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ぼくと吉田の365日

大学の同期とオンライン飲みをした。 

サークルとか、ゼミとか、学生時代の話に花を咲かせていたけれど、
ある同期の一言でわたしは過去の記憶を思い起こすことになる。

「そういえば、吉田のこと覚えてる?」

「(懐かしい。その名前を最後に聞いたのはいつだったか)」

飲み会中なのに、わたしの意識は過去に遡り始める。

吉田と初めて出会ったのは、今から6年ほど前のことだった。

杜の都、仙台。

駅前で全ての買い物が完結するという、コンパクトにまとまった東北一の都市だ。

そんな仙台の町に単身乗り込んだぼくは、4月からの住処を探し回っていた。

地元に比べるとずっと寒く、もう3月だというのに雪までちらついている。

おまけに、仙台のこともほとんど知らない。
ずんだ。牛タン。東北楽天ゴールデンイーグルス。物件とは関係ない情報ばかり持っている。

「(もっと準備して来るべきだった……)」

そう思い始めたぼくの目に飛び込んできたのは、ヴィンテージな装いに身を包んだ吉田だった。

大きく「吉田」と書かれたプレートをつけ、何も言わずどっしりと構えている。

慣れない仙台に戸惑うぼくとは対照的だった。

「(吉田とやら、自己主張強すぎないか?まあ、ぼくには関係ないことだ。)」

ぼくはそう思いながら、そそくさと吉田の前を通り過ぎた。

春になり大学入学を間近に控えたぼくは、新生活の準備に追われていた。

いよいよ一人暮らしが始まるぞと息まいていたぼくの元に、両親がやってきた。

何の用かと思っていると、あろうことか、両親はぼくに吉田のことを紹介してきたのだ。

吉田を目の前にして思う。

「(なぜ知ってる?)」
「(なぜ紹介してきた?)」
「(というか吉田なんなん?)」

いくつもの疑問が浮かんでは消えてゆく。
ぼくの頭の中は渋谷スクランブル交差点の如くごった返していた。

1個1個質問することも考えた。
でも、一人暮らしの準備で疲れていたぼくは、そこで思考を放棄した。

両親の話を聞き流しながら、もうフラグになるようなことは考えないと心に誓った。

吉田はぼくがどう思っているかなんて関係ないと言わんばかりに、相変わらず堂々としていた。

夏になり大学生活にも慣れてきた頃。
友人に吉田のことを聞かれたので、紹介することにした。

彼は吉田を前にして、こう呟いた。

「なんか、全体的に古くさいよな」
「それはぼくも思う」

前から思っていたことなので、間髪入れずに同意する。

……ちくり。少し胸がつかえた気がした。

「(ん?何か違和感があるような。いや、気のせいだろう。)」

気付かれないよう、なんとか平静を装う。

彼はぼくの様子を気にかけることなく、話し続ける。

「でもなんか落ち着くんだよね。俺は結構好きかも。」

ちくり。違和感は無視できないレベルになっていた。

「(あれ?まさか、ぼく、吉田のこと……)」

自分の中に芽生えた特別な感情を自覚した瞬間だった。

自分の気持ちに気付いてしまったその日から、ぼくの吉田への思いは日に日に強くなっていった。

ぼくは誰よりも吉田のことを大切にし、傷つけないようにした。

そんな思いを知ってか知らずか、雨の日も、風の日も、吉田はぼくを暖かく迎えてくれた。

辛いときは優しく包み込んでくれた。

いつもぼくに安心を与えてくれた。

「(もうぼくは吉田なしでは生きられない……!)」


初めての経験だったぼくは、この感情がずっと続くものだと思っていた。

そう簡単にぼくの気持ちが冷めるはずがない……

それなのに、日を重ねれば重ねるほど、今度は物足りなさを感じるようになった。

ぼくの好みが変わってしまったのか、それとも現状に慣れてしまったのか。

詳しいことは分からない。

砂時計の砂が反対側に流れていくように、少しずつ、でも確実に、ぼくの気持ちは移っていった。

吉田なしでは生きられない。そう思った気持ちは嘘じゃない。

