にでもある心情だともいえます。

ブリタニカ国際百科事典によると、
次のように説明されています。

「仏教用語。語源的には「友」「親しきもの」を意味する。
 mitra(ミトラ)という単語から派生したものであり,
 真実の友情,純粋の親愛の念を意味している。

 南方アジアの上座部仏教では,
「 (同朋に) 利益と安楽とをもたらそうと望むこと」
 と注解している。

 大乗仏教でも,「衆生を愛念することに名づけ,
 常に安穏と楽事とを求めて,以て衆生に施し利益を与えること」
 (『智度論』) と述べている。

 慈はしばしば「悲」 karuṇā(カルナ)とともに用いられ,
 慈悲と称される。

 悲とは,人々から苦しみを除こうとする心情をいう。
 (以上 ブリタニカ国際百科事典)


漢字の成り立ちを見ると

形声文字(茲<音符>+心)。
音符の「茲(シ)」は「増える」の意味。

心臓の象形で心を意味する「心」と組合せ、
子を増やし育てる心「いつくしみ・愛」の意味を表す。

と、書かれてあります。


意味としては、

「親から子に注がれるような、
 見返りを求めない愛情を表す漢字。

 情け深く温かい心を持った人に
 成長してほしいという思い。」


「慈」を使った漢字としては
 慈愛、慈雨、慈心、慈仁、慈善、慈母という
 ような漢字があります。

ちなみに、Oshoは慈悲について、
次のように語っています。

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「慈愛は常に癒す力がある。

あなたのレベルがどうであれ、
あなたを助ける。

慈愛とは浄化された愛だ。
大いなる愛だ。

だから慈愛は、
ただ与えるだけで何の見返りも求めない。


仏陀は弟子たちによく言っていたものだった。

『瞑想したあとは、慈悲深くありなさい

 なぜなら瞑想すると愛が成長し
 ハートがいっぱいになるからだ

 瞑想するたびに、
 世界全体に慈愛を感じなさい

 あなたが愛を分かち合い
 そのエネルギーを大気中に放つことで
 他の人々がそのエネルギーを利用できるように』


私もまたあなたたちにそれを言いたい。

瞑想したあとに、
あなたがお祝するときに、
慈愛をもちなさい。

あならのエネルギーが広がり、
あなたのエネルギーが必要とされるあらゆる方法で
人々に役立つようにと感じなさい。

ただ慈愛を放出しなさい。

あなたは重荷を下ろし
とてもくつろぐのを感じるだろう

とても穏やかな静けさを感じることだろう。

そしてあなたが放出した波動は
多くの人々を助けることだろう。

あなたの瞑想を常に慈愛で終わらせなさい。」


これを読んだとき、

オーラソーマでする
ポマンダーの動作を思い出しました。


オーラソーマでするポマンダーを使う動作では、

まずそのポマンダーを3滴、左手の手の平に落として、
そのバイブレーションを自分の中で感じます。

つまり、
そのバイブレーションと波長を合わせる瞑想をします。

そしてそのバイブレーションを十分感じたら、
その波動を世界へと与えていきます。

つまり、自分の中で瞑想をした後に、
その波動を、慈愛のエネルギーとともに
世界へと放っていくのです。

そしてそのエネルギーが必要とする人たちに
届くようにと祈念します。


そして最後にそのエネルギーを自分にも受け取って、
自分自身にも慈愛のエネルギーを降り注いでいきます。

このように考えると、

ポマンダーは、慈愛のエネルギーを
自分の人生に、そして世界にもたらす
ツールとも言えます。


慈愛を世界にもたらすためには、
まずはその慈愛を自分の内側に感じることから
はじめることが必要です。


コンパッション(慈悲・慈愛)育成トレーニング(CCT)
は、そのような機会です。

慈悲とか慈愛を自分の人生にもたらしたい
と思われる方は、ぜひどうぞ。


OAU
えたに

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