【✑16974字】 無職で上京した僕がコーチング起業をして、憧れだったCX-5に乗って地元に帰るまでの、4年間に起こったことを順番に全部話す
2021.8.9 追記
この記事は僕が23歳無職で起業をして、憧れの車を買うまでの4年間に起きたことを順番に書いた記事です。
実際にコーチとして起業をした人間が「どんなことを考えて」「何をしてきたのか」「どのような失敗をしたのか」を全てノンフィクションで語っています。
綺麗事ではない『コーチング起業をした若者のリアル』をお伝えできたらと思います。お楽しみください。
こんにちは。
はじめましての人ははじめまして。
いつも見てくださってるレディースアンドジェントルメンはごきげんよう。
おはなし屋なおとです。今日も楽しくマイデスクでブログを書いています。コーチングでひとり起業をして4年目の、個人事業主な27歳です。
この記事はおはなし屋なおとの発信と何かしらの偶然で出会ってくれたあなたに、今までの僕のすべてを知ってもらえる機会を作りたくて作成した記事です。
2015年にコーチングと出会ってから現在(2020年10月)にいたるまでの、社会という大枠から外れに外れて自分なりに試行錯誤しながら生きてきた僕のビジネス年表みたいなものです。
別に自分の経歴を自慢したいわけでもなんでもなく、僕のことを僕以上に知ってくれる人を増やしたいという気持ちで、この15,000字にもわたる記事を書き上げました。
僕はあまり群れが得意ではないので、自分の考えを自分なりに発酵させては行動し、を繰り返してここまで来ました。
コーチのくせに資格も持っていないし、ちょっと貯金残高が大きくなってきたらすぐに調子に乗って仕事を取らなくなっちゃうし。
『普通こうするでしょ』という言葉からはそこそこ距離を取って4年間を走り抜けてきた僕は、自分のことをいざ人に説明しようとすると「うーん・・・」と唸って何も言えなくなってしまうのです。
そこで思いついたのが、『いままでの出来事を順番に全部置いておけば、説明しなくてもいい感じに理解してくれるでしょ!』というアイディアでした。
この記事から色々とリンクを飛ばして、僕が今まで発信してきた情報などを整理して見やすい形にするつもりです。とにかく僕のことを知りたい人が僕のことを知れる場所を作りたい。
作ってみて思ったのですが、この記事1つ仕上げるのにも1週間以上の時間がかかってしまっていて、完成が遠すぎてすこし諦めモードに入ってしまっていますが、少しずつやる気のあるときに気長にコツコツやっていこうと思います。
僕のやってきたことはここに全部置いておくので、勝手に読んで勝手に理解して、他の発信も勝手に役立てて下さい。もし直接会うことがあれば、そのときに自己紹介をしなくてもいい状態になってもらえることを望みます。笑
それではいきましょー!スタートです!
目次が年表になっています!クリックしてみてね↓
2015.10 ライフコーチと出会う
はじまりは北九州市のとある治療院でした。アスリートとして治療を受けていた僕は、医院長の紹介でライフコーチのてつさんと出会います。
この医院長にしか身体を触らせたくなかった感覚派アスリートの僕は、自分のメンタルの弱さに悩んでいました。そこで先生が紹介してくれたのがてつさんだったというわけです。
てつさんとの初めてのセッションは、治療用のベットを隅っこに寄せて作ったスペースで行われました。思えばあの日から、ずいぶん遠くに来たものです。
てつさんとのセッションはこの日から数えて今月で60回目。5年間1度も欠かすことなく受け続けています。僕の原点は間違いなくてつさんとの対話です。
まさか僕がこの後アスリートを辞めて、上京をし、起業までするだなんて想像もしていませんでした。全てはこの日から、はじまりました。
マイコーチのてつさん
2016.10 アスリートを引退
1年にも及んだコーチングセッションの末、僕は『アスリートを辞める』という結論を出しました。僕は僕でいたかったし、僕でいることで誰かに迷惑をかけるのは嫌だと思ったからです。
案の定たくさん迷惑をかけることになりました。企業アスリートだった僕の背中には、たくさんの想いとお金が乗っていたからです。
辞めることで精一杯で、うまく想いを伝えられないままにお世話になった環境を後にしました。今でも謝れてない人がたくさんいます。あの時はごめんなさいと伝えたいです。
人の期待に応えて生きてきた僕は、知らない間にたくさんの人の想いを背負っていたようです。
持てないくらいに膨らんだ大好きな人たちの想いは、ずっしりとのしかかる重圧へと変わりました。僕は立てなくなってしまいました。
どこかで終わらせなければ、人を巻き込み続けてしまう。そう思って打った終止符は、ちっぽけな僕の人生を大きく変えてしまうには十分すぎるほどのパワーを持っていたのでした。
