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明日世界が終わるなら

というたられば話は飲み会の話題がなくなった瞬間に僕が提示する最終手段の話題であるが色んな友達に提示しても意外と盛り上がったりする。確実に終わるという仮定でやっているのだが現実味がない上になんでもありのためその人の感性や、やりたい事、会いたい人がその想像にでてきたりする。僕はこの話題を自分から提示する以上答えは決まっていて、答えるものは変わりない。それは「バイクで爆走して本当に誰もいないところで終わりを見届ける」という答えである。

なぜ「バイクで爆走して本当に誰もいないところで終わりを見届ける」なのか。

まず僕の周りの友人は「好きなものを食いまくる」「あらゆる女性に手を出す」「家族と一緒に日常のように過ごす」「恋人としたいことをして過ごす」などがよくでてくる答えなのだがマジレスしてしまうと仮に寿司を食いまくるとして寿司職人はその日絶対に世界が終わるのに最後の日まで寿司を握りたいだろうか、その人にもプライベートがありその人のしたいことがあるだろう。寿司職人は寿司を握らず好きなことを優先するだろう。

次に良くないがあらゆる女性に手を出すというのは可能で街には性犯罪者が蔓延るに違いない。警察も世界最後まで世界を、平和を守りたいと思うものもいるためある程度の抑制力はあるかもしれないがおそらく街は手につけられない状態になるに違いない。それに絶対世界が終わるのを信じてないものがこれからのために窃盗をおかしたりなど犯罪も多発するだろう。やってはいけないことをやる大チャンスなのだから。でも個人的にそれは最後だからできることには違いないが世界最後の日になにをやっているのだろうとなってしまったり、奇人になろうとしてただ気を狂わそうとしているだけだと思える。本当にやってみたいならそれはありだと思うし自分も少しわからないこともない。

恋人に会うや家族と過ごすというのは素敵な答えだと思う。人間味があり、愛を感じるし一緒にいてくれることで死ぬことや、何が起こるのかわからない恐怖感を紛らわせれるだろう。それに本当にその人といて最後を過ごせるなら本望なのだろう。しかし僕は少し違う。本当に大切な人だからこそ涙は見たくないし、もっといたいと縋ってしまうに違いないし一緒にやりたいこと、したいことが浮かんで後悔してしまう気がする。笑顔になれても心の中は間違いなく不安で仕方ないしそれを相手に伝えてしまうかもしれない。

それは僕は嫌だ。

大切な人だからこそ涙は見たくないし取り返しのつかない後悔などは考えたくない。だから僕は誰もいないところで最期を迎えたい。バイクで爆走したいというのは街中がパニックでやってみたいが法や自制心てきにやってはいけないことに該当していて、ありえないくらいのスピード、出したことないスピードでパニックの街から逃げ出したい。自分の大切な家族、友人、恋人のことはもちろん心配で仕方ないし、会いたいに違いない。向こうもそう思ってくれてるかもしれない。けど顔を見たら世界が終わるのを認めたくないし、つらくなる。だから自分の感情が自分だけに伝わって誰にも見られないように独りで最期をみたい。場所はできれば広く自然が綺麗なところがいいな。ただそれだけ。

https://note.com/o_ryo_mi/n/n877db6504e87

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