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今日は大きなめまいに襲われました。そこで色々と困難を思い出しました


昼の出来事

今日、かなりキツいめまいがしました。

恐らく耳の病気(外リンパ瘻・がいりんぱろう)によるものだと思われます。

めまいの頓服薬は3回ぐらい飲みました。
飲み過ぎてしまったかも知れません。

2回吐いたりもしました。

本当にしんどかったです。

昨年12月下旬頃の手術をした後から、めまいがするようになりました。

今週木曜に耳鼻科の診察なので、その時に言おうと思います。

なんで僕はこんなにも困難が押し寄せてくるのでしょうか?

思い出した数々の困難

困難の最初は、いじめだった

困難の始まりといえば、小学校から始まったいじめだと思います。

小1~2の頃までは明るく、テレビのマネばかりする子供でした。

何がきっかけだったか忘れてしまいましたが、いじめに遭うようになりました。

いじめは中学も続き、カバンや筆入れを切られるということもありました。

高校の頃は集団によるいじめでした。

誰にも言わないから嫌いな奴の名前を書け、と言われ、書いてみたら即その人に告げられてしまうなど、さまざまありました。

大学に入ってもいじめはありました。

Fラン大学で、不良が多い所でした。

たばこを覚えさせられ、パシリやアパートを貸すなど、不良たちの言いなりに…。

めちゃめちゃ病みました。

なんとか離れることが出来、いじめは終わりました。

2ちゃんねるに書かれ、精神科へ。そして新卒就職も…。

しかしその後、ゲーマーだった僕は、2ちゃんねるに中傷を書かれました。

当時インターネット黎明期で、2ちゃんねるといえば西鉄バスジャック事件の犯行声明が書かれた所という認識があり、「そんな所に僕の悪口が書かれてしまったのか?!?!」と思い、かなり病みました。

堪らず精神科に行き、抑うつの診断が出ました。

大学卒業後、うつな中で就職活動をし、なんとか受かった引越業者のオフィスは、社内ニート、サービス残業のブラック企業。

会長がまるでヤ○ザのような風体でした。

新人は次々と辞めていき、僕もその波に乗りました。

その後入った時計屋のアルバイトは、店長がガミつくブラックバイト。

お客さんの前で怒鳴るなんてよくありました。

そこも1ヶ月で辞め、プータローに。

こんな人生終えてやると思い、自さつ未遂を繰り返すようになりました。

そのことを親に言ったら、実家に戻るように言われ、実家暮らしとなりました。

悪夢の障がい者施設

実家暮らし中の精神科通いで、何もしてないならデイケアに通えば?と主治医から告げられ、デイケアに通うようになりました。

しかしそのデイケア、スタッフはまるで幼稚園児を扱うような態度で、それがしんどかったです。

なんとか毎日通って、元気になった所を見せて、早くここから抜け出そうと思いました。

デイケアに通うようになってから、統合失調症の診断が下りました。

デイケアに通うようになってから5年半。

幼稚園児扱いの生活に嫌気が差し、大掛かりな自さつ未遂をしました。

それがきっかけで、デイケアを抜けることになりました。

その後アルバイトを転々とし、中々定職に就けませんでした。

親との関係が悪くなり、僕名義の貯金をよこせと言い、それを元に、つくばに住むことに。

そこではB型作業所に通うのですが、ここも6年近く通いました。

その後、就労移行に通いますが、1年程度で離脱。

入院を経て、自立訓練に2年間住み込みました。

ようやく、障がい者施設暮らしが終わりました。

約15年にも及ぶ障がい者施設通い&暮らし…本当に大困難で辛かったです。

フリーランスとして働き始め…たのだが

それが終わって、つくばでの生活が始まりました。

就職活動にやる気が出ず、何か家でデザインの仕事は出来ないかネット検索したら、クラウドソーシングサイトが見つかりました。

そこでフリーランスとして、手描きのデザインを始めることにしました。

その後、宅録ナレーターも始めました。

しかし、中々提案が通らず、アルバイト探しに。

落ちたら即応募、落ちたら即応募、、、。
夢の中にまで履歴書書きの模様が出ました。

ある日の朝、右耳に違和感を覚え、行きつけの耳鼻科に行った所、ここでは診られないと、大病院を勧められました。

即日予約が取れ、診断してもらった所、突発性難聴の疑いが出て、薬を処方してもらいました。

数ヶ月薬を飲んだものの回復せず、聴力は回復しないと判断されました。

それでもバイト探しを続け、ラーメン屋のバイトに受かるも、スープをこぼすなどしてしまい、4日で辞めてしまいました。

その後派遣バイトでZOZOの倉庫で1日働くも、コロナ禍で仕事が来なくなってしまいました。

その時、『人生十人十色大賞』という自伝のコンテストがあり、4ヶ月かけて12万文字の自伝を書き上げましたが、結果は駄目。

noteのマガジンに有料公開しています。

その後、高血圧で通っていた内科で、逆流性食道炎が発覚。
原因は自伝を書いていた時のストレスだろうと言われました。

それから、自伝を書いた疲労が長い間続き仕事にならず。

そして、外リンパ瘻に…

ようやく最近、仕事を始められた…かと思いきや、去年6月に左耳の聴力がガクンと下がりました。

当初は突発性難聴であろうと思われ、1週間ステロイド剤を打つ入院をしました。

退院後、すぐには聞こえるようにはなりませんでしたが、徐々に聴力は回復し、10月頃は難聴前と同じぐらい聞こえるようになりました。

しかし11月、また聴力がガクンと下がり、治療を試みるも回復には至らず。

その際、外リンパ瘻の疑いが出て、手術をしました。

術後、中々聴力は回復せず。

少しだけ聞こえるようになったかな…と思っても、また聞こえなくなり…。

手術は成功したのかどうか、疑いたくなります。

まあ、「今より悪くしないための手術」だったので、聞こえないまま終わってしまう可能性も否定できません。

でも、3日のおみくじのように、信心して治そうと思います。

バチ当たりな人間なのか???

とても長いこと困難について書きました。

次々思い出して、思わず筆が進みました。

こんなにも大きな困難が次々とやってくるのはなぜなのでしょう?
何かのバチが当たったのでしょうか?

バチにしては大き過ぎやしませんか?

悪いことを全くしなかったわけじゃない。
しかし、それにしては困難が押し寄せ過ぎでは?

バチ当たりじゃない、清廉潔白な人間なんていないと思います。

バチ当たりなことをしても、バチが当たってない人間もいると思います。

そんな中で、どうして僕は精神や耳が駄目になってしまうことが起きるのでしょうか?

神様がいるとしたら神様を恨みます。

こんなにバチを当てて、何が面白いんだと…。

今日は3軒ほどスーパーによって、セール品を中心に買い出しに行く予定でしたが、日中寝込んでいたので1件も寄れませんでした。

昼食は冷蔵庫に余っていたプリンやチーズ、そして、ツナサラダを作って食べました。

今夜も火を使わない食べ物にしようと思います。

僕の人生、どうなってしまうんだろう…。

そんな気分です。

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