2016.11 ブログでビジネスをスタート
企業アスリートだった僕はスポーツと仕事を一気に失いました。無限に続く暇を持て余す日々をなんとか未来につなげたくて、Twitterで知り合った人からビジネスの教材を買いました。今考えると、とんだ情弱っぷりだなあと思います。
7kgの鉄球を4時間投げ続け、その後にベンチプレス100kg×10回を10セットするほどのエネルギーが、発散する場所を探していました。騙されるとか騙されないとかそういう話は一切気になりませんでした。
たまたま僕が買った教材は中身のしっかりしたものでしたので、本当によかったなあと思います。
あのときの僕に目をつけていたのがビジネス教材の営業マンでなく詐欺師だったら。僕は有り余るエネルギーで詐欺師の手法を吸収して、詐欺師になっていたかもしれません。くわばらくわばら。
2016.12 コンテンツ販売で初売上を経験
ありあまるエネルギーをすべてブログに投下して、僕は筋トレブロガーとして少しだけ名の知れた存在になっていました。(本当にすこしだけ)
ブログを書いて人を集めて、集めた人にメールマガジンを更に無料で送って、信頼に信頼を重ねて自分の商品を売る。そんなプロセスを経て僕は自分の筋トレスタイルをまとめた電子書籍を売りました。
19800円で売ってみたところ、1人だけ買ってくれるという人が連絡をくれました。もうすでに僕のブログに書いてある無料で読めるノウハウで記録を伸ばせたとのこと。
この経験を通してネットで商売をすることの本質を学んだような気がします。
2017.1 キャリーケース1つで上京 コミュニティに参加
324,000円の教材を買って、19,800円の売上を出した無職の僕。すごい世界に足を突っ込んだものだと感心するものの、これで暮らしていくにはまだほど遠い事を強く感じていました。
この世界は僕が今までいた世界と違いすぎる。だったらもっと学んで吸収しないと、とてもじゃないけど1人じゃ進めそうにない。
はじめて無職として過ごした年末年始を経て、上京することを決めました。
解体屋をやっている友だちに「日払いで1万円くらいくれる仕事、ない?」と電話をかけて、10日間だけ短期バイトをさせてもらって10万円を貯めました。
そのお金を握りしめて、ビジネスコミュニティの本拠地がある新宿歌舞伎町に乗り込んだのでした。
2017.2 歌舞伎町でブログビジネスを学ぶ
欲望の渦巻く街新宿歌舞伎町。その端にあるホストクラブが名を連ねたビルの地下一階のバー。字面からしてデンジャーすぎる場所に僕はいました。
そのバーは僕が所属しているコミュニティの偉い人が持っているお店らしく、夜の営業までは会員に作業スペースとして開放してくれていたのです。
毎朝七時半に歌舞伎町を突っ切ってバーに向かい、夜の営業まで缶詰になってブログを書く毎日を送っていました。
Macbook片手に集まる若者たち。なんてナウでヤングでデンジャーなのでしょう。地方から出てきた僕にはとてもとても刺激の強い場所でした。
出会う人出会う人に質問攻めをしました。僕が今まで23年間生きてきた世界と、まるで違う世界がそこにはあったのです。
PC1つで自分でビジネスを作り、講座を開いて月に数百万円を稼ぐ大学生は僕に教えてくれました。
『人間生きていれば誰しも1つや2つ乗り越えてきたことがあるじゃないですか。それを教えてあげればいいんですよ』
もちろん優しい人ばかりではなく、なんとなく危ない匂いがする人もいました。学びつつも飲み込まれないように常に気を張っている自分もいました。
虎の威を借る狐のように、そのコミュニティに所属しているだけでさも自分も売れているような錯覚をしている人も多くいました。
いい意味でも悪い意味でも、欲望が渦巻いているコミュニティだと感じました。この機会を絶対にものにしようと僕は毎日必死で駆け回っていました。
歌舞伎町のバーにて
これをかぶって筋トレの解説動画を撮ってました
そこそこ人気で人前で話す機会もしばしばでした
2017.3 初めてコーチングを売る
沢山の人と関わる中で、ある程度学びたかったことが学べたと感じた僕は、自分のビジネスについて考えるようになりました。
筋トレのブログは確かに育ってきていました。「順調だから講座や合宿を開けば?絶対売れると思うよ」とアドバイスを貰うことも少なくなかったです。でも何かしっくりきていませんでした。
当時はコミュニティ内で『エリートコース』と呼ばれる個別のコンサルティングも受けていて、僕の筋トレブログビジネスはいよいよ生業として十分な領域に手が届きかけていました。
きっと見えてしまったのだと思います。筋トレブロガーとして名を上げる未来の自分の姿が。そしてそこに情熱を傾ける自信がなかったことも。僕はここまできて急に方向転換を考え始めました。
ある日のエリートミーティングでアクセスアップの施策を習った後に、僕は担当の先生に質問をしにいきました。