それでも、何となく自分でも分かり始めていた。

いつまでもこんな気持ちが続くわけではないと。

突然のことだった。

ある日町中を歩いていて、思わず一目惚れしてしまったのだ。

理性的なぼくと本能的なぼくが、ぼくの中でせめぎ合いを始める。

「君は吉田を見捨ててしまうの?あんなに安心を与えてくれた吉田を?今ならまだやり直せる。さあ、早く。」

「(一理ある。ぼくには吉田が……)」

「一目惚れしてしまったんだろ?それは仕方ないよな。よくあることさ。」
「なんなら、このままの状態でいること自体が双方にとってマイナスだと思わんか?」
「お前はよく頑張ったよ。最初は嫌がってただろ?それが本心なんだよ。素直になれよ。」

「(お前の……言う通りかもしれない。両方にとってよい選択をしたい。)」

「そんなの、ただの言い訳だ!!」

理性的なぼくの叫びも虚しく、本能的なぼくが圧倒的優位に立ち、理性的なぼくを追いやってしまった。

そこからは、一目惚れしたことで常に頭がいっぱいだった。

友人や先輩にも相談に乗ってもらい、この気持ちを聞いてもらった。

皆一様に驚いていたが、ぼくを責める者はいなかった。

仙台には珍しく雪が降り積もったあの日、ぼくは吉田の元を離れることを決意した。

初めて吉田のことを知ったのがちょうど去年の今頃。1年間の短い関係だった。

ぼくが決めたことに対しても、吉田はいつも通り無言で、堂々としていた。
何もこたえていないように見えた。

関係がなくなってしまうというのに、思っていたよりもあっさりしている。
安心とも悲しみとも取れない薄暗いもやが心にかかる。

「(なんだ、ぼくが気にしすぎていただけなのかもしれない。)」

別れを告げ、しばらく歩いて吉田のことを振り返ってみた。

遠くから見ると、まるで吉田の一部に穴が開き、空っぽになってしまったように見えた。

無性に悲しくなり、思わず目を背ける。

「ごめん」

誰に聞かせるわけでもなく、ぼくは一人呟いていた。

それから先は本当にあっという間だった。

サークル。授業。就活。卒論。

目の前の課題に1つずつ取り組み、全て片づけた頃には卒業間近となっていた。

4月からは仙台を離れる。もうここに来ることもほとんどなくなってしまうだろう。

「(せっかくだし、思い出がある場所を巡ろうかな)」

そう思ったぼくは、時間をかけゆっくりと仙台の町を回り始めた。

バスで各地を回っていると、見覚えのあるアパートが見えてきた。

「(ここ、見覚えがあるような?)」

直後、ぼくの頭に稲妻が走った。

「(そうだ、ここは……!)」

吉田のことを思い出したとき、ドアから一人の男が出てきたのが見えた。

「(そうか、新しい人が……)」

かつてはそこにぼくがいたのだと思うと、少し悲しい。

でも、離れたときに感じたような薄暗いもやはかからず、心は晴れ渡っていた。

「本当にありがとう」

バスの中で一人、ぼくは涙を流していた。



「何ぼーっとしてんだよ」

同期に呼びかけられ、わたしの意識は現在に戻ってきた。

「すまん、吉田のことね。もちろん覚えてるよ。」

わたしは気を取り直して話し出す。

「というか、その聞き方じゃまるで吉田が人みたいじゃんか」

「確かに(笑)。何も知らなかったら混乱するかも」

「まあいいや。卒業直前には新しい入居者が入ってたよ。でもそろそろ現役引退じゃないかなぁ」

「あのボロさならな。てか1年経ってないのに引っ越したいと相談されたときは驚いたわ。しかも、偶然町で見かけた物件っていう」

「吉田は両親が紹介してくれたんだけど、自分で選びたくなったんよね(笑)」
「とはいえ、いい経験させてもらったよ。あんな物件そうそう住めない」


オンライン飲みの夜は更けていく。

吉田、もとい正式名称「アパート吉田(仮)」は今でも仙台の町で誰かを守っているのだろうか。

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