「手放すことが大事」なんてみんな知ってるから、今日は手放し方のコツについて語ろう
そうなんです。わかってるんです。手放した方が先に進めることも、自分が色々なものを抱えすぎていていることも。みんなわかってる。でもどうしていいかわからないんですね。
そんな時に「手放すことが大事だよ」なんて言われても「うるせーよ!それができたら苦労しないぞちくしょう!!」となるのは当たり前。正論なんて聞きたくないですよね。
そうなんです。正論なんて聞きたくないんです。人は正論では変わらない。『人生が変わるようなことを言う』のと『人生が変わるようなことをする』には差があるんですね。全然違うの。
だから今日は手放すことの重要性は話しません。知ってるでしょ?手放せばそれよりも多くのものが入ってくる。本で読んだでしょ?YouTubeで見たでしょ?それを今さら俺から言われてもどうしようもないでしょ。
「うっせーな、こいつ」と思われて終わりの文章を書くためにわざわざコメダに来たりしません。今日は思考実験です。「手放せ」と言わずともあなたが何かを手放したいと思うような。
そんな時間にしていきたいと思いますので、少しだけ、ほんの少しだけお付き合いください。
「手放さなくていいよ」
「手放す」というトピックに触れていると言うことは、あなたは今きっと手放すべき『何か』に気づいているはずです。手放した方がいいことも、遅かれ早かれ手放すことも、手放すことに勇気が必要なことも、わかってる。
それでもあえて「手放さなくていいよ」といいます。それを手放さないことで一生生きていってください。
3年後、どうなってますか?幸せそう?「いやいや、3年後は絶対手放してるんだって」そう思うのなら、1年後でもいいです。手放さないまま1年経ちました。状況、何か変わってますか?手放さなくていいですよ。
「手放さなかったら大変なことになるぞ、だから手放した方がいいだろう?」っていう誘導じゃないですからね。手放さない方が幸せになれるのなら、手放さなくていいんだから。
「何のために手放そうとしてるの?」
さっきのトピックを書いていて思ったのですが、手放す手放さない論って結局何のためにやろうとしてるんですかね。そこにもう一度立ち返ってほしいのです。
仕事を手放そうとしているのなら、何のために?パートナーを手放そうとしている人、大事にしていたものを手放そうとしている人、車を手放そう、家を手放そう、服を手放そう、自分の思い込みやこだわりを手放そう、安心を手放そう、もう考えたら無限に出てきますけど。
なんでそれを手放そうとしてるんですかね。
僕は自分の子供を手放そうと考えたことは一度もありません。手放すつもりがないからですね。だって、手放したら絶対嫌だし、手放さない方が幸せだって確信してるから。
だから「手放そうかな」って思ってる時点で、それは手放してもいいものなんですね。
逆に本気で手放そうとしているものは「手放そうかどうしようか」とか悩みません。あなたに僕が火のついた爆竹をホイッと投げて、「せっかく貰ったけどどうしようかな〜手放そうかな〜」なんて思わないはずです。
考えるよりも先にぶん投げるでしょう。だからどこからどう見ても持っていちゃまずいものは、問答無用で手放すんです。
とどのつまり、議題に上がってる時点で「手放しても手放さなくてもどっちでもそれなりに幸せになる可能性がありそうなもの」ということになりますね。だからどっちでもいいんです。
「本当に大事なものは手放しても戻ってくるよ」
僕、本が好きで毎月何万円も本を買うんですよね。でも、すぐ人にあげちゃったりで手放すんです。で、後から「もう一回読みたい!」って思ったらまた買うんですね。
同じ本を7回買ったことあります。3回買った本はザラで、だったら捨てなきゃいいじゃんって話なんですが、これは違うんですね。
手放したその時ともう一度手に入れた時では自分が変化しているから、何回もその本と出会い直してるってことなんです。
