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令和ニキ

平成に戻りたい。
まずこの記事を書くにあたって先述しておきたいことは僕自身は今の令和という時代にすべて否定的ではなくなんならうまく溶け込んだり、令和を全うに生き抜いている社会の一人であるということ。令和になって発展したことやサービスが増えたことも体感している。このnoteを使えているのも令和のおかげかもしれない。ではなぜ僕が「平成に戻りたい」と思ったのか。
僕は平成14年生まれで約16年を平成で過ごし、直近の4,5年は令和で過ごし、幼少期、青年期は平成、成人前後は令和という時代を生きている。
記事を読んでいる人のほとんどがこの時代の変わり目を体感しているだろう。ここでは大学生のリアルな「平成に戻りたい」という感情の芽生えた経緯について述べたいと思う。

SNSが増産する承認欲求の化け物

Instagram

僕は今インスタグラムとツイッター、lineを利用していてインスタには投稿やストーリー機能は定期的に使うしDMツールも使う。普通の今の大学生である。でも年々使い方が変わってきているのも自覚しているし、まわりの人間も変化していることも理解している。インスタやツイッターは誰でも簡単に今何しているか、自分がどんな顔なのか、何を着ているかなど公開することができる。しかし僕が高校生でインスタの使い方を理解した時と今では何かが違う。最初は友達とワイワイ遊んだり。楽しい場所に行ったら投稿する。そんな感覚だった。けど今ではかっこうつけたり、わざわざ景色の良いところに行って自然を体感するより、ストーリーにどう載せるか考える時間が増えている気がする。それに投稿は自分の一番いいコンディションのものを厳選し、いいねやコメントを待つ。これにより誰でも有名になれることもできるし、世界中に発信できる。これによって褒められたりし始めると自分に自信がつき、SNS の沼にはまっていくのだろう。自分を発信できるということは他人の情報も受け取ることができるということ。これにより他人と比較することが増え、意識が向上するのは良いが、沼にはまり始めると完璧を求め始める。自信をもっていいルックスであるのに自分のことを卑下する人間が令和という時代において増えたような気がする。(自分が大人になっていく過程での変化ではあるのかもしれないが)
可愛いと思ってたあの子にLineを聞くためにDMからはじめましてではなく、恥じらいながら相手に直接「Lineおしえてほしい、、、」と本当は今もしたい。けどなんとなく今は直接であっても「インスタやってる?」がセオリーな気もするし。便利ではあるが、なんだかめんどくさい。いい子だなと思って仲良くなってもインスタのフォロワーが何千もいて勝手に「承認欲求の化け物なんだろうな」と解釈してめんどくなったり。ミステリアスすぎるのは嫌だが、インスタを見たらなんとなくこんな子なんだなーってわかることもあるため良いことも悪いこともある中で僕はインスタで知るのではなく本当は一緒に過ごしたり、電話したりする中でその人のことを知りたい。インスタで自分からやり取りを初めて関係を持ったこともあるため令和の生んだ簡単ルートにも乗車してしまっている自分はなんだか甘えたような気もする。

Tiktok

僕はTiktokに関しては半年ぐらい利用したもののそれ以降否定的になってしまったため今は使っていない。Tiktokこそ令和を代表する産物の一つでもあると思う。これもまた便利でいつまでも見てられるシステムであり、使い方によっては良いものだと思っている。ある程度自分の興味あるものをおすすめしてくれて、下にスクロールするだけで次に行ける。けどかなり私情であるがこの短い動画を一緒にいるときに見られると面白くないし、腹が立つときもある。それに加え、このTiktokも承認欲求を満たすコンテンツのくせに加工を激しくかけれるため、いざ少しフォロワーが増えてきて普通の写真や実際の写真を見ると、フォロワーやガヤは「思ってたのと違う、、」と言い、またそのうえで誹謗中傷。配信者も見る側も覚悟を持たなければいけないのだろう。暇つぶしに使っていて勝手に絶望したり、承認欲求を勝手に膨大させて自分を取り繕ったり、これもまたもう情報社会やネットに誰もが書き込んだり、配信できるのを普遍化した令和の悪い部分である。でもこの時代において「Youtuber」、「インスタグラマー」に並んで「Tiktoker」が現れ有名になってブランディングを始めたりできる人もいるため可能性の拡大としては良いだろう。だが僕はtiktokにおいては良い点よりも悪い点に目が行くため無くなってしまってもいいと感じるし、ない時代に戻りたい。

レンタルビデオショップと本屋が大好き

見出しにもある通り僕はレンタルビデオ屋と本屋が大好きで本屋に関しては買い物を行く際にあればか必ず寄る場所である。でもだんだんつぶれてる店が多くなってきて、時代の変化を感じるとともにかなり悲しくなる。これはコロナの影響が大きいに違いない。コロナが蔓延し、おうち時間が必要となり、家で使えるサービスが充実しはじめた。結果としてサブスクリプションなどの月額制の見放題サービスが台頭し始めた。レンタルビデオショップに立ち寄る人は減ったし、本も電子書籍の登場により、実際本を手に取ることが減ってしまっているのだろう。僕はレンタルビデオショップでパッケージを見てDVDを選んだり、適当に立ち寄って借りる気もなかったのに目に留まって借りてみるかあと思い、借りるモノの返却期間が迫りギリギリで見てしまうこともあった。この感覚がなぜか恋しい。でも僕もネットフリックスやアマプラを利用して映像作品を見る。あの感覚がいくら恋しくても近所のレンタルビデオショップは潰れてしまったためわざわざ少し遠くへ行くのも煩わしい。結局ここでも僕は令和が簡単にしすぎたレールの上で生活している。

僕はこれから平成に戻ることはもちろんできないため令和という時代に真っ当に生きていく。何なら、令和という時代を出し抜くくらいに。経済とか難しいことはまだわからなくてもいいけど、自分の令和でやるべきこと、成功させたいことに向き合って懸命に頑張りたい。

よければ前記事の「帰ってきて、平成」に簡単に詰まってるので読んでいただけると幸いです。

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