ジョン・クラカワー『荒野へ』を読んで(1)
ジョン・クラカワー『荒野へ』という本を読んだ。『イントゥ・ザ・ワイルド』というタイトルで映画にもなっているのでご覧になった方も多いかもしれない。
物凄く感想を述べたくなる本である。少なくともおれはそうだ。
裕福な家庭に育った青年、クリストファー・マッカンドレスは大学を卒業後、預金を慈善団体に全額寄付し、手持ちの預金を燃やし、持ち物もほとんど手放し、アメリカ放浪の旅に出る。文明と決別した生活を送るべくアラスカの荒野へ向かい、16週間後、餓死する。1992年の話。ノンフィクションである。
感想を述べたくなると言ったが、これは結構感想を言う相手も選ぶ本だと思う。こういう話題はえてしてこう分析されてしまう。
若いってそういうことだよねー
こじらせちゃった系ねー
ナルシストの現実逃避
文明からは逃れられない
おれは一度も使ったことがないが、あの言葉を言う人も現れそうだ。中二病。
リアル人間に感想を言うと、こんな流れになる可能性もあり、それはおれの望むところではないので、ここにちまちま思ったことを書いていきたいと思う。
上に書いたような反応に共通するのは「自分のほうが『何かを』わかっている」というものだろうと思う。自分は人生経験もあるし、物事を広い視点から見ることができる。短絡的な青年とは違ってウィズダムがある。
しかし。
そいつらは(つってもおれが想像で勝手にこしらえたヒトですけども)、一体マッカンドレスに比べて何をわかっているんだろうか、と思う。
若いってことだよね、わかるわかる。自分もそんな時期あった。
とか思うやつは、果たして「そんな時期」がほんとにそいつに訪れたことがあるのだろうか。
彼の考えはきれいごと。現実から逃避しても何も産まれない。
とか思っているやつは、なぜ「きれいごと」を目指さず、「きたないごと」の現実に拘泥するほうがオトナのウィズダムだと思っているのか。「きたないごと」の現実に留まって何かを産み出すことの何がそんなに素晴らしいのか。
ナンダカまとまらなくなってきたが、サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』に似てるな、というのが最初に頭に浮かんだ印象。でもこの共通点というのはネットで記事を検索しても、あまり出てこない。
そこらへんについて次回は書いてみます。