この理論は全てのことにおいて言えると思っていて、お金で買えるものを手放すときはまた買えばいいんです。手元に置いておくといつまでもクローゼットや本棚に眠ったままなんて、ものがかわいそう。
手放して初めて「あれ、大事だったんだなあ」って気づくかもしれないじゃないですか。
人間関係も一緒で、手放しても手放してもまた出会う人ってのはいる。だから手放したくなったら手放していいんです。
今は一緒にいられないかもしれないけど、また別々の場所で成長して、出会い直すかもしれない。それでいいんですよね。
食べ物に賞味期限があるように、人間関係にも期限があると思ってます。でもそれは悲しいことでも何でもなくて。
価値観が重なる時期もあればそうでない時期もある。一緒にいる時期もあれば離れる時期もある。たとえ短い期間でも同じ感覚を共有できただけで有難い。
そう考えないと「一緒にいて楽しい」と言う気持ちが『執着』に変わってしまいます。
お、いいワードが出たな。執着。これでもう1トピック書こうか。
「執着してないか?」
手放すか手放さないかの境目、もうこれでいい気がする。本当に持っておくべきものなのか、執着してしまっているのか。
執着という言葉を調べると【一つのことに心を囚われて、そこから離れられないこと】と書いてありました。あ、これ会社員続けるか問題で悩んでいる人そのものですね。
「いろんな選択肢がある中で会社員を続けている人」と「自分はこの会社に勤めないと生きていけないから離れられない人」ではフットワークの軽さが全然違う。
僕は会社員できるなら起業も普通にできると思う(だって1日8時間働けるんでしょ)けど、会社員という立場に囚われてしまっている人は「自分は会社員以外では生きていけない」と思いがち。
いやいや、そんなことないって。
個人で生きるって別にそんな大したことじゃないのに、『独立』という行動を過大評価するのは、「会社員という生き方に心を囚われて、そこからはなれられないこと」そのものじゃないですかね。
これは執着以外の何者でもないですね。「うちの会社、マジブラックw」と笑って言うほど辞めない。本気でそう思った人は誰にも言わず淡々と辞めていく。
そうやってその会社に執着してブラック労働を続けるもんだから、いつまでたってもブラック企業がなくならない。
人間心理って恐ろしいね。ブラック企業を存続させているのは何者でもないあなたですよ、と。
もう少し執着について続けましょうか。
執着には恐れがある
執着の裏側にはかならず恐れがあります。それを手放したら困ったことになっちゃうんじゃないかってね。
会社員ってのはわかりやすい例ですけど、手放しちゃうとお給料がもらえなくなる。生活できないじゃん。困った。これが恐れの感情です。
でも冷静に考えてみてほしいんですけど、会社員を手放したら『お給料』だけが手元からなくなるわけじゃないですよね。働いてるわけです。
月160時間とか、200時間とか、もっと働いてる人もいるかもですけど、会社員ってのは「持っている時間を会社に売って対価をもらって生活する人」ってことなので、その時間がまるまる手元に残るわけです。
その時間を使って何かをすればいいわけですよ。
ビジネスを作ってもいいし、成果が出るまでアルバイトで食い繋いでもいいわけで、別に何だってできる。
執着してる人が感じてる恐怖って「自分の時間をこの会社に買い取ってもらえなくなったら生きていけなくなっちゃう」ってことなんですよね。
いやいや、冷静に考えてそれはないでしょ。その会社だってたまたま縁があって入社してるだけで、日本中全ての会社を見た上でそこに入ってるの?って話です。思い込みなんですよ。
お給料がなくなるのも確かに事実なんですけど、自分の時間が手に入るってところに目がいかないんですね。
目がいかないってことは、執着してるってことです。そもそもその会社で何か不安があるから「手放そうかな…」って考えてるのであって、本当にそこで時間を投下することが自分にとって善だと思ってれば、迷うことすらないんですよ。
