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『映画を早送りで観る人たち』について語るときに僕たちの語ること、なんてタイトルをつけるやつがいたとしたらそんな奴はロクでもないに決まってる~『映画を早送りで観る人たち』を読んで(2)

この本を読み始めてずっと気になっていたことが「早送り=時間の蹂躙」については手厳しいけれど、多くの場合わたくしたちは、映画を観る際にそれと同じくらい「空間を蹂躙」してるんじゃないかということだ。

最近カメラでものを写すのが好きになっているのですが、素人とはいえやはりそこそこ構図などは考える。タテヨコ比や明るさがすこし違うだけで写真の印象はめちゃくちゃ変わる。

素人ですらそんなふうなのだから、映画製作者の、こういった部分に対するシリアスさというのはおそらく想像を絶するものでしょう。

そう考えると、PC映画視聴環境って、滅茶苦茶でしょう。明るさが手軽に変えられるというのは、結構な問題だと思う。

筆者は繰り返しこう述べる。10秒の沈黙には10秒の意味がある。そこを飛ばすのは作品の鑑賞ではなくコンテンツの消費に過ぎない。ストーリーだけわかればいいというものじゃない。

しかし、映画に関しては作品は時間と空間から成り立つわけだから、時間軸の部分にだけ目くじら立てるのも、という気がする。そもそも「筆者の理想とする『作品の鑑賞』とは原理的に不可能である」ということに過ぎないのではないかと読んでてずっと考えてた。

するとですね、一番最後に実はきちんとここはディフェンドされていた。「そもそも、作品の鑑賞というのは難しい問題なのだが……」という。この本は、およそ考えられるあらゆる反論に対し、すべてメイウェザー的にディフェンドがなされている。こういうとこはつくづくすごい(ちとズルいよななあ、とも思うが)。

ですので、この文章は、別にこの本の議論が片手落ちであるとか、そういう批判ではありません。わたくしが書いていることも、whataboutism(「じゃあ、この問題に関してはどうなんだ?」的態度)みたいなもので、この本の趣旨とは関係ないわけですし。

ただ、この本の内容をネット記事とかで読んだだけのどっかのジジイが、若者に「お前なあ、10秒の沈黙には10秒の意味があって……」とか説教しているのは耐えられない、耐えられないわ、わたくし、と思って書きました。10秒には10秒の意味があり、ライティングにはライティングの意味がある。であるならば、「早送りするやつが増えた」というのは「人類の観賞的態度」がマイナス50ポイントからマイナス52ポイントになったくらいの話、ジャストアナザーよくある話、なのではないだろうか。

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