「ブログに10倍のアクセスを集めることがあまりイメージできないのですが、他にもっと売上を伸ばす方法はないのですか?」
『コンサル売りなよ^^』先生は短く答えました。
「コンサルってなんですか?」
『個別指導だよ』
「筋トレを個別に教える?」
『そうだよ』
「どうやって?」
『とにかく売っちゃえばいいんだよ^^』
「いくらで?」
『僕はデザイナー育成のコンサルティングを50万円くらいで売ってたことがあるよ』
「そんなに高いもの売れるんですか?」
『君が知らないだけで売ってる人結構いるよ』
「僕にも売れますかね?」
『売れると思うよ』
この後、筋トレのコンサルティングを売る自分が想像できなかった事をきっかけに、僕はブログの運営をストップすることにしました。
そして人生で一番よかった買い物であるライフコーチングを売り物にして、僕はコーチとして自分のセッションを売ることにしたのです。
この辺の出来事は他の記事でもたくさん触れているので、割愛します。3ヶ月45万円のセッション契約を作り、今までのネット上でのビジネスとは一転、対面でアポイントをしてセールスをはじめました。
結果は御存知の通りです。他の記事、探してみてね。
2017.4 ビジネスコミュニティを破門に
あれは4月の下旬だったと思います。ある日突然、コミュニティ内で入っていたすべてのグループラインから僕が強制退場させられていました。
僕が所属していたチームの代表から、長文のLINEと3件の不在着信が届いていました。気分の悪い朝だったことを覚えています。
田舎から出てきて少し目立ちすぎていた僕は、目をつけられてしまったようなのです。
僕の芳しくない噂を流しているリーダー格の人がいたことはなんとなく知っていましたが、ここまで露骨な対応を取られるとは思っていませんでした。
「東京怖すぎだろ・・・まあそういうこともあるよね・・・都会だし・・・」と開き直ってはいましたが、仲の良かった人からも一斉にブロックされたのは心苦しかったです。
その日は一日凹んだ気持ちで日中を過ごして、ラーメン屋さんでおかわり自由の白飯を4回おかわりしました。やけ食いです。
これは確かやけ食いの3日前くらいの写真
新井薬師寺の喫茶店 にて
2017.5 ルームシェア、組織の立ち上げ
所属が無くなった僕は、もういっそ自分で組織を作っちゃおうということで、僕の巻き添えを食らって追い出されちゃった人と自分たちの組織を作ることにしました。
一緒になにかやろうと地元から上京してきてくれた友人と、一緒に破門された数人でMainActorFactory(MAF)という組織を作りました。
「自分たちと関わった人がみんな主人公として生きていけるように」という願いを込めたのですが、特に活動内容は決めていませんでした。ただ集まってミーティングをして楽しむだけの組織です。
それでも僕にとっては大事な場所でした。コーチングで稼いだお金のほとんどはこの組織の維持のために使っていました。
2017.6 組織を作るも1ヶ月で5人中3人が脱退
人生ではじめて立ち上げた組織。うまくいくはずもありません。初めてのミーティングで1人が速攻で組織を出ていきました。
「こんな無駄な会議に呼ぶなら交通費を出せ」
ごもっともです。すいません。
2人目は自然消滅。ある日の会議から忙しさを理由に来なくなりました。
3人目。些細なことから僕と口喧嘩になって、言葉のはずみで『もうお前とは一生会わねえ!』と言ってしまった彼は、そのまま部屋を出ていってしまいました。
「お前それ本気で言ってる?」と詰めてしまった事をすごく反省しています。言葉のはずみで言っちゃうこともあるよね。人間だもんね。
そのあとふたりとも落ち着いた状態で話ができました。未払いだったお金の精算をして、カッとなった事をお互い謝って、手をふってわかれました。めでたしめでたし。
(だったんだけど・・・詳しくは後ほど)
2017.8 累計売上が500万円を越える
組織運営は全くうまくいっていなかったのですが、ありがたいことにコーチングだけは順調すぎるほどに売れていました。
クライアントさんがクライアントさんを紹介してくれたり、クライアントさんが卒業した後にチームに加入して営業活動を手伝ってくれたり。
単価45万円の長期セッションが、月に2〜3件のペースで売れていました。
チーム運営がガタガタだったぶん、ここで挫折していたらもう1年目で地元に帰ってしまっていたかもしれません。
当時のクライアントさんとチームメンバーには本当に感謝しかないです。ありがとう。(見てるかな〜?たまには連絡くださいね)
激動だった起業1年目は、これから年末まで特に大きな出来事が起こることなく、無事に年末を迎えることになります。
寒くなった年末に地元に帰って、東京でなんとかうまくやっている事を父に告げると『泣いて帰ってきてもお前の部屋はねえぞ』と軽くあしらわれました。