迷ってる時点で、議題に上がってる時点で、何か納得いってない部分がある。あなたの活躍する場所はそこだけじゃないはずだって。
これ、会社辞める辞めない問題ならわかりやすいですけど、人間関係とかも結局同じことですよね。
今お付き合いしているパートナーとお別れするかどうか。執着してしまっているときは「こんなにいい人ともう巡り会えないんじゃないか」って考えてしまってます。
でもね、本当にいい巡り合わせなら「離れよう」なんて微塵も思わないんですよ。思った時点で、何かがあったってこと。だから一緒にいてもいなくても、結果は変わらないんです。
お別れしてどうなるかわからない、と同じくらい「このまま一緒にいても幸せかどうかわからない」も同時に存在する。だったら好きな方選べば?って感じなんです。
「どっちにしろ同じだから、好きな方選びな」
手放しても手放さなくても、結果は同じ。手放さなければ「手放さなくてよかった」と将来思うし、手放せば「あのとき勇気を出して手放してよかった」と思うのが人間なんです。
だからもう好みで選んだらいいんじゃないでしょうか。
岐路に立ったとき、悩みたくなるのが人間です。起業しようかな、どうしようかなって。別に好きにしたらええ。どっちも同じくらい不安定で、どっちも同じくらい幸せだから。
「手放すこと=いいことだ!」って言いたいわけじゃないんですよね。あのね、世の中のブログとか本とか「自分の意見を言いたいだけ言い散らかしてる人間」っていうのは、どこかで手放したやつなんです。
常識とか、当たり前とか、無職になる恐怖とか、ひかれたレールの上を歩く人生だとか、そういうものを諦めた人間じゃないと、文章を書いて人に読んでもらおうなんて思わないの。笑
だからバイアスもかかってると思いますよ。手放さなくて幸せになったやつの実体験なんて、本にならないもん。ブログにしないもん。
だから極端に「全部捨てればいいじゃー!」みたいな意見がブログになって本になって届くだけで、ぶっちゃけどっちでも一緒。情報が偏ってんのね。
俺は「全部手放しても死なないよ!大丈夫!側」の人間です。だからブログとかで自分の意見を書き散らしてます。多分あなたが読んでる他のブロガーとか、著者とか、全部そういうタイプの人。
きっとどこか自分の選択を「正解だったと思いたい」って気持ちもあると思うのよ。ぶっちゃけ、俺はある。
だから、俺本人は「手放そうぜ!」って言い続けるけど、あなたにとってどっちがいいのかは本当にわからん。俺はよかったけど、あなたがどうかまでは責任取れん。
ただ一つ言えるのは、好きにしーやってこと。どっちも同じよ。手放し村の人間も手放さない村の人間も同じようにたくさんいて、どっちで行きたいのかって話。
遅かれ早かれ人は必要なものや人に出会うと思ってて、全ての出会いには別れがあると思ってる。それが自然なことで、その自然な流れを執着で止めることは運気を落とすんじゃないかってことも、俺は思ってる。
ただ、俺はそうするしそうしてきたよってだけで、この見解に科学的な根拠もなければ、「俺が読んだ本や好きな発信者はみんなそういってる!」ってのもぶっちゃけバイアスかかりまくりで何の参考にもならんよね。
だから好きにせい。手放しても手放さなくても同じ。どっちに行っても人は思い出を正当化するし、自分の選択は正解だったと思うように行動する。だから、本当にどっちでもいい。
好きにせい。これが今日の伝えたかったこと。好みで決めたらいい。決断が人生を変えるとか言うけど、決断した後にそれを「人生の岐路を乗り切ったゾ!えっへん!」って言いたいおっちゃんが書いた本を俺たちがいっぱい読んでるだけだと思うよ。
俺は素直だからそっち側に行きたいなって思って、アホみたいに手放して、決断して、そのおっちゃんたちと同じように今偉そうに文章を書いてるわけだけど。まあこっちの方が俺好み。
だから俺も引き続きえっへんする。付き合ってくれてありがとう。また会おうぜ。えっへん。
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