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父親と離れるために家を出る話

僕の家族

三人家族の一人息子である僕はそれなりに裕福な家庭に恵まれ、住んでいる家も大きくて困ることはなかったし、三人で住むには広すぎるくらいに。
昔から父親はあまり好きではなかった。ママっ子で母親はいつも世話をしてくれたし、自分も母に頼り切りながら生きてきていた。母が自分のことを好きなのもわかっていたし、自分も母のことは好きだ。それに対し父は話すことは年々少なくなってきた上に母と父の会話もあまりなかった。中学生くらいから三人家族なのに関わらず食卓は別々で母としか食卓は囲まなかった。中学や高校になると友人の家族関係が見えてきたり自分との違いに気づくことが増えたけど自分の家の家庭に溝ができていることも明らかになりながらも、他人に話すことはなかった。でも自分が父に思うことが募り始めたのもこのころからであった。
父は高校になるまで僕に激怒したことが何度かあった。会話がしないが故に何をしたら怒るかあまりわからなかったし、そんなことで怒るかという些細なことで激怒されてから、距離を置くようになった。父への嫌悪感から自分から父に一切話すこともなくなったしまった。それに母と父はなぜ結婚したのかわからないほどに会話がない。小さいころは三人で出かけていたし食卓を囲んでいたが、どんどん僕を育てていくうえで仲が悪くなったのだろう。

父の言う自由主義

もう取り返しのつかない溝ができたまま生活をし続けて、自分もその家庭環境に慣れ始めたころに僕は大学受験をするかどうかの選択に迫られていた。受験をするとなったらお金もかかるし、親としてはどうしてほしいという意向があると思い一応父にも相談した。その時に帰ってきた言葉は「お前の好きにして生きろ、やりたいことに口出しはしない。けどちゃんとやることはやれ」だった。確かに母も僕のやりたいことは好きにやらしてくれるけど心配はするし何かと考え込む。父が僕に今まではなさなかったのはその自由主義の根本からあるものだろう。その言葉は自分にとって楽で生きやすいものであったが、本望は三人家族であり息子は僕だけのためもっと向き合ってほしかったし自分のことを知ってほしかったが会話できないのがリアルであった。

父親の生活の変化
高校の2年くらいから父親の帰宅時間と生活に変化が出始めた。それまではずっと8時過ぎに家を出て8時前に帰ってきたり、週に一度ほど出張で東京へ出向いてた。しかし9時に出て昼過ぎに帰ってくることが増え、夜は近くのたこ焼き屋やbarへいき夜遅くに帰ることが多くなった。月に2回ほど出張はいくが仕事内容も変わったのかどうかもわからない。母に収入を聞いても「家に入れてくれているお金は分かってないよ」とそれ以外はわからない様子だった。
父は夜帰ってくる時は基本酔っているためリビングで寝たり、独り言がうるさいためこの頃から母も僕も不満が募っていた。

限界を迎えた20歳

高2くらいから大学2年までかけて父の生活リズムと僕の生活リズムのズレがかなり生じ始め、僕は夜遊ぶことが増えたり、寝るのが遅くなったりすることが日常になってた中父も生活リズムが夜遅く帰ってきたり、逆に意味のわからないくらいの早起きや生活音で僕が寝れないことが増えた。寝てても父は仕事の日で9時に家を出る日でも6時に起床するためそれで僕が起きてしまうことが多々あった。正直最初は我慢していたがドンドン悪化していき肌も荒れ続けたし寝るまでに時間がかかることでストレスになりずっとしんどい日もあった。
正直ずっと話してなかったり、自分に何も言ってこないためお互い同じ家に住んでいるただの住民の関係のようにも感じてしまう。大学になると親しい友人に今まで言えてなかった家庭環境を自分も話すことがあるし、友人のもっと壮絶なものを聞くことも増えた。逆にこの歳になっても家族仲がいい友人も多くいるため自分の家庭と比べることも。友人に「3人家族やのに仲良くないねんな」と言われるのももう慣れたが最初は気にしていた。

ずっとバイトに行って遊ぶ生活を送ってたためお金は全然貯まらなかったがいつかのためにと思い少しだけ貯金を始めてその貯金を使う先は引っ越すことだった。他人からみたら不自由のない裕福な家庭かもしれないが父からお小遣いをもらうこともないし、祖父祖母の家も離れているため自分で稼ぐことしか貯める手段はなかった。引っ越そうと決意してからバイトは掛け持ちを3つし始めた。けどお金は足りず、半分諦めていた時に一番と言っていいほど仲の良い友達は僕と同じくらい家庭に不満を持っていたため、引越しには莫大なお金がかかるため「一度一緒に住んでみないか」と聞くとすぐに承諾して物件探しをして物件もすぐに決めたのが最近である。

母への想い
母はずっと昔から僕と仲良しでしっかり育ててくれた。本当に感謝している。僕が困っているとすぐに助けてくれたし生活において至らない所はすべて補ってくれた。歳をとるたびに母のありがたみを感じた。今も感じているし家を出ると言った時悲しみながらも止めずに受け入れてくれた。母の誕生日や母の日には欠かさずプレゼントを渡している。けどまだまだ恩返しはできていないからこれからもずっとなにかしてあげたり、自分が元気に生きていることが一番の幸せであると自信を持ちながら僕は元気で生きていきたいし母にも元気でいてもらいたい。父にも感謝はしている。何も言わず自由な生活を送らしてくれたこと。素敵な母のもとで生まれたこと。でも僕が父になるなら父のようにはなりたくはない。もしかしたらすごい人なのかもしれないが家庭を持ったら家庭を1番に向き合い全員が幸せなものにしたい。

僕はもう違うとこで生活を送るが家族の在り方には常に考え続けると思う。家族は離れても離れきれないものである。父の僕に与えた自由主義の考えの中で僕は自由に生きる。その中で選んだのは父と離れること。わがままで自由な息子でごめん。ではもいつか腹を割って全部赤裸々に話す日がきたらいいな。

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