そこそこに平和な日々はだんだんと形を変えて、安定した日々で丸くなった僕の心にそろりそろりと近づいてくるのでした。
2018年を迎えても、もうすこしだけ順調な日々が続きます。
当時は月に2回くらいセミナーを開いていました
2018.1 100万円のコーチ契約を成約
当時の僕は『自分はどこまでいけるのか』という事にこだわっていました。思考がアスリートだなあとしみじみ思います。
この時の単価は50万円。体験セッションを3回もすれば1件は売れるので、自分の実力がそこそこに育ってきているのを感じていました。
そこで僕は一気に倍の単価に挑戦することにしました。
といっても期間を3ヶ月から半年に伸ばしただけなので、実際には値上げをしたわけではありません。それでも僕にとって100万円という数字は大台でした。
正直、3ヶ月というセッション期間に疑問を感じていた部分もありました。もっと長く関われれば、もっと深いところまで話を進められるのに。
自分のやりたいこととこれまでの1年間で経験したことを生かして、半年間100万円のセッションを販売することにしました。
初めてセッションを売った日と同様、えいやっ!と売ってみた僕の最高値商品は、びっくりするくらいあっさり、売れてしまいました。
買ってくれた人はビジネスコミュニティ時代に知り合ったフリーランスのスポーツトレーナーさん。
自分の強みを一緒に見つけて欲しいとの依頼で、半年間かけてその人の強みを探していくことになりました。
ちなみにこの方は今、ご自身のオンラインサロンを運営するほど大活躍しています。イケメントレーナーです。
毎回おうちにテイクアウトの牛丼を買ってきて、食べながらセッションを受けていたのが印象的でした。売れっ子は忙しいね。
2018.3 さらにメンバーがいなくなる
当時のMAFのメンバーは3人でした。僕と、友人と、元クライアントの女の子。僕が地元に帰省している間に女の子がチームからいなくなってしまいました。
今までにないほど悲しかったのを覚えています。僕のセッションを買ってくれて、僕のサービスを信じてくれて、チームに入ってくれた彼女。
仕事のプレッシャーと戦っているのは知っていたけど、無神経な僕はどうにもできませんでした。
仕事ですから、うまくいかない日もあります。意見が食い違うこともあります。クライアントとコーチという関係と、仕事を一緒にする仲間という関係はまた違うことを学びました。
彼女の脱退を機に、僕はチームで仕事をすることにあまり意義を見いだせなくなっていきました。友人とも少しずつギスギスするようになり、彼は彼で生計を稼ぐためにバイトをはじめました。
仕事のことを誰かと一緒に考える時間が、今までは当たり前だった尊い時間が、少しずつ消えていきました。
2018.6 200万円のコーチ契約を成約
僕は11年も陸上選手をしていたので、『自己最高記録を狙うこと』という思考がそれこそ細胞レベルで身についています。コーチ活動を続けていたある日、そのチャンスは唐突に現れました。
僕のコーチングを1年以上も受け続けてくれているクライアントさんが、契約を終えるタイミングで新しいカタチでセッションを受けたいと打診してくれたのです。
僕はそのクライアントさんに自分の想いを伝えました。クライアントさんとのすりあわせの末、半年間契約を2回分買っていただく形で話がまとまりました。
お客さんの了解を得て
お客さんの目の前でパチリ
2018.8 新規受付を停止しバイクで北海道へ
大きな契約を無事結ぶことができたあと、新しいクライアントさんの募集を停止することにしました。いったん拡大はやめて、今いるクライアントさんとの時間を充実させようと思ったからです。
200万円のコーチングセッションを買っていただいてから、もっと自分自身を磨かなければと思うようになったのです。
ただコーチとしてたくさんの人の話を聞いているだけでは、成長に限界が来る。ネタ切れのような感覚でした。
もっと自分のやりたいことに時間を使って、自分らしさを磨かねばと思いました。
バイクの免許を取りに行って、試験を受ける前に30万円のアメリカンバイクを買いました。
免許を取って4日目で単独事故を起こしました。むち打ちになって病院に行きました。懲りずに1ヶ月後、日本最北端を目指して大型バイクに乗っている弟と北海道に出発しました。帰り道に青森でまた単独事故を起こしました。
なんやかんやでいい旅でした。その時の話はまたどこかで。
2018.9 初期メンバーに訴えられかける
実は去年の7月に地元に残した彼女と籍を入れていた僕は、10月に結婚式を控えていました。9月の末に福岡にバイクで帰って、2週間ほど準備をして当日を迎える予定でした。
弁護士さんからお手紙が届いたのは福岡に出発する4日前でした。見慣れない差出人。弁護士事務所?代理人?ん???
