死について~トルストイ『イワン・イリイチの死』を読んで(3)
死を覚悟すべき状況になったときの寂しさと嫉妬、ということについて前回書いた。
そういう局面にあってもポジティブであろうとするかどうかで言えば、自分は明らかにネガティブ派であろうと思う。
ふさぎこんでも何も変わりません!
とか言われたときの「オマエに何がわかるんだ」感はすごそうである。
この状況の特殊さというのは、「話をわかってくれる先輩」がまず周囲にいないということだ。「俺もお前みたいな頃あったよ」と声をかけてくれる存在。たとえ出会えたとしても、その人もまっすぐ死に向かっているわけだから、この場合の悩み(「生きたい」)の解決にはあまりなってくれない。
以前と同じような周囲とのコミュニケーションは絶対に不可能になるだろう。これは結構すごいことだ。
イワン・イリイチを一番苦しめたのは、嘘であった。……
お互いにわかっていることを認めようとせず、こちらの症状がいくらひどくても嘘をつき続け、おまけにこちらまでその嘘に加わるように強いる――そんな連中の手口にはうんざりだった。
イワン・イリイチはこう思ったり、また、
みなが行ってしまうと、イワン・イリイチはほっとしたような気分になった。嘘がなくなったからだ。
こう思ったりもする。
周囲としても、このような病の人にどう言葉をかけていいかというのは難しい問題で、おれは両親とも癌(あまり希望をもてないタイプの)で亡くなったが、闘病中にあまりポジティブな言葉はかけまいと思っていた。そういうことがうまくて、患者の気を紛らわすことができる人もいるけれど、自分はそうじゃない。『イワン……』を読みながら考えてみると、結果としてはそれでよかったかもなと思う。周囲の「空疎ポジティブ」というのは絶対にバレる。
周囲の態度、患者の態度。
患者という立場としては、母親は相当ポジティブに頑張りぬくというタイプの人間ではあった。ただ、口ではそう言いながらも内心どうだったか。
おれが最後に会ったのは、秋に弟の結婚式で帰省したときだった。振り返ってみると、あの時、明らかに母は「おれとはこれが最後だろう」と思っていただろうと思う。2か月もしないうちに正月でまたすぐに帰省するのに、やたらにおれの小学校の頃の通知表や作文をもってくる。あんた、これもって帰らんね。自分がいなくなれば、ありかがわかる人がいなくなると思っていたんだろう。その他にも、いろいろなメッセージが、直截的ではないメッセージがあった。後にならないと気づかないものだ、こういうものは。
その時のこと、おれが小さい頃に書いた作文のひとつを読んでくれた。
お母さんが死ぬと、僕はすごく困ってしまうでしょう。ごはんを作ってくれる人がいなくなるからです。だから、お母さんには死んでほしくありません。
それは楽しそうに、母はこれを読んだ。
こういう、とんでもないブラックジョーク、あるいはちょっとした奇跡としか言いようがないことが、人の死の前後には起こる。少なくともおれにはいくつか起こった。
話が脇道にそれ過ぎた。
母は患者としてポジティブを貫き通し、希望を捨てなかった。しかし一方で、おそらくは死期を完全に悟っていたようにも思う。当たり前といえば当たり前、純粋ポジティブな患者生活なんてありえない。精神的な孤立は深いはずだ。こういう場合は最もポジティブに見える人でも精神の内奥をはかり知ることはできない。不和があったわけでもないのに、関係性は永遠に変わってしまう。コミュニケーションの小さな死。
こんな時期がかなり多くの人間とその周囲に降りかかるのだ。ちょっと人生って重すぎやしないか。宗教というのはこういうときに支えになるのかもしれないな、と思う。