かくれんぼ(小説)

僕が高三の夏に書いた小説です。本を読むのが苦手な僕が書いたので、読みやすい話だと思います。短いですので、ぜひ。

***


 西暦が三千年を回ったころ、地球人たちはようやく気が付いた。それまでずっと、すべての始まりから現在、そして未来に至るまで指数関数的に広がり続けていくと考えられていた宇宙が、収束を始めているということに。


 それまでの理論はすべて見直された。誰しもみんないつかこの世がなくなるなんて思ってもみなかったものだから(よっぽどの心配性を除いて)、その現実は簡単には受け入れられなかった。特に科学者はそうだった。どの科学者もあと数百年もすればロケットは宇宙の果てまで飛んでいくだろうと思っていたし、人間に紛れて誰にも気が付かれないロボットだって自分の手で開発できると思っていた。そう、いつか来るはずの、いつの日にかは。

ところが今、粒子の揺らぎとインフレーション、ビックバンを経て生まれてきたこのとてつもない"宇宙"というものには、末端ができうることがわかってしまったのだ。それは、我々の考えられる限りの世界には始まりと同時に終わりがあるということを意味した。それは、この宇宙が無限という概念に頼ることなくエネルギーを使いきるということが証明した。この世は、無限に続く唯一無二の存在などではなかった。ある時に生まれ、ある時に死んでいくものであった。この世紀の大発見があったその日は、間違いなく「神のお告げ」と呼ばれるだろう、宇宙が終わるその時まで。


それを見つけたのは僕だった。正確に言えば僕が所属している研究チームだった。このとんでもない発見は瞬く間に世間には広がったが、まだ科学の分野では検証中ということになっている。どの時代においても、常識を覆す発見というものはすぐには受け入れられるものではない。僕らのチームは、科学者と世間の非難から逃れるように、研究所からそれぞれの家へと帰った。

 検証中といっても、僕のような下っ端が担当するのは書類の処理だの電話やメディア対応の拒否だの、そんな雑務だけであったので、肉体的疲労というよりも精神的疲労の方が大きかった。僕は家に帰るとすぐ、自室のオフィスチェアーになだれ込んだ。疲れてクタクタだった。対応する相手はみな、宇宙が終わるなんてとんでもない、という頭ごなしな人々だから、どんなに冷静に話そうが埒が明かない。テレビをつける。しかしテレビをつけても、ニュースの話題はこの世紀の大発見についての特集だ。仕事場も家も、逃れようがない。僕はテレビを消した。ああ。あしたは久しぶりの休日だし、ゆっくり休みたいところだ。


「あら、お帰りなさい。ずいぶん遅かったわね。」
同居人が、部屋へ入ってきた。
「そうなんだよ、朝から晩まで電話が鳴りっぱなしでさ、もうたまったもんじゃないよ。」
「あぁそう。ま、そんなことには興味はないのよ。私が言っているのはあなたがどうして遅く帰ってきたのかじゃなくて、早くご飯にして頂戴ということよ。私ずっと待って居たの。」
この同居人は、高飛車な猫である。僕は彼女に頭が上がらないのである。
ごめんごめん、と謝りながらキャットフードを用意した。彼女は呆れたように僕を一瞥し、食事を始める。彼女は僕が物心つくより前からこの家で母と姉に愛されていたので、すっかり大奥様という態度である。僕なんかは顎で使われたって仕方がない。

 僕が研究職について最初に携わったのがこの「猫語の翻訳機」という仕事であった。無類の猫好きだと豪語する研究者らはみな、どうにかしてこの愛くるしい生き物の言うことを理解したい、要望を聞いてやりたい、という熱意のもと、昼夜研究に勤しんだ。猫好きである母と姉も、この家でいつも気高く寝転んだりわめいたりしている彼女の本音が知りたいらしかった。そんな理由もあって、母は僕をその研究に参加する一人として推薦してくれたのだ。そしてしばらくして、首につけるだけで猫のことばを音声認識で翻訳し同時に音声出力してくれる夢の装置が発明されたのである。今の僕が研究所で一人前に認められているのも猫のおかげかと思うと、より一層彼女に頭が上がらない。

「この、装置の事だけど。」
彼女から僕に話しかけてくるのは珍しかった。
「これは外そうと思えば外れるものなのかしら。」
「君一人ではできないけれど、外すことはできるよ。ただ言葉がわからないよりかは便利だからつけてもらっているけれど、君が外したいなら外そうか。」
「いいえ、なんとなく気になっただけだから。それに、ご飯の用意がもっと遅れるのも困り物だものね、しばらくはつけておくわ。」
彼女は皿を空にして、食卓を去った。今夜のことは、この短い問答があったことを除いて極めていつも通りのものである、そう思っていた。

 翌朝、母が神妙な顔で僕の部屋に入ってきた。そしてこう言うのだ、彼女がどこにも見当たらない、どこにいるのか知らないか、と。

 昨夜彼女が食事を終えて食卓を去った後、僕も自分の部屋に戻ってくつろいでいた。疲れからかそのまま眠ってしまい、そこに母の知らせが届いたのだった。母はどうしましょう、とだけ言って部屋の掃除を続けていた。別段探す風でもなかった。姉は、僕が姉の部屋を訪ねるその時までそんなことは知らなかったという顔で「そういえばね。」と言った。僕自身もそれほど心配はしているわけではなかったが、二人もそれほど慌てている様子ではないようであったのが奇妙だった。実際、装置を付けてからほとんどの世話を僕がしていたし、かつて子猫だった彼女も今やこの家の最年長であるから心配するほどでもないであろうし、二人の反応も至極当然かもしれない。

 僕は犬派だった。彼女を猫だから愛らしいと思って世話をしたことは一度もなかった。ただ家族で飼っているから、ご飯を欲しているから餌をやる、それだけだった。この家から出たのも、彼女の決めたことだ。僕には口を出すことはできない。彼女は彼女、僕は僕だ。だから僕は僕で、今日この僕の休日という日を満喫しよう、そう決めた。コーヒーを入れ、オフィスチェアーに深々座る。さあて何をしようか。ずっと研究所に缶詰めだったからな、久しぶりにあのRPGの続きでもやろうか……。
 コントローラーを握って、ディスプレイに映し出されるゲームの世界に没頭しようとした。が、なんとなく、彼女のことが思い浮かんだ。昨日の会話を思い出す。

 彼女は昨夜、自分に取り付けられた装置のことを聞いてきた。彼女は、本心ではあれを外したいと思っていたのだろうか。昨日の言いぶりでは、なんだかそんな感じがする。
思えばあの装置は、最前線の科学の力を結集してつくられた、人類の愛とエゴの装置であった。だがその顛末はというと、やれ飯はまだか、飯はまだか、と横柄にいななくのが大半であった。主人への愛やら、遊びの誘いなどを期待していた大半の人間たちの笑顔は引きつった。それが何日、何週間、何か月も続くと、人々は次第にうんざりし始めた。そうして彼女たちは、以前ほど人間に愛されなくなった。彼女らは、「しゃべらない」からよかったのである。私達にはことばがわからない、理解できない、しかし私達が飯をやらねば死んでしまう、だから「かわいい」と思えたのである。皮肉にも、猫はより孤高の存在になった。母も姉も、初めてこの装置を付けたときは感動しつきっきりで彼女のそばにいたものだが、今では彼女の世話をするのは僕だけの役目になっているの、というのがいい証拠だろう。


 窓の外を見渡すとすっかり日は落ちていた。さてほかに何のゲームソフトがあっただろう。ソフトケースを見ようとデスクの下をのぞき込む。するとそこには、失踪中のはずの彼女がいた。ソフトケースの上に丸くなって、うつらうつらとしている。彼女はいつからここにいたのだろう。デスクの下なんて普段は覗かないものだから、もしかしたら昨夜の夕食後から、彼女はずっとここにいたのかもしれない。僕がのぞき込んだもの音で目が覚めたのか、彼女の目がうっすら空いた。睨まれるかと思い少し身構えたが、彼女の表情はいつになく安らかであった。
「あら、ようやくお気づきのようね。」
そう言って彼女は伸びをした。深い眠りから覚めた彼女の伸びは、博物館の化石が動き出すみたいに不器用に見えた。もうあまり動きたくないという風だった。もし僕が気が付かなかったら、彼女はこのままずっと目覚めなかったのではないだろうか、とさえ感じられた。
「いつからそこにいたの。母さん達も探していたから、顔を見せてやってくれよ。」
「いいのよ。どうせ人間の暮らしなんて私がいてもいなても変わらないんだから。私だってね、あの人たちがいようがいまいが何も変わらないもの。」
「なんで僕の部屋にいるんだい。何か用事があったのかい。夕飯なら、もう少し後だと思うけど。」
「違うわよ。」
彼女がいつものように小言を言うかと思ったので待ち構えていたが、また黙り込んでしまったので、僕はどうしていいかわからなくなってしまった。

 その沈黙を破って、ぽつりぽつりと彼女は話し始めた。
「近い将来、宇宙が終わるらしいじゃない。あなた最近ずうっと帰ってこなかったわよね、研究ばっかりで。宇宙が終わるまでに、ゆっくり二人でいられる機会なんて、もうこれが最後かもしれないじゃないの。だからね、あなたにだけ話しておこうと思って。
私ね、科学者って嫌いなの。ずうっと嫌いだったわ。こんなごつごつした装置勝手につけちゃって、寝苦しいったらありゃあしないわよ、まったく。……まぁ、そんなことは別にいいのよ。でもね、あなたたち、ことばがわかったくらいで私達のこと知った気になっているんでしょう。とんでもない幸せ者よね。それなら、全くわかってもらえないままの方が心地よかったわ。」
彼女が、わざわざ科学者が嫌いだということを告げるためにこんなところへ来たりしないことを僕は知っていた。これは、いつも小言ばかり言う高飛車な彼女の、初めての弱音であるように思えた。
「昨日、あなたも仰っていたわね。これがある方が便利だって。それは便利よね。わからないより、わかる方が便利なんだわ。」
今までずっとジイイと待機していたテレビゲームの画面が、ブツリと音をたててタイムアウトした。夕暮れの空は、夜の空になっていた。彼女は眠たそうに話続けた。
「科学者っていうのはそう思い込みたいのよ、何でも分かるようになりたいの。これは役に立つ、これで未来は明るくなる、これができるようになれば、必ず豊かな時代がやってくると信じている。科学って、そういう宗教よ、あなたもそうなんでしょう。」
そういって、彼女が目を閉じてしまった。僕に答えを求めているわけでもなく、ただため息を漏らすみたいに、話しただけなのだろうか。言うべきことはもう終わったのだろう、彼女は再び眠りについた。


彼女は、いつからこう思い続けていたのだろうか。彼女はこれからもずっと、こう思い続けていくのだろうか。宇宙が終わることは、限界の証明であった。発展が絶え間なく続いていくことには、何の確証もなかった。だから、宇宙が終わることの方が、むしろ当たり前のような、当然のようなことに思えてならないのだ。
それは、生き物がいずれ息絶えるのと同じように。

僕は寝ている彼女の首から、そっと装置を外した。もう夜は深まっていた。母に呼ばれて夕飯を食べに食卓へいった。戻ってきたときにはもう彼女は、部屋のどこにもいなかった。

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