「もうお前とは一生会わねえ!」と僕に吐き捨ててしまった彼の話を覚えていますでしょうか。弁護士さんの名前の横には彼の名前が入っていました。
内容を要約すると『契約書がないから取引は無効だ、金を返せ』と書いてありました。そんなばかな。彼とは笑顔で別れたはずじゃないか。なにごと。
彼は初期メンバーでもありましたが、初期のクライアントでもありました。
『コーチングセッションを売るなら絶対契約書を作るべきだ、あとからトラブルになるぞ』と助言してくれたのも彼でした。彼は法学部出身だったので、そのへんの話に詳しかったのです。
僕は未熟でした。助言してくれていた彼本人との契約書を交わしていなかったのです。彼はその助言どおり、契約書を交わしていなかった僕との契約を無効にするべく法律の専門家を雇ったのでした。
虎ノ門ヒルズという大きなビルの中に入った法律事務所にスーツを着て弁解に行き、すべてを馬鹿正直に話したあとの弁護士さんのコメント。
『あなたの主張はわかりました、依頼主から聞いていた話とほとんど相違ありませんね。要求は取り下げません。支払いの意思がないなら訴訟します。以上です』
「結婚式を来月に控えているんです。どうか穏便に・・・」と最後に打診したところ、『それも依頼主から聞いているので知っていますよ^^』と言われた時は心のなかで何かが壊れた気がしました。
あの日ほど悲しい日はなかった。帰ってちょっと泣きました。
2018.10 地元で挙式
無事に(?)揉め事もなんとか片づき、海がきれいな福岡のホテルで挙式をあげました。ビジネス的にはなんの関係もないので、感じることは沢山ありましたが省略します。
2018.11 友人が家を出ていく
一緒に住んでいた友人が『お前の結婚式を見て決意した。俺も区切りをつけて出直すことにするよ』と部屋を出ていきました。
ルームシェアこそしていたものの、お互いの仕事は半年以上前から重ならなくなっていました。彼は地元に戻り、僕は中野区のワンルームに一人になりました。
これからどうしていいかもわからず、年が明ければ奥さんとの暮らしが始まることもあって、ゆっくりと流れる時間をただぼーっと眺めていたような感覚で日々を過ごしていました。
お金持ってる無職 みたいな毎日でした
2019.1 奥さんを連れて再上京
2019年の年明け帰省は僕にとって大きな区切りでした。そのまま奥さんが住んでいた僕名義の家を引き払って、中野区の家で一緒に暮らし始めたからです。
籍を入れて1年半、式を挙げて3ヶ月。ついに新婚生活が始まりました。
とはいったものの、当時の僕はすでに一切の新規クライアントの受付を止めてからすでに半年が経過していて。
かといってブログなどの発信活動を積み重ねているかと言われるとそんなこともなく。ただすぎる日をぼーっと過ごしている毎日。ほとんど無職のような生活を過ごしていました。
妻は妻で勤め先を退職して上京しているわけですから、ふたりとも無職生活です。最初は観光やディズニーなどやることが目白押しでしたが、そんな時間も1ヶ月と持ちませんでした。
それでも一向に状況は変わらず。変化のない日々が続きます。
ひきはらった僕名義の福岡のお部屋
2019.3 貯金が底をつきかける
中野のワンルームアパートから葛飾区のマンションへ引っ越しをしました。間取りは2DK、家賃は81000円。
引っ越しにかかる費用も大部分を奥さんに出してもらったにもかかわらず、僕の持っている現金は底をつきかけていました。
収入が途絶えて10ヶ月。月に100万円稼いでいたころの金銭感覚のまま、なんにも考えずにお金を使って生活が保てるわけがありません。
僕はもともと物欲が薄いのでそこまで浪費家にはならなかったのですが、細かいお金の管理がどんぶり勘定なタイプでした。
特に贅沢はしていないけど、気づいたら毎月30万円近く使っている。そんな家計のまま10ヶ月がたったらどうなるか、当時は全く考えていませんでした。
このままでは僕はまずい。貯金が無くなってしまう。でもここまできてアルバイトするか?というプライドにまみれた愚かな自問自答を2ヶ月続けることになりました。
この旅行から帰ったらバイトするか・・・
って考えてました
2019.5 レンタカー屋さんでバイトをはじめる
背に腹は代えられない、とついに重い腰を上げました。家から徒歩2分、ドン・キホーテを挟んだ向かい側にあるレンタカー屋さん。時給1200円でのバイト募集に応募して、面接を受けました。
奥さんに「家事炊事をぜんぶやるから、家賃をだしてくれないか?」と交渉して月の支出を10万円以下に抑えたのです。とりあえずこれ以上貯金を減らさないために行動することにしました。
人生2回目のアルバイトでした。上京をして、起業をして、月に100万円稼いで、結婚をして、新婚生活を始めて。それからのアルバイトでした。僕は自分が何をしているのか、すこしわからなくなりました。
2019.6 コーチとして1年ぶりの売上(9万円)
『このまま何も考えなくなったら終わるぞ・・・!』という危機感を常に感じていました。アルバイトは苦しいけれど、仕事がないことについて悩まなくていいのです。
毎日仕事があって、シフトに入れれば働けて、1時間に1200円もらえる。毎月平日の午前中だけ働いていた僕でも10万円くらいの収入になりました。
これは恐ろしいと思いました。苦しいですが、楽なのです。どれだけ頑張っても、積み上がるのは車の貸渡し業務がスムーズになることだけ。自分ではなくてもできる仕事を延々とやり続ける。
『誰でもできる仕事しかお金を稼ぐ手段を持っていない』自分に恐怖を覚えました。僕は何をやっているんだ。
6時間2525円で貸し出されるホンダのフィットという車を磨きながら、助手席の窓に反射する自分の顔を見ては悲しくなっていました。
絶対にまたコーチとして復活してやる。あの頃の自分は他の誰にもできない事で喜ばれながらお金を稼いでいたんだ。
車を洗えば洗うほど、自分の本当にやりたいことは洗車ではないことを痛感したのです。
コーチとして久々の売上は3ヶ月間9万円の契約でした。この9万円の喜びは今でもはっきりと思い出せます。絶対に逃してなるものかと思いました。
2019.8 クレーマーに心を折られバイトを辞める
再起の兆しに喜んだのもつかの間、サービス業では切っても切れないトラブルに出会います。モンスタークレーマーです。
思い出しただけでもはらわたが煮えくり返るような人格否定をされ、会社のツナギを着ていた僕は言い返したくても言い返せず、クレーマーが1時間怒鳴り散らして帰った後、事務所裏で泣きました。とにかく悔しかった。
このままここにいたら、僕は自分の価値を下げてしまう。今僕をコーチとして迎えてくれている人にどう説明する?そう考えたらいてもたってもいられれず、その日限りでバイトを辞めました。
2019.9 ウーバーイーツで日銭を稼ぐ
ライスワークとライフワークという概念をレンタカーのバイトを始める少し前にコーチから教えてもらっていました。
ライスワークは飯を食うための仕事のことで、ライフワークは自分を実現するための仕事のことです。
ライフワークで食えるのが一番いいけれど、ライスワークとライフワークを分けて考えるだけで生活はぐっと理想に近づく。
僕にとってのライフワークはもちろんコーチング。そしてライスワークがレンタカー屋のバイトでした。バイトを辞めてしまったので、新しいライスワークが必要でした。
ライスワークは食うための仕事だと割り切っているので、仕事を探すのは苦労しませんでした。ウーバーイーツに目をつけて、次の日に秋葉原にあるサポートセンターに配達用バックを受け取りに行きました。
やってみて、確信しました。これはライスワークに完璧だと。シフトという概念がないので、稼ぐ金額が明確になっている僕にはぴったりだと。
ウーバーイーツで支出をカバーする最低限だけ働いて、残りの時間全ては家事とコーチングに使う。そんな生活を3ヶ月ほど続けました。
配達中にパシャリ
サングラスにハンドルが反射しています
不思議な配達先もたくさんあって
いい社会勉強になりました
2019.10 コーチング売上が月30万円をこえるように
当時のウーバーイーツは稼働している人も今ほど多くなくて、東京に住んでいた分そこそこオイシイ思いができていたのかもしれません。それこそお昼の6時間で18000円とか稼げる日もありました。
ピークタイムや雨の日を狙ってガーッ!と稼いで、月の稼ぎが10万円を超えたら稼働を一旦辞めて、コーチングのアポイントを入れる。我ながらうまく立ち回っていたと思います。
いくら効率よく稼げると言っても仕事は配達員ですから、自分のやりたいことではありません。そこはわりきって、できた時間で自分のコーチングを売る生活をしました。
その甲斐あって月30万円ほどのコーチング売上と、10万円ほどの配送報酬を手に入れました。
やっと報われはじめたかもしれない、そんな気持ちになりました。
2019.12 ウーバーイーツを辞めYouTubeを始める
時給が2000円近い融通のきく配達労働と、コーチとしての収入の掛け合わせで、5月に尽きかけた貯金が100万円を越えました。
このときばっかりは嬉しくて、1日20回くらいはゆうちょオンライン通帳にアクセスしていました。ああ、嬉しかったなあ。
12月に入りそろそろ配達も寒さでしんどくなってきたところで、ウーバーイーツは卒業することにしました。
今の生活ラインを維持すれば、1年くらいは収入がなくても生きていけると踏んだからです。
将来的に子供が欲しいと思った事もキッカケでした。東京で子育てをするのは現実的ではないと考え、両親のいる地元に帰ろうと思ったのです。
2人で暮らす分には十分だけど、今のスタイルでは東京でしか仕事が取れない。午前中の勤務だけで10万円稼げるような時給のいい仕事も地方にはない。
何かを変えないといけないと思いました。
そしてはじめたYouTube。弟のけんちゃんが動画編集が好きな友達がいると紹介してくれた編集マンのたいせいくん。
3人でおはなし屋チームを作り、動画作成に挑戦することにしました。
2020.1 YouTubeのお問い合わせから初の成約
動画を作るというのは本当にやることがたくさんで、1年近く投稿を続けている今でもわからないことだらけでした。
最初の30本は本当に「誰が見るねんこれ」というレベルのものしかできませんでした。演者も編集者も素人でした。
手作り感 満載
それでも動画メディアのパワーは凄まじく、チャンネル登録49人の時点でお問い合わせが来ました。ネットビジネスに入った体験を話した動画からだったと記憶しています。
僕がネットビジネスを辞めた経緯やコーチングに対する思いなどに強く共感してくれたようで、コーチングセッションを受けたいと言ってもらえました。3年前に確信したネットの力を改めて感じ直した瞬間でした。
ここでもらえた契約の売上金で、編集マンのたいせいくんに動画編集ソフトをプレゼントしました。チームのみんなで出せた売り上げ。YouTubeチームの士気が上がって行くのを感じました。
編集のクオリティがこの時期を境に一気に上昇
2020.2 1年9ヶ月ぶりに高単価契約を成約
1月の勢いをなんとか先につなげようと走り続けた結果、高単価契約をいただくことができました。約2年ぶりです。やっと、やっとで掴んだ契約でした。
この時ばかりは確信しました。どれだけコーチとして求められようと、高い単価のセッションが売れないとコーチ業は安定しないと。
この時の契約金は50万円でした。このクラスの売上が入ると、当面は目先の金額を気にせずにやるべきことに集中することができます。
この時間がないと、コーチングで食い続けるのは難しいよなあと改めて感じました。
来月の売上を気にしていては、本当に大事なことに時間を使えません。緊急でなく、大事なことです。
僕にとってのそれは自分の魅力を伝えられるメディアを育てることでした。
機材にお金をかけてみたり
スタジオを借りて撮影したり
2020.3 歴代2番目の売上を達成
YouTubeの発信がノリにノッていたので、編集前の動画素材が溜まってしまっている状況でした。そのときに少し手を休めるつもりで作ったのが『コーチング販売の教科書』という有料note。
作っているうちに大作になってしまい、気づけば5万字を越える大ボリュームに。「え?こんなに売れるの?」というくらいに売れ、ありがたいことに3月だけで60万円以上売れました。
noteをキッカケに出会えた人もたくさんいて、自分の殻を破れた大きな経験になりました。
文字を書くことの楽しさも改めて感じ、3月は有料noteも含め16.5万字も文字を執筆した計算になります。表現するって楽しいな、と原点に帰った気がしました。
2020.4 noteをメインに発信
有料noteの販売で文章での手応えを完全に掴んだ僕。3月に引き続き、ブログで自分の想いを発信することに取り憑かれていました。
実はこのnoteにたどり着くまでにブログは何度も挫折していたんです。
初めての筋トレブログは教えてもらったとおりに書いたので売上を出すことができましたが、その後自分で作ったブログではさっぱり成果を出すことができず。
そんな自分を正当化するために、文章での発信を避けていた自分がいました。お恥ずかしながらですが。
コーチとして立ち上げたはてなブログは3年間で190記事ほど投稿し、2年間で問い合わせ2件。
ワードプレスという有料サービスにもチャレンジしていましたが、1万円ほどを払って10記事ほど書いて挫折、これを2回繰り返していました。
noteの力を借りてやっと文章での発信に手応えを感じた僕。この時点でyoutubeも動画を80本近く投稿していて、noteと合わせて僕のことを深く知ってもらえるメディアが確実に育っているのを感じました。
ブログを書きすぎて目が痛くなって
ブルーライトカットメガネを買いました
2020.5 メディアが育ち、売り込みが不要になる
『noteを通じてyoutubeも見て、なおとさんの価値観に深く共感しました!』と連絡を貰えることが激増しました。
情報発信に本格的にコミットするまでとは流れが全く変わっているのをひしひしと感じていました。
何が今までと違うかって、僕のことをすべて知ってくれている上でお問い合わせをくれるので、話がとにかくはやいのです。
無意味な探り合いも、時間を使ってから気付くミスマッチも、一切ありません。とにかくラクで、無駄がない。
ハードなセールスも言葉巧みなクロージングも必要ありません。コーチングの概念について説明する必要もありません。
僕が形のないセッションをそれなりの値段で売っている人間だと知っている人が、「それでも欲しい」と連絡をくれるからです。
コーチとしてすでに自分の売り込みをやった事がある人は、この状態がどれだけすごいことなのか理解していただけるはずです。
情報発信が積み重なることの威力を体の芯から感じた1ヶ月でした。今までの苦労はなんだったんだ、と震えました。
自分のことを知ってくれている人から連絡が来る
ひとりビジネスでこの状況を作れたらもう苦労しないです
2020.6 夢だった赤いマツダ(おはなし号)を購入
あれはちょうどyoutubeからの初めての売上が出た頃だったと思います。1年後の未来にどんな生活がしたいかを徹底的にイメージして、紙のノートに書きなぐった事がありました。
『景色のきれいな広い寝室で目覚める僕。今日の仕事は大きなホールで講演会。マネージャーと一緒に乗り込む車は、赤いマツダのSUV。軽快にアクセルペダルを踏み込んで会場に向かう。』
「そろそろ地元に帰れそうだし、地方暮らしに車は必須だよな〜」なんて中古車サイトを見ていた時、そのノートのことを思い出したのです。
「今赤いマツダを買わないと、今後絶対に後悔する」と思い立った次の日、マツダディーラーに行ってCX-5という赤いSUVを即契約。現金一括払いでお支払いをしました。
キミにきめた!の瞬間
お支払い中
自分の夢が、1つ叶った瞬間でした。おはなし屋なおとがおはなしで稼いだお金で買った車なので、おはなし号と名付けて愛でることにしました。
納車されたおはなし号
まさか僕が車を買うだなんてね〜
2020.8 車に荷物と妻を載せて福岡へ
ついにその日がやってきました。葛飾区に借りていた2DKのマンションを引き払って、赤いマツダに奥さんとパンパンの荷物を載せて、陸路で福岡に引っ越しをしました。
パンパンです
よく入ったものだと感心していました
16時間の道中、赤いマツダのハンドルを握りながら、たくさんの思い出がフラッシュバックしました。
上京するために塵まみれになりながら解体屋でアルバイトしたこと。キャリーケースひとつで歌舞伎町に乗り込んだこと。コミュニティで称賛を浴び、浴びすぎて追放されたこと。
2ヶ月間の居候生活を経て、初めて中野区でアパートを借りた日のこと。友人と一緒に組織を作って、毎日楽しいだけのミーティングを重ねたこと。本音をぶつけるたびにいなくなったメンバーのこと。
本気の想いをぶつけてくれるクライアントさんとのセッションのこと。夜な夜な麻雀をしながら夢を語った友人のこと。
1DKに4人で住んでいた時期のこと。命を削って作った大事なお金を託してくれた人のこと。
クライアントさんと夜遅くに食べたキムチチャーハンの味。
メンバーと一緒に行った熱海。
1週間に12回来店していたサンプラザ中野前ルノアール。
震えながら電車を降りた東京メトロ虎ノ門駅。
帰省して東京に戻るたびに泣いていた彼女。奥さんになってくれた後も何回泣かせたかわからないな。
友人も僕に必死でついてきてくれた。あの時のクライアントさんは今なにをしているのかな。
みんな元気でいてくれるといいな。
楽しく働きたかったはずなのに、追い詰めちゃったメンバー。あの時は僕も必死だったんだ。ごめんね。
ああ、僕と同じタイミングで上京した大学生が卒業しちゃうくらいの時間が経っていたのか。早かったなあ。
お昼の13時に出発をして、本州と九州を結ぶ関門海峡大橋が見えてきたのは朝日が昇り始めた頃でした。
何も持っていなかった僕は、おはなし号に奥さんを乗せて、生まれ育った街に帰ってきたのでした。
2020.9 音声配信やYouTubeのスタジオ収録をはじめる
4年ぶりの故郷はなんとも住みやすく、のんびりとした時間が流れました。なんと言っても視界に緑がある。東京は都市ゆえに平野で、高い建物からも山が見えません。
葛飾で借りていた部屋からの景色
都会ぐらしをして初めて『日常的な視界に緑があること』が僕にいい影響を与えてくれることに気づきました。
その反省を生かして新居は窓からきれいな山が見えるマンションにしました。毎日朝起きたらカーテンを開けて山を見ています。うっとり。
いまのお部屋から見える景色
車1つに乗るものと郵送したダンボールだけで引っ越しをしてきたので、1週間かけて家具や家電を奥さんと買い揃えました。
自分の生活を自分で稼いだお金で1から作る。狭い家に住んでいた僕にとっては当たり前ではなかった当たり前を味わいながら、結婚三年目にしてようやく新婚生活が始まったような気分です。
2020.10 新しい生活の中で考えていること
故郷に戻り、生活を整え直し、自分のビジネスについても改めて方向性を考えるようになりました。
自分が今まで経験してきたことを、どうにか伝えることができないだろうかと、今までとは違った頭の使い方をするようになりました。
僕はこの数年、ガムシャラに自分の欲求と向き合ってきました。
アスリートを辞めてまで貫きたかった自分らしさ。
稼ぐことと自分らしくある事を両立させたくて飛び込んだ東京。
自分のセッションを売るために身に着けた対面セールス。
資格もないのに口コミで売れ続けるような体当たりのコーチング。
45万円から値上げに値上げを重ねて、最高単価を200万円に伸ばしたこと。
売れてみてわかった、売れてからが本当の試練だという果てしない商売の道。
組織の崩壊や仲間の裏切りから学んだ、チームづくりの難しさ。
人生の節目さえも折りかねなかった、法律をめぐるトラブル。
一度0になってからバイトをしながら立て直した売上。
1年9ヶ月のブランクを経て更に磨きをかけたセールス。
何度も何度も挫折して、ようやくコツがわかってきた情報発信。
いままでの経験とスキルを駆使して100万円以上の売上を作った有料note。
発信とセールス力を組み合わせて、PCとLINE電話があれば日本中どこにいてもコーチとして仕事が成り立つひとり起業家としては最強のワークスタイル。
4年間を通じて学んだお金に対する教養。
そして何より自分らしく人に貢献しながら生きていくライフスタイル。
他にも体当たりで学んできたことは数しれず。僕はこの宝物のような経験たちを人に渡していきたいと思うようになりました。
以上が僕のひとり起業人生のすべてです
これから考えていることや、僕のコンテンツ、僕が発信を通して成し遂げたいことは随時形にしていこうと思っています。
すこしずつコンテンツを足していって、僕のことをもっと深く知って貰える場所がこの記事を起点に数個作れればなあ、と考えています。
完成が程遠いので、とりあえずいままでの年表的な感じで公開して、後々すこしずつ拡張していく予定です。
この記事を読んでくれたあなたが僕のことに興味を持って、数百ある僕が今までに発信してきたコンテンツを貪り読んで貰えれば光栄です。そして勝手に僕の経験を役立ててもらえれば感無量です。
少しずつ整備を加えていく予定ですので、今日のところは『おはなし屋のこと、わかったぜ!』というところまでで一旦終わらせておきます。興味を持っていただければ幸いです。
それでは、また別の記事でお会いしましょう!僕はこんな人です!仲良くしてね!ばいばい!
最後まで読んだら、スキ押